- ――
- この美術館は、
何年にオープンしたんでしたっけ。
- 古野
- 1991年です。
丸亀市が猪熊に美術館をつくりたい、
と伝えたのが1987年の初めなので、
完成まで約4年かかっています。
- ――
- 私は当時小学生だったのですが、
オープンしたときは学校でも話題になって、
先生が興奮気味に話してくれたのを覚えています。
そのころ猪熊さんはご存命でしたよね。
- 古野
- そうなんです。
それがこの美術館の特徴の一つなんです。
画家が亡くなってから、
ご遺族がゆかりのある地域に絵を寄贈して
記念館ができるというのはよくあるのですが、
ここは、猪熊が元気なときに建ちました。
市から依頼があったとき、猪熊は
「理想の美術館をつくってくれるならご協力します」
と言ったそうです。
- ーー
- 理想の美術館。
それはどんなものだったのでしょう。
- 古野
- (壁に立てかけてあった額を指して)
この言葉がコンセプトなんです。
- ――
- 「美術館は心の病院」。
- 古野
- 猪熊は戦前パリに2年暮らし、
戦後はニューヨークに20年住んでいました。
西洋では街の真ん中に教会があって、
日曜日になると、教会に行って
疲れた心を癒し、また日常に戻ります。
美術館も同じような役割を
担っているのではないか‥‥
そんなふうに考えたんです。
日常とは違う空間でリフレッシュしてほしい。
そのためには、
人が気軽に来れるところでないといけない、
ということを言っていました。
- ――
- ああ、だからこんな駅前の
便利な場所にあるんですね。
- 古野
- そうなんです。
開館当時、こんなに駅近くにある美術館は、
地方ではここだけでめずらしかったんです。
ほかにも選択肢はあったんですよ。
駅前、市の中心にある丸亀城内、それから郊外、
その三つのどこにしますかと
市が猪熊に聞いたら、迷わず「駅前だね」と。
買いもの袋を下げた人たちが
ふらっと立ち寄れるような場所にしたい、と。
電車で通学している学生にも
気軽に来てほしいという思いもあって、
猪熊の希望で、ここは高校を卒業するまで
入館料が無料なんです。
- ――
- たしかに、すごく気軽に行ける場所、
という感じがずっとありました。
- 古野
- ここを設計したのは、
建築家の谷口吉生さんなんですけど、
猪熊が谷口さんに頼みたいと言って、
市もそれを受け入れたんです。
基本的には谷口さんの作品であり、
谷口さんの考えをベースにつくっていますが、
猪熊も「広い空間にしてほしい」というような
自分の希望を伝えて
話し合ってつくっています。
- ――
- 画家と建築家とが一緒に‥‥
それってすごいですね。
- 古野
- そういうことってなかなかないんですよ。
関係性が良く、
お互いの気持ちがわかる二人でした。
それと、「現代美術」を積極的に取り上げる美術館も
今は増えましたけど、当時は斬新だったんです。
「現代美術というのは、
いまを一緒に生きている作家が
最も新しい考え方を提示するものだから、
そういうものをとにかくどんどん紹介して、
新しいものに心を開く人たちが増えてほしい」
そんな思いでつくったんです。
- ーー
- 新しいものに心を開く‥‥。
- 古野
- そして、その考えを
丸亀市が受け入れたというのも大きいことなんです。
役所というのは、当然のことながら
いろいろと制約が多いところです。
でも、この美術館をつくるときに関しては、
猪熊が引き受ける条件が、
「理想の美術館にする」というものでしたから。
しかも猪熊の理想というのは、
自分のことではなくて、
美術館としての理想でした。
そこもすごく重要で、
猪熊は、ここを自分の作品を飾る場所として
まったく考えていないわけです。
- ーー
- 自分の作品を飾る場所と
考えていないんですか。
- 古野
- もちろん猪熊の作品を収蔵して
展示するための美術館ではありますが、
猪熊自身は、
「美術館というものは、
こういうものであるべきだ」
というところに全力を注ぎました。
それを市も受け入れ、完成した美術館なんです。
- ――
- 自分のことで恐縮ですが、私も帰省して
ここに来ると気持ちが落ち着くんです。
以前、画家の荒井良二さんに
取材をする機会があったんですが、
そのとき私の持っていた、
この美術館のトートバッグを見て、
「あ、これ、猪熊さんのだね」とおっしゃるので、
「そうなんです。地元なんです」と言ったら、
「あの美術館、いいよね」と。
- 古野
- えー、すごーい!
うれしいです。
- ――
- 地元の美術館がそんなふうに言われて
私もうれしかったんです。
知れば知るほど、
猪熊さんのすごさを感じます。
- 古野
- さかのぼれば、もっとありますよ。
今、香川県は「うどん県」で知られていますが、
同時に「アート県」でもあるんです。
「瀬戸内国際芸術祭」も開催していますし、
美術館もたくさんあります。
そういう考えを根付かせたひとりが、
実は猪熊なんです。
- ――
- え、そうだったんですか。
- 古野
- 戦後に香川県知事をされていた
金子さんという方が猪熊の後輩なんですが、
戦後すぐ香川県庁を建て替えることになって、
金子知事がどんな県庁にしようか考えているとき、
たまたま東京出張に行ったら、
東京の街角で猪熊とバッタリ会うんです。
- ――
- すごいですね。
街角でバッタリって、なかなかないです。
- 古野
- それで猪熊が、
「新しい県庁をつくると聞いたけど、
いいものをつくりなさいよ」と言ったら、
「もう発注してしまったけど、実は悩んでるんです」
と言ってその場で相談をしたんです。
そしたら猪熊が、
「絶対にいい建築家にやらせたほうがいいから、
丹下健三さんを紹介する」と言った。
そのとき丹下さんは
広島で平和記念公園の仕事をしていたんですが、
すぐに香川に行くように猪熊が連絡したんです。
そして金子知事が香川に戻る途中、
岡山から高松に渡る連絡船の中で、
丹下さんとバッタリ会うわけです。
- ――
- 今度は船の中でバッタリ‥‥すごすぎます。
- 古野
- そこで意気投合して、
すでに発注していたのをキャンセルして、
丹下健三さんに頼んで完成したのが
香川県庁の「古いほうの東館」と
いわれている建物で、
いまでは丹下さんの代表作となっています。
そこには猪熊の壁画も入っていますし、
家具は剣持勇さんに頼んでいます。
そういうところから、
芸術に対して取り組む県になっていって、
そこからのアート県なんです。
(つづきます)
2018-02-25-SUN