糸井 今日はいろんな話をうかがいましたが、
ぼくがいいなと思ってるのは、やっぱり
宮本さんの中で、伊丹さんがいま
元気でいらっしゃるという感じが
あることなんです。
宮本 ええ、はい。
もっと元気になってたりして。
糸井 いやぁ、うらやましいです。
宮本 それはね、うん。
どっか行っちゃった気はしないんです、ぜんぜん。
糸井 ううーん、そうか。
そう言われるのって、夢ですね。
宮本 伊丹さんは、すごく執念深い、
粘着質タイプなので、
いなくなったりはしないです。
すっごく、思ってる。前より、
私のことも、いろんなことも。
糸井 うん。
宮本さんもたぶん、執念ありますよね。
宮本 あります。
伝染したのかなぁ。
糸井 執念深いほうがぜんぶおもしろそうだな、
ということを
伊丹さんは見せてくれる人だし、
そういう影響は
受けたかもしれないですよね。
食べものでも、
食べ方がおいしそうだったらうつりますし、
おもしろがり方もうつりますよね。
宮本 うつります。
考え方も伝染病みたいにね。
私が、テレビや雑誌から
取材を受けたとき、
伊丹さんから
「きみはね、言うことがないから
 こういうしゃべりになるんだ」
と叱られてばかりだったんです。
それから、しゃべる内容を考えたり、
少しずつ学習したんですね、
私なりに、ちょっとだけ。
前はぜんぜんそういうことはなかったです。
糸井 宮本さんはたいへんになったけど、
おもしろくなりましたね。
宮本 はい。
糸井 しつこさ病が。
宮本 しつこさ病がね、
うつりましたね。
糸井 思えば、伊丹十三記念館とか、
伊丹十三賞とかも、
しつこい仕事ですもんね。
終わりようがないように
しちゃったんですもん。
宮本 はい。実は、
子どもたちは最初、反対しました。
記念館つくったら
継続もたいへんだし、
すごいものをおんぶすることに
なっちゃうでしょ。
そんなのつくらなくたって、と
言われていました。
「いや、つくる。つくります。
 つくりたいからつくります」
と私が言って、
それが、2004年。
糸井 うん。
宮本 しばらくして、子どもたちは、
「そういうふうに決めたんだったら協力する」
と言ってくれました。
ああ、子どもふたり産んでて
よかったと思って、ねぇ(笑)。
糸井 よかったですね。
助けになってくれますから。
宮本 伊丹さんは
「子どもはいらない」って
言ったんですよ。
糸井 へぇえ。
宮本 世界の人口が増えていく状況のときだったので、
「ぼくは自分に似た子もいらないし、
 人口も増えるから、いい」
と言われました。
私は伊丹さんの言うことを
「そうですか」と聞く人だったのですが、
そのときだけは、ひっこまなかったんです。
「でも、あなたと私が
 ふたり死ぬから、
 ふたり産みます」
と言ったらね、
ぐうの音も出なかった。
糸井 はははは。
宮本 それだけなんです、
私が伊丹さんに勝ったのは。
糸井 その勝利はよかったですねぇ。
伊丹さんも、いい負け方ですね、それは。
生まれたら、そのあとは‥‥
宮本 生まれたら、
なにが「いらない」ですか!
自分がおかあさんみたいになっちゃって(笑)。
糸井 ねぇ(笑)。
ここから先もきっと
伊丹さんという人がいた、という話と
いまいる、という話とが、
なんかの形でずっとつながっていくことが
あるといいなぁと思います。
まずは、宮本さんがいてよかった。
宮本 この「ほぼ日」で
十三特集をしていただいたことは、
なにより伊丹さんが
喜んでいると思います。
糸井さん、ありがとうございます!
糸井 いやぁ、うれしいです。
ぼくらには、きっかけがないと
伊丹十三なんて人の
特集なんて到底できないですもん。
やっぱりね、めんどくさい人なんですよ。
宮本 そうなんですよ、
すごくわかります(笑)。
まずはなにかすぐ、
文句言われそうですし。
糸井 オレはオレのやり方でやりますから、
黙っててくださいと
言えるタイミングが来るまでは
永遠に言えないです。
だけど、それがとうとう来て、
できました。
こうして、宮本さんと
お話できることも、
きっとなかったはずでしょうし。
宮本 ほんとに、よかった。
糸井 いやぁ、ありがとうございます。
こんなところで
終わりにしちゃいますけど、
伊丹さん、
ありがとうございました。

(これで、宮本さんとのお話は、おしまいです
 ありがとうございました)



column伊丹十三さんのモノ、コト、ヒト。

41. 『マルタイの女』。

伊丹十三監督の第10作『マルタイの女』(1997年公開)が、
自らが暴漢に襲われ、警察のマルタイ
(身辺保護の対象者)となった経験が発端となって
作られたものであることは、有名な話です。

伊丹さんは襲撃事件直後から気丈で、
暴力や弾圧を許さない、とおっしゃっていました。
しかしその決断の裏には非常に重いものがあったことを
わたしたちはこの映画から感じ取ることができます。

主人公のわがままな女優・ビワコは、
犯罪現場を目撃したために、
犯人であるカルト教団に狙われるようになります。
教団は手を変え品を変え、
裁判で教団に不利な発言をビワコがしないように、
いろいろな方法で脅してきます。

怖いのは、宗教の教義に従って盲目的にビワコを傷つけ、
屈服させようとする、宗教団体の気味悪さです。

映画公開の2年前、
オウム真理教による、地下鉄サリン事件を中心とする
一連のできごとが起こっています。
公開時は事件がまだ世間の記憶に新しい頃で、
設定はとてもリアルなものに感じられました。

主人公は脅しにおびえ、裁判での証言をためらいますが、
警護するふたりの刑事の懸命な姿に、
勇気をあたえられていきます。

伊丹さんがこの映画で描きたかったのは、
「マルタイ」という非日常の経験だけでなく
マルタイとして守られているのは、
暴力に屈せず、なすべき正しいことをなそうと、
行動しようとする人なのだ、
ということではないでしょうか。

さて、スタッフについてですが、
当時舞台に、テレビにと大活躍中だった
劇作家であり、俳優、映画監督である三谷幸喜さんが
「企画協力」としてクレジットされています。
三谷さんの本『仕事、三谷幸喜の』
(2001年 角川書店)によると、
伊丹さんと三谷さんとプロデューサーの細越省吾さんが
何度も話しあって『マルタイの女』の原型を作り、
三谷さんが試しに脚本を書かれたのだとか。
この時三谷さんは伊丹さんから
テレビと映画の脚本の違いなど、
さまざまなアドバイスを受けたのだそうです。
結局それは作品にならず、
2年後、伊丹さんの書いた脚本によって
『マルタイの女』が作られました。
そして、三谷さんは同じ1997年、『ラジオの時間』
監督デビューされています。

やはり今回も脚本・監督伊丹十三、
となった『マルタイの女』の見どころは、
もちろんたくさんあるのですが、
たとえば、宮本信子さん扮する女優・ビワコが
日本舞踊や唄、ジャズダンスなどをレッスンするところ。
短いシーンですが、
宮本さんの芸のうまさに目を奪われます。
この役の、わがままだけど女優として秀でていることが、
説得力を持って伝わります。
ここでは『あげまん』でも踊りを指導していた
猿若清三郎さん、
『マルサの女』の山蕪wさんの小躍りから
『スーパーの女』のお遊戯まで振り付けていた
宮崎渥巳さんも画面に登場しています。

劇中劇のクレオパトラのお芝居では、
マルタイの警護のために
一緒に舞台に上がることになった西村雅彦さんの
狼狽振りに笑ってしまいますし、
もうひとりの警護役・村田雄浩さんの
刑事らしからぬお人よしで、どこまでもやさしそうな感じに
伊丹さんのキャスティングのうまさが光ります。

また、伊丹映画の常連である津川雅彦さんは、
ビワコを陰で支える役で、
外国映画のワンシーンような
ダンディズムを見せてくれます。

人は時に、身を危険にさらしても、
やるべきことをやらなければいけない。
『マルタイの女』は、かっこうよくて、
おもしろい傑作です。
そしてこれが、伊丹十三さんの最後の作品となりました。
(ほぼ日・りか)


参考:伊丹十三記念館ホームページ
   『伊丹十三記念館 ガイドブック』
   DVD『13の顔を持つ男』
   『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』ほか。




2010-02-12-FRI