糸井 |
こうして、国民音楽としてのジャズのが姿かたちが
見えてきたわけですけど、
いよいよ、このあたりから
いわゆる「モダンジャズ」が生まれてくるわけですね。 |
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山下 |
白人スターの登場によって
アメリカの代表的な音楽となるんですが、
そのころ、ニューヨークを中心に、
やはり黒人の一派で、
そういう音楽じゃあおもしろくないと、
あくまでも個人技で勝負しようじゃないか、
というやつらが集まって、
日夜、即興演奏のジャムセッションをやっては
腕くらべをしはじめたんです。 |
糸井 |
武芸大会みたいですねぇ。 |
山下 |
和音を手がかりに即興演奏をして、
「こいつのほうが、こいつより上手いな」とか、
「へぇ、こいつはこんなふうなことをやるのか」とか、
そういう、聴きくらべをやっていたわけです。 |
糸井 |
演奏しくらべ、聴きくらべ。 |
山下 |
そして、曲を作りくらべ。 |
糸井 |
なるほど、そうか。 |
山下 |
バッハみたいに、和音の分解もはじめるんですよ。 |
糸井 |
理論の方面を掘り下げていった、と。 |
山下 |
そのやりかたも、バッハと同じなんです。 |
糸井 |
そのへんから、だんだん
ツウ好みな音楽になっていったんですか? |
山下 |
うん、ある意味では、そうかもしれません。
この小節の、この1音がさぁ‥‥なんて。 |
糸井 |
そのころ、おふたりは
どんなふうに
ジャズを聴いていらっしゃったんですか? |
山下 |
ハードバップあたりはリアルタイムに聴いてましたね。
アート・ブレイキーの「Moanin'」とか。 |
タモリ |
チャーリー・パーカーあたりは、ちょっと前ですか。
リアルタイムじゃないから。 |
山下 |
なかでも「ビバップ」と呼ばれたジャズの方法論が、
「モダンジャズ」を確立していくんです。 |
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糸井 |
ビッグバンドが国民音楽となっていったところに
技術者集団が生まれてきた‥‥と。 |
山下 |
うん、そうですね。 |
糸井 |
その人たちが「ウデ」を見せたくなったんだ。 |
山下 |
うん、「ウデ」と「頭脳」。
つまり、音楽の理論ですね。 |
糸井 |
なるほど。 |
タモリ |
でもね、ブルースでも同じようなことをやるんですよ。
最初の4小節は同じコードなんですが、
それを分解しはじめて、
1小節にひとつずつとか、ふたつずつに
コードを組み替えていくという。 |
糸井 |
ええ、ええ。 |
タモリ |
このコードだったら、この音が合うとか合わないとか、
ほんとに1音ずつ探してきて、
しかも、この音は単独ではダメだけれども、
流れのなかで使ったら
かっこいいじゃないかとかいうところまで、
ものすごく細かい分析がはじまる。 |
糸井 |
『包丁人味平』みたいに(笑)。 |
タモリ |
味平です。 |
山下 |
ジャズが、クラシック音楽の歴史のなかの
ある時期を追っかけていくんですけど、
それが、さっきのドビュッシーあたりの時代なんです。
和音を「ドミソ」って鳴らしてちゃダメだと。 |
糸井 |
つまらん、と。 |
山下 |
シが入り、レが入り、ファのシャープが入る。
それを「ジャーン」とやって、
「これがドミソである」と言い張るんです。
もう、完全に近代和声の考えかたですね。 |
糸井 |
俺たちのドミソだ、と。 |
タモリ |
でも、ドビュッシーって人は、
音楽大学のときに
和声法で落第しちゃってんですけどね。 |
山下 |
よく知ってるねー‥‥へえ。 |
タモリ |
これでいいんだっつってやったら‥‥。 |
糸井 |
ダメだ、と(笑)。 |
タモリ |
ダメだと言われて、ドビュッシー落第。 |
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<つづきます> |