はじめてのJAZZ2ヒストリーもたのしみなりー!ほとんどまるごと再現ツアー

#11 1920〜1940年 すっかり気ィ抜いてやっている

糸井 なるほど、このころになると
録音技術もすっかりできあがってくるんだ。
 
タモリ レコードというものが出てきます。
山下 うん、うん。
糸井 今でも、それらがCD化され続けてるんだと
思うんですけど‥‥、
じゃあ、ビッグバンドのアルバムで
「聴くなら、これかな」という作品、ありますか?
タモリ グレン・ミラーは外しですね。
糸井 やっぱり。
タモリ カウント・ベイシーか、デューク・エリントンでしょう。
糸井 そうですか。
タモリ でも、スイング感とかブルースの感じで
圧倒的にカウント・ベイシーじゃないかと。
糸井 具体的には、なんていう作品なんですか?
タモリ 今はもう、廃盤になってるかもしれないんですけど、
「Count on the Coast '58」っつうアルバム。
糸井 どんなふうに、いいんですか?
タモリ カウント・ベイシーが西海岸にやってきて
すっかり気ィ抜いてやってる
んですよ。
どうせ西海岸だからさ、みたいな。
糸井 それ、つまり、東京のミュージシャンが
博多に行ったような感じ?
タモリ あ、そうです! そうですね‥‥
いや、それとはちがいますけどね。
糸井 じゃ、鹿児島とか?(笑)
タモリ 鹿児島、うーん、強いていえば沖縄とか‥‥
いや、どこでも差し支えはあるから。
糸井 はい、はい(笑)。
タモリ ま、いいふうに言えば、ゆっくりやろうぜというね。
で、悪いふうに言えば、
西海岸の連中はジャズなんてわかんねえだろうと、
そんな感じでやってる‥‥
その圧倒的なスイング感。
糸井 それは「スイング感」なんですか(笑)。
タモリ 「スイング感」です。
 
糸井 それじゃ、山下さんは?
山下 僕はねえ、中学生のときに
『ベニー・グッドマン物語』って映画を12回も観て、
ほとんどの場面を覚えたほどでして。

だからやっぱり、
ビッグバンドだとベニー・グッドマン。

カーネギーホールのライブ録音があって、
これがまた、素晴らしいんですよ。
タモリ 華やかなりしころのアメリカ。
糸井 スカートがひらひらしてそうな。
山下 カーネギーホール録音のアルバムで
何が好きかっていうと、
ひとりひとりの「個人芸」なんですよね。

トランペットのハリー・ジェイムスと
ドラムのジーン・クルーパーが
ふたりでピッと顔を見合わせながら
ドラム対トランペットの対決をやってるんです。

それから、グッドマンとドラムの対決。
そういうのがね、妙に心に残ってます。
糸井 ああ‥‥ビッグバンドなんだけれども
個人の思いみたいなプレイが出てきてるんですね。
山下 そうそう、うん、個人。
しかも相手のいる決闘。
糸井 そういう意味では、後の時代のジャズを
予感させてるとも言えそうですね。
山下 冒頭にお聴かせした私の曲なんかは
そこらへんを手がかりに作った音楽ですから。
糸井 なるほど、こういう2枚のアルバムを
ご推薦いただきましたけど‥‥
タモリさんも、決していやいやではなく
紹介なさっているはず‥‥ですよね?(笑)
タモリ そりゃもちろんです!
山下 王道ですからね、カウント・ベイシーは。
いまだに、
ありとあらゆるビッグバンドが手本にしているほどです。
 
<つづきます>

今日のジャズ語

カウント・ベイシー
ビッグ・バンドの雄。スイング感あふれるサウンドで
日本でも人気が高い。
「ボーダーシャツに船長風の帽子」という
独特の「船乗りファッション」は
多くのジャズ・ファンにマネをされたという。
デューク・エリントン
今世紀最大の作曲家と称されるバンド・リーダー。
アメリカ禁酒法時代に、
ハーレムの「コットン・クラブ」で名を上げた。
イギリス王室が
彼のレコードを1枚もらさず
蒐集していたという逸話もある。
ホワイトハウス執事の息子でお坊ちゃん育ちの彼は、
つねに洋服に気を遣い、
靴もオーダーメイドのオリジナル・デザインだったという。
カーネギーホール
ニューヨークにあるコンサートホール。
1938年、ベニー・グッドマンのコンサートが行われた。
「音楽の殿堂」とされるこのホールで、
ジャズという黒人音楽のコンサートが開かれたこと、
ライオネル・ハンプトン、テディ・ウィルソンら
黒人ミュージシャンがステージに上がったことなどは、
いまだ人種偏見の強かった当時、かなり異例のことだった。
2008-03-17-MON