ほぼ日刊イトイ新聞

いのくまさんのこと。猪熊弦一郎と猫、そしてその生活。

1993年まで生涯現役で活躍した、
猪熊弦一郎という画家がいます。
名前をはじめて聞く、という人も、
三越デパートの白地に赤い模様の包装紙や、
JR上野駅中央コンコースの壁画を描いた人、
と聞けば、ああ! と思い当たるかもしれません。
パリ、東京、ニューヨークに暮らし、
数多くの作品を発表した猪熊さんは、
同時に猫好きでも知られていて、
猫をモチーフにした作品も多いです。

ということで2月22日の猫の日企画、
今年は猪熊さんの猫の絵を取り上げます。
「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」にうかがって、
学芸員の古野さんに猪熊さんと
猫の話をたくさん聞いてきました。

いっぽうで、猪熊さんの魅力は、
「猫好き」という側面だけでは語りきれません。
みんなに「いのくまさん」と呼ばれて
親しまれたその人柄も、
猪熊さんの最後の作品ともいえる
広くてあかるい美術館も、
なにもかもがすてきだったんです。
全5回のうち、第2回までは猫の話を中心に。
以降は、猪熊さんにまつわる話を幅広くご紹介します。

第3回 芸術は大衆のもの。

(常設展を案内していただきながら)

――
猪熊さんの絵について、
もう少しうかがってもいいでしょうか。
古野
この美術館には、
小さいメモ帳も1枚1点と数えると、
猪熊の絵が約2万点残されています。
時代によって画風が変わっていくので、
1年に2、3回常設展を入れ替えていて、
全部見るとすべての時代が
網羅できるように考えています。
今は比較的若いときのものを展示しています。
――
若いころのもの。
古野
画業の前半は具象絵画で、
主に人物像を描いていました。
奥さんの絵もたくさん描いています。
――
すごくきれいなかたですね。
古野
銀座を歩いていたら、
みんなが振り返るくらいの美人だったそうです。
30代半ばに猪熊はパリで2年間過ごし、
マティスの影響を受けます。
そして戦後、日本にいるあいだに、
絵というのは、色と形の組み合わせで
バランスがつくられている、と考えながら
人や猫を描いたんです。
それも、見たとおりに、じゃなくて、
形を変えたり、全然違う色を塗ったりして
具象と抽象とが混ざっているような
時期を何年か過ごします。
その後、ニューヨークに渡って、
画風がガラッと抽象に変わったんです。
――
猪熊さんといえば、抽象画の
印象がありますが、
それはニューヨークで培われたんですね。

Landscape 1971年 アクリル・カンヴァス

▲ニューヨーク時代に描いた抽象画。

古野
猪熊がニューヨークにいたころって、
気軽に海外へ行ける時代ではなかったんです。
なので、とりあえず、
「ニューヨークに行ったら、
まずは猪熊夫妻のところに行け」
と言われていて、
「民間大使」と呼ばれていたそうです。
奥さんがおもてなし上手で、
ジョン・レノンやオノ・ヨーコさんなど
そうそうたるメンバーともお友達で、
みんなが猪熊の家に集まってきて、
奥さんが料理をつくって。
「フミ・レストラン」と呼ばれていたそうです。
――
へえー!
ジョン・レノンにも
日本料理をふるまったりしたんでしょうか。
古野
そうかもしれませんね。
ニューヨークには20年住んでいました。
――
(展示されていた小物を見て)
あ、これらは何でしょう。
古野
猪熊がパリやニューヨークから
持って帰ってきたものを展示しています。
――
ひとつひとつのものが、
すごくかわいいですね。
古野
猪熊は、自分が持っている
いろんなものに思い入れがあるんです。
骨董とかそういうことではなくて、
自分にとって好きなものや
あると嬉しいものを身の回りに置いて、
生活の中で使う、ということを
心がけていました。
――
生活が美しいもので囲まれてる感じ、
これらを見ていると、よくわかります。
古野
フランスにいたころ、
第二次世界大戦が始まって、
仲良しだった画家の藤田嗣治さんに誘われて、
2家族で南仏のほうに疎開するんですけど、
そこで買ったお土産ものもあるんですよ。

▲猪熊さんが海外で集めてきた瓶や缶。

――
やっぱり疎開先でも、
こういう美しいものを求めて買うんですね。
古野
戦争中、日本軍の従軍画家として
最前線へ派遣されたときには、
これを持っていったそうです。
パリのアンティークショップで
買った手回しのオルゴールなんですけど‥‥。

▲戦場へ持って行ったオルゴール。

――
え、軍隊生活にも
このオルゴールを‥‥?
古野
タイとビルマのあいだのジャングルに、
日本軍が鉄道を敷いていたんですけど、
そこに猪熊も従軍画家として派遣されます。
コレラが流行って、バタバタと人が亡くなって、
本当に凄惨な状況だったそうです。
でも、猪熊はどんなときでも
楽しそうにしていたから、隊長さんに
「猪熊さんはどうしてそんなに
毎日にこにこしているんですか」
と訊かれて、
「絵描きなので、見たこともない大自然や
美しいものを見ると心が安らぐんです」
と言ったそうです。
そして、夜のジャングルに、
このオルゴールを響き渡らせて心を慰めていたと。
――
すさまじく悲惨な状況でも、
美しく、明るいほうを見ようとしていた‥‥。
古野
明るさ、というのを
猪熊はいつも意識していると思います。
戦争が終わると、壁画や表紙絵や包装紙といった
暮らしの中にあるデザインに積極的に関わりました。
それは当時の芸術家には
めずらしいことなんです。
金儲けのためにやっていると
揶揄されることもあったんですが、本人としては、
人の暮らしを彩りたいという考えがあって、
「芸術は大衆のものだ」
ということをはっきり言っています。
美しいものが生活の中にある、
ということを大事にしていたんです。
ーー
美しいものが生活のなかにある。
古野
はい。そして「美しさ」というのは、
まずは生活からなんです。
ここの開館のときに
猪熊本人から指導を受けた学芸員に
「猪熊をどう思うか」と訊いたら、
「生活者だったと思う」と言ったんです。
自分が提供する作品に関しても、
見る人の心が明るくなるように考えていました。
だから、猪熊の作品には暗さがないんです。
近年「ほぼ日」さんが取り組まれている
「生活のたのしみ展」も、その考え方が
猪熊と共通するように感じています。
最初に「生活のたのしみ展」
というタイトルを見たとき、
「そうだよね」ってすごく思ったんです。
――
そんなふうに感じてくださったんですね。
猪熊さんって、
どういうお人柄だったんでしょう。
古野
会った人たちが口を揃えて言うことがあって、
一つ目は、
「誰に対しても同じだった」
ということです。
年齢も職業も立場も関係なく、
全員に同じように接していたそうです。
で、もう一つは、
「人に批判めいたことを言わず、
必ずいいところを見つけて言う」ということ。
もう一つは、
「すごく姿勢がよくてシュッとして、
90歳近くになっても、歩くのが速かった」
ということ。
うちの職員に限らず、猪熊を知っている人は、
みんなこの三つを言いますね。

▲美術学校時代に描かれた猪熊さんの自画像。

古野
とにかくずっと絵を描き続けて、
最晩年、亡くなる3日前にも
美術館に来て指導していたんです。
東京に戻ってパタッと倒れて亡くなって‥‥。
90歳でした。
だから本当に、生涯現役だったんです。
――
90歳までずっとお元気で生涯現役だった‥‥
なんだか、
「アンパンマン」のやなせたかしさんと
通じるものを感じました。
やなせさんも同じ四国出身ですし、
猪熊さんとのエピソードもあるんですよね。
古野
そうなんです。
1950年に三越デパートさんが
猪熊に包装紙デザインを頼んだんですが、
それまで包装紙というものは、
あまりデザイン性がないものでした。
だけど、何かクリスマス用に新しいものを、
という発注を猪熊が受けたんです。
当時のやなせたかしさんは、
三越の宣伝部のデザイナーをしていて、
猪熊のところにやなせさんが
デザインを取りに来た、というご縁なんです。
ーー
今も三越で使われている、
あの赤と白の包装紙ですね。
古野
はい。もともとはクリスマス仕様、
ということだったんですが、好評で、
その後もずっと使われることになりました。
あれは型紙を切ってつくっているんですが、
受け取りにきたやなせさんに、
型紙をテープで紙に貼ってあるものを渡して、
「文字は君が書いといて」と伝えたそうです。
それで、やなせさんがご自身で
「Mitsukoshi」と書いた、という話です。

▲いまも使われている三越の包装紙デザイン「華ひらく」。

ーー
ある意味、合作なわけですね。
古野
そうだ、糸井さんとの合作もあるんですよ。
西武百貨店のポスターなんですけど、
糸井重里さんのコピーと
猪熊の絵の組み合わせなんです。
――
なんと糸井とも縁があったんですね。
知らなかったです。

(つづきます)

2018-02-24-SAT

東京で展覧会が行われます!

猪熊弦一郎展 猫たち

題名不明 1987年 インク・紙

2018年3月20日(火)ー 4月18日(水)会期中無休
開館時間:10:00ー18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
場所:Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷・東急本店横)
入館料や前売券などはこちらでご確認ください。

猪熊弦一郎展 猫たち

猪熊弦一郎 猫画集 『ねこたち』
リトルモア刊
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猪熊さんの猫愛にあふれた作品の
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取材協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)

タイトル:題名不明 1944年 インク・紙  背景:題名不明 1986年 インク・紙
※作品画像はすべて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵
©The MIMOCA Foundation
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