40. 伊丹さんと、精神分析。
伊丹さんは、44歳の時、
一冊の本と衝撃的な出会いをします。
それは、新進気鋭の心理学者、
岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』
(1977年 青土社)です。
そのころ育児に目覚めていた伊丹さんは、
子育てを通じて、自分とは何か、子育てとは、人生とは、
といったことについて深く考えていました。
そんな時、
“すべての人間が本能が壊れた状態で生まれており、
文化という松葉杖をついて何とか適応している。
社会的な価値や自己評価は、
赤ん坊の時に母親との関係で形づけられる。”
という考えの岸田さんの論に出会って、
伊丹さんは、「自分の目の前の不透明な膜が弾けとんで、
目の眩むような強い光が射しこむのを感じ始めた」
そうです。
この言葉は、のちに出る『ものぐさ精神分析』の文庫版
(1982年 中公文庫)に、
伊丹さんが解説として寄せた文章にあるのですが、
伊丹さんはこの解説で、当時、非常にセンセーショナルな
ものとして受けとめられていた岸田さんの論を、
わたしたちにも解りやすいように翻訳してくれています。
たとえば、
「われわれは人生の初期において親や社会からさまざまな催眠術をかけられる。(中略)あたかも催眠術にかけられた人物の如く、失敗を恐れたり、誰かの賞讃を当てにしたり、いつしか人を道具にしたり、ともすればさまざまな防衛を張りめぐらして自分の中に閉じこもったり、常に自分を無価値なものと感じたりして生きるのだ。」
といったところなどです。
この本と出会った翌1978年には、
出版社から持ち込まれた企画にのって、
岸田秀さんとの共著
『哺育器の中の大人[精神分析講義]』
(朝日出版社「LECTURE BOOKS」)を上梓します。
岸田さんの講義を伊丹さんが聴くという体裁ですが、
超読書家で勉強家であるこの生徒に、
岸田さんもたじたじとなることがおおかったそうです。
わたしたちは伊丹さんの的確な質問によって、
岸田理論を深く知ることができるようになっています。
その後も伊丹さんは精神分析にどんどん傾倒していきます。
岸田さんとの蜜月時代はずっと続き、
精神分析をテーマにした雑誌、
『モノンクル』(朝日出版社)が創刊されるのは、
伊丹さんが『ものぐさ精神分析』に出会った
4年後の1981年でした。
その前後にも伊丹さんはたくさんの学者や専門家と対談し、
人の心の不思議さを解き明かそうとこころみます。
1980年、佐々木孝次さんとの対談の書
『快の打ち出の小槌 日本人の精神分析講義』
(朝日出版社「LECTURE BOOKS」)では日本人にとっての
オイディプスコンプレックスや母親との関係を語り合い、
1990年出版の
『倒錯―幼女連続殺人事件と妄想の時代』
(ネスコ発行 文藝春秋発売)では
岸田秀さん、福島章さんとの鼎談で、
当時大ニュースとなった事件の犯人の生い立ちから
犯罪を起こすに至る心理、
人間の性衝動や攻撃性などについて探っています。
こういったアプローチは『モノンクル』とも同調しており、
いかに伊丹さんが精神分析にはまっていたかがわかります。
ちなみに『モノンクル』が創刊された80年代前半は、
哲学や文化人類学、社会学が流行し、
「ニュー・アカデミズム」という
一種の社会現象が起きはじめた頃でした。
岸田秀さんもその旗手のひとりとして注目され、
活躍されていましたが、
伊丹さんはそちらの道を選ばなかったようです。
思えば、伊丹さんの精神分析はあくまでも実学であり、
自分と他者との関係をテーマとしていました。
伊丹さんの精神分析にまつわる対談や
著作は普遍的で、わたしたちがいつ読んでもおもしろいのは
そのためではないでしょうか。
伊丹さんはこれらを血肉とし、
映画『静かな生活』で登場する「人は人の道具ではない」、
という言葉や、『マルタイの女』における、
宗教にはまる心理の分析に、その影響が見られます。
(ほぼ日・りか)
参考:伊丹十三記念館ホームページ
『伊丹十三記念館 ガイドブック』
DVD『13の顔を持つ男』
『伊丹十三の本』ほか。