30. 俳優・伊丹十三。
1960年、26歳の時に東宝映画『嫌い嫌い嫌い』に
伊丹一三の名で主演デビューしてから、
51歳で監督デビューするまでに、
伊丹さんは俳優としてたくさんの作品に参加されました。
主には映画とテレビドラマで、
おおざっぱに言ってどちらもだいたい50本ずつ。
合計100ほどの役を演じられたことになります。
映画はこのコラムでも紹介した『北京の55日』、
『ロード・ジム』といったハリウッド作品のほかに、
『黒い十人の女』(1961年)、
『もう頬づえはつかない』(1979年)、
『スローなブギにしてくれ』(1981年)などがあります。
渋く、ちょっと癖のある役者として活躍され、
俳優生活の後期にあたる1983年には
『細雪』と『家族ゲーム』で
キネマ旬報賞助演男優賞を受賞されました。
テレビドラマは、
初エッセイ集『ヨーロッパ退屈日記』が出版されたころ、
『あしたの家族』(NHK)が最初の作品となります。
この作品には、後に奥さまとなる宮本信子さんも
出演されていました。
テレビドラマもそうそうたる作品に多く登場されました。
『源氏物語』(1965年)では、黒柳徹子さんと共演。
また本人が気に入っていたという役を演じた
『悪一代』(1969年)は
勝新太郎さんの映画『座頭市』に連なる作品で、
奇跡的に残っていた映像の一部を
DVD『13の顔を持つ男』で観ることができます。
▲湯河原の別荘から発見された、『悪一代』の映像。
(DVD『13の顔を持つ男』より)
このほかにも『コメットさん』(1967年放送開始。
伊丹さんの出演は1968年)
『必殺仕置人』(1973年)、
『死にたがる子』(1979年)、
『北の国から』(1981〜82年)
NHK大河ドラマ『峠の群像』(1982年)などがあります。
赤穂浪士を題材とした『峠の群像』で演じた吉良上野介は
癖と深みのある役を演じるのが得意な伊丹さんらしい、
すばらしい敵役でした。
俳優としての映画出演は、
『家族ゲーム』ののち監督に専念されたため間をおいて、
それまで伊丹組の助監督として伊丹映画を支えていた
当摩寿史さん監督の
『C(コンビニエンス)・ジャック』(1992年)が
最後の作品となりました。
また、俳優としてではないのですが、
テレビドラマとの関わりは、そのころ親交を深め、
伊丹映画にも企画で参加していた三谷幸喜さんの
『3番テーブルの客』(1996年開始。
伊丹さんの回は、1997年)を演出されたのが
最後のテレビドラマのお仕事だったようです。
人生のにこごりのようなもの、といって映画作りを
はじめた伊丹さんは、俳優出身の監督らしく、
俳優を尊重し、演じる側の気持ちがわかる監督だったと、
津川雅彦さんはじめ、伊丹映画に登場した役者さんたちが
語っています。
現場で怒鳴ったり、役者を緊張させたりしない、
優しい監督だったそうです。
伊丹さん自身、『ヨーロッパ退屈日記』などで
監督のあるべき姿について縷々語られていますから、
そうとうに気を使い、娯楽作品を作るための環境に
心を砕かれていたようです。
(ほぼ日・りか)
参考:伊丹十三記念館ホームページ
『伊丹十三記念館 ガイドブック』
DVD『13の顔を持つ男』
『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』ほか。