糸井 |
ジャズにはブルースの遺伝子が濃い、
という話ですけれど‥‥。 |
山下 |
時代が下ってからもまた、入ってくるんです。
のちほど、あらためて説明しますが、
とくに、ビバップからハードバップの時代になると、
今のブルースや、モリタ教授が言ってた
「ワークソング」に先祖帰りしていく。 |
タモリ |
1940年代から50年代ぐらいですかね。 |
糸井 |
あえて、ブルースに戻る? |
タモリ |
たとえば、ウィントン・マルサリスっていう
クラシックとジャズ、
両方やるトランぺッターがいるんですけど、
この人なんかも
ブルースだけのレコード出してんですよね。 |
糸井 |
もともと何だっけっていう
自分の血を思い出したいんですね。
山下さんにも、
そういうルーツってあるんですか? |
山下 |
えーとね、ふと口をついて出るメロディは
童謡だったりしますよ、やっぱり。 |
糸井 |
はー‥‥。 |
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山下 |
ぜんぶ日本の童謡みたいなので
アルバムをつくったこともありますし。 |
糸井 |
自分のなかの、いちばん奥にあるもの。 |
山下 |
でも、酒場なんかに集まったりするとね、
やっぱりブルースなんですよ、われわれジャズメンは。 |
タモリ |
どのくらいかかったのかわかんないけど、
黒人たちが、
全員共通の決まりを作ったんでしょうね。 |
山下 |
そう、ブルースというね。 |
糸井 |
集まったら、すぐできるぞー、という。 |
山下 |
ひとことで「アフリカ」といっても、
それぞれ別の部族の出ですし、
踊りもちがう、歌もちがう、何もかもちがう‥‥。
だからこそ、
最大公約数みたいな財産を作ったんでしょうね。
ここになら、みんな入れるぞってワクをね。 |
糸井 |
で、そうした音楽を経て、
いよいよ「ジャズ」が誕生してくるわけですね。 |
山下 |
モリタ教授も言ってたように、南北戦争が終わって‥‥。 |
糸井 |
はい。 |
山下 |
まず、楽器が手に入るようになった。 |
タモリ |
それまでは、高くて買えなかったものが、
安い中古の楽器が出てきた。
初期のニューオリンズ・ジャズには
ピアノ、ありませんでしたし。 |
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糸井 |
へぇー‥‥。 |
タモリ |
ドラムも、シンバルとスネアぐらい。
ベースもないってんで、チューバを使ってたんですよ。 |
糸井 |
手に入りやすい楽器からはじまったわけですね。
でも、なぜニューオリンズだったのか、というのは‥‥。 |
山下 |
やっぱり、あらゆるものが
いちばん、ごったごたと存在していたのが
ニューオリンズだったんでしょう。 |
糸井 |
つまり、ヨーロッパとアフリカが
ニューオリンズという地で衝突をおこして、
都合のいいことに、
ラッパや何かが余っていた‥‥と(笑)。 |
山下 |
うん、手に入れやすかった。 |
糸井 |
ブルースを歌う黒人たちも、たくさんいた。 |
山下 |
いた。 |
糸井 |
お客さんも、いた? |
タモリ |
いた。酒場に。 |
山下 |
いかがわしい酒場に。 |
糸井 |
ほー‥‥。 |
山下 |
当時のピアニストたちは、
そういうところでピアノを弾いていたんです。 |
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<つづきます> |