今後しばらく「ほぼ日」は、伊丹十三さんを追いかけます。 まずはトップバッターとして、 番組製作会社・テレビマンユニオンの副社長、 浦谷年良さんに、ご登場ねがいましょう。 この浦谷さん、ドキュメンタリー『遠くへ行きたい』などで 伊丹さんと多くの時間をともにし、 DVD『13の顔を持つ男 伊丹十三の肖像』をつくった人。 伊丹さんの、13の顔‥‥。 映画監督や俳優、エッセイスト以外に、そんなに? なつかしい先生の思い出話をしているような、 そんな親しげな雰囲気のなか、 とにかく、知的な刺激や興奮に満ちた対談となりました。 ちなみに、伊丹十三さんの特集は、 先日、第1回「伊丹十三賞」を受賞した糸井重里が 以前からずっとやりたいと思っていたもの。 これを機に、いろんなコンテンツを構想していることもあり、 ちょっと長めの特集となりそうです。 |
浦谷 |
ああ、イトイさん、どうもどうも。 |
糸井 |
いやぁ、おひさしぶりです。 |
浦谷 |
どんなこと聞かれるんだっけ、今日は? |
糸井 |
|
浦谷 |
ええ、おめでとうございます。 |
糸井 |
以前からね、伊丹十三さんについては 「ほぼ日」で特集をやりたいと思ってたんだけど、 どうしていいかわからなかったんです。 |
浦谷 |
ほう。 |
糸井 |
で、この賞をいただいたのをきっかけに、 ようやく本気でやろうと思って、 まずはこのさ、浦谷さんのつくったDVD (『13の顔を持つ男』)を、観てみたら‥‥。 |
浦谷 |
ああ、それはどうも。 |
糸井 |
こりゃあ、手に負えないなぁと思った。 |
浦谷 |
なんで? |
糸井 |
うん、いや、手に負えないって思ったんですよ。 よくこんなのつくったなって思いがひとつと、 これ以上うちでできること、あるのかなって。 |
浦谷 |
そんなことないでしょう。 |
糸井 |
でもね、今回「伊丹十三賞」をいただいて、 これはもう、 おまえなりに何かやってみろよってことだと 思ったんです。 で、まずは、この手に負えないDVDをつくった 浦谷さんに話を聞こうと思って、 あらためてもう1回、観てみたんですけどね‥‥。 |
浦谷 |
うん。 |
糸井 |
そしたら、伊丹さんご自身が 誰より手に負えない人だってことが、よくわかった。 |
浦谷 |
いろんなことやってるじゃない? 伊丹十三って人は。 |
糸井 |
なにしろ「13の顔を持つ男」ですからね。 |
浦谷 |
でもさ、映画監督、エッセイスト、俳優、 CM作家‥‥あたりなら みんな知ってるかもしれないけど、 精神分析の雑誌『mon oncle』(モノンクル)の 編集長だったこととか、 若いころ、 「明朝体を描かせたら日本一」と呼ばれた 商業デザイナーだったこととかは、 いまや、あんまり知られてないと思うのよ。 mon oncle(モノンクル) |
糸井 |
でしょうね。 |
浦谷 |
なかでもね、「テレビ人・伊丹十三」って、 もう、ほとんどの人が知らないと思う。 |
糸井 |
テレビマンユニオンのメンバーだったんですよね。 |
浦谷 |
そんなこと、若い人は知らないでしょう。 |
糸井 |
うん。 |
浦谷 |
われわれ(テレビマンユニオン)のつくった ドキュメンタリー番組 『遠くへ行きたい』をはじめとしてさ、 「テレビ人・伊丹十三」って、 ぼくからすれば 「映画よりおもしろかった」って思いがある。 |
糸井 |
そうなんでしょうね。 |
浦谷 |
だから、このDVDで、 ぼくが、明らかに、いちばん熱くなってんのが、 「テレビ人・伊丹十三」のところで。 |
糸井 |
うん、そこが、おもしろかったです。 |
浦谷 |
「伊丹十三がおもしろいのはテレビだ!」 ‥‥ってことを、知ってもらいたいってのが、 第一の目的だったんです。このDVDの。 |
糸井 |
なるほど。 |
浦谷 |
ぼくがね、このテレビ業界に入って チーフADになって、はじめてついていったのが、 『遠くへ行きたい』のロケだったの。 |
糸井 |
へぇー、いくつぐらい? |
浦谷 |
23。 |
糸井 |
大学出てすぐ? |
浦谷 |
すぐ。 |
糸井 |
で、チーフADなんだ? |
浦谷 |
うん、テレビのチーフADってさ、 映画みたいに、 ファーストがいて、セカンドがいて サードがいて‥‥じゃないわけ。 ディレクターの次が、チーフAD。 |
糸井 |
ああ、そうか。 |
浦谷 |
だから、ぼくがここに入社した当時、 1971年って年は、 あの、就職ってほら、なかなか‥‥。 テレビマンユニオンを受けたのなんかも、 ほとんど、全共闘のやつらばっかりで(笑)。 |
糸井 |
うん、うん、うん。 |
浦谷 |
オレ、4月の20日に入社したんだよ。 いま思い出してみると、 最終面接が4月のあたまくらいでさ。 |
糸井 |
へぇ‥‥。 |
浦谷 |
募集は2月。 |
糸井 |
ずいぶん促成栽培ですね。 |
浦谷 |
だから、右も左も何にもわからないまま 入社したと思ったら、 すぐ『遠くへ行きたい』へ行ってこいと。 |
糸井 |
つまり、修行の場だったわけですね。 浦谷さんの。 |
浦谷 |
まだ、番組がはじまって半年くらいかな? それまでは永六輔さんがやってたんです。 |
糸井 |
レポーターをね、はい、はい、はい。 そうでした。 |
浦谷 |
そのあとに、 矢崎泰久(元『話の特集』編集長)さんが プロデューサーになって、旅する人を選んだ。 まず、伊丹さんでしょ。 それに立木さんと‥‥。 |
糸井 |
あ、カメラマンの立木義浩さんですね。 あと五木(寛之)さんか。 |
浦谷 |
それと、野坂(昭如)さん。 もともとの永六輔さんも入れて、 5人でレポーター役をまわしてた時期があって。 |
糸井 |
野坂さんの回もあったっけ? |
浦谷 |
うん、オレがまだ新人研修のときに、 野坂さんのロケにも、ついていったことがあって。 テーマが『遠野物語』だったんだけど。 |
糸井 |
へぇ、それは観てないなぁ。 |
浦谷 |
いまでも覚えてるんだけどさ、 「あそこの三脚どかしてこい」って言われて、 「へーい」なんて行ったら、 もう、あの番組は「ドキュメンタリー」だからさ、 カメラが回ってて、映り込んじゃった。 |
糸井 |
ほう。 |
浦谷 |
そしたら「てめー、ばかやろう!」なんて 怒鳴られたりして‥‥そんなこと覚えてる。 |
糸井 |
もう、テレビの現場のことなんか 何も知らないで入ってきたわけですよね。 |
浦谷 |
そうそう。で、その次が伊丹さんだったんです。 当時、狸穴のマンションが事務所になってて、 打ち合わせに行ったら、本棚に本がずらーっと。 |
糸井 |
本棚に、本が。 |
浦谷 |
ほんとにね、もう、壁一面ぜんぶ本なの。 それだけでもびっくりしちゃったんだけど、 よく見ると、理科系の本の量がすごい。 |
糸井 |
はぁー‥‥理科系ですか。 |
浦谷 |
これは並みの人じゃないなと思ったね。 |
糸井 |
ええ、ええ。そうでしょうね。 |
浦谷 |
だって、当時のぼくにしてみたら、 伊丹さんのイメージって まずは「俳優」だったですからね。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
で、そこでね、伊丹さん、ぼくに パラっと1枚のコピーを渡すんですよ。 |
糸井 |
ほう。‥‥なんの? |
浦谷 |
山口瞳さんが雑誌かなんかに書いたコラム。 なんかどっかにヘンな発明家がいて、 おかしな発明品がいっぱいある‥‥らしいと。 でね、これ、おもしろいからやろうよって。 |
糸井 |
はー‥‥。 |
浦谷 |
ついては、このテーマでやるにあたって、 チーフADたるおまえは、 行って、ぜんぶ集めてこいって言われて。 バカな発明品を、ぜんぶ。 |
糸井 |
うん(笑)。 |
浦谷 |
ぼくにしてみたら、 いちばん最初のまともな仕事なわけですから、 一生懸命、集めにかかるわけです。 |
糸井 |
バカな発明品を、ぜんぶ(笑)。 |
浦谷 |
あの‥‥「携帯用洋式トイレ」とかね。 「角のようなもので車を威嚇して 道路を安全に渡るための機械」とか、 一見ブリキ製のトランクなだけど じつは開けると「携帯用洗面器」とか。 バカバカしい発明品を。‥‥ぜんぶだよ? 携帯用洋式トイレ 角のようなもので車を威嚇して 道路を安全に渡るための機械 携帯用洗面器 以上、DVD『13の顔を持つ男 伊丹十三の肖像』より |
糸井 |
はぁー‥‥(笑)。 |
<つづきます> |
|
|||||
2009-06-08-MON
|
(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN