はじめてのJAZZ2ヒストリーもたのしみなりー!ほとんどまるごと再現ツアー

#13 1940−1960年 モダンジャズの誕生 余った指で探しはじめた

タモリ ま、いろいろパクリはするんだけれども
大胆なこともやってんです、ドビュッシーって人は。
山下 あっはは(笑)
糸井 ドビュッシー、お好きなんじゃないですか?
タモリ 好きですよ。大胆にパクるところとか。
糸井 それだけ、どん欲だったってことでしょうね。
タモリ でも、こういう時代を経て、
ジャズも大きく変わっていったんです。
ドミソの和音のベースになる音っつったら
「ド」なんですが、
ピアノじゃ、これすら弾かなくなっちゃう。
山下 ベーシストに任せるようになるんですね。
タモリ で、余った指で‥‥。
山下 そう、おもしろい音を。
タモリ ナインスだとかイレブンスだとかいう音を、
余った指で探しはじめて、
本当に「オタク化」していくんですよ。
 
糸井 あの‥‥理論的なことは
よくわからずに聞いてるんですけど、
楽しそうですね、それ。
ああ、遊んでるんだな‥‥っていうか。

なんだか、鉄道マニアの話のようで(笑)。
タモリ あー‥‥。
糸井 あの鉄橋がどうした、とか語ってる
タモリさんを見るのは、嫌いじゃないですから。
それに今、だんだん近づいてる(笑)。
タモリ 鉄道はおもしろいです。
山下 あっはは(笑)。
タモリ 200系のコンプレッサー音が‥‥とかね。
糸井 わかります、その気持ち。
言ってることは、よくわかんないけど(笑)。
タモリ だから、ドミソ以外の音を探すことによって、
アドリブなんかも、
さらに自由度が高くなっていくわけですよ。
糸井 これもアリだぜ、が増えてくる。
タモリ そう、そうなんです。
山下 で、そういう即興演奏のウデを競うために
ミュージシャンたちが集まってきたのが、
ニューヨークの「ミントンズ・プレイハウス」っていう
ジャズクラブだったんですよね。
タモリ 毎晩毎晩、ライブが終ったあと、
その「ミントンズ・プレイハウス」に集まって、
みんなで技術を磨いていった結果、
「ビバップ」というジャズが生まれてくる。
糸井 ははあ‥‥でも、彼らプレイヤーにしてみたら
タイヘンな時代が来ちゃったってことですよね?
タモリ ええ、テーマというより、アドリブ中心ですから。
山下 そういうところは、あるよなぁ。
糸井 ああ‥‥でもそれって、
音楽が、もともと持っていた楽しさだとも
言えなくはないですよね。
タモリ そう。バッハなんかの時代は
ぜんぶ、アドリブでやってたわけですし。
山下 モリタ教授が言ってたように‥‥。
タモリ ベートーベンが悪いんですよ!
音楽に深刻なものを持ち込んだんです。
山下 もっとも、バッハもモーツァルトも、
楽譜はとうぜん書いているわけですけど、
アドリブは、できたからね。

アドリブ大会みたいなものに出場して、
相手をやっつけたりしてたんだから。
糸井 テーマとかっていうものは
保存したり運搬したりするためには
便利ですけど、
たとえなくても、音楽はやれますもんね。
山下 そう、アドリブの考えさえ持ってれば。
糸井 その中心が、ニューヨークだった。
山下 ニューオーリンズからシカゴ、
そしてニューヨークへとね、移っていったんです。
糸井 アメリカの歴史自体と、並行してるみたいですね。
タモリ 重工業から、商業に移っていったとも言える。
糸井 なるほど、だから第三次産業の中心点である‥‥。
タモリ ニューヨークに、移っていった。
それが、モダンジャズというものなんです。
 
<つづきます>

今日のジャズ語

ビバッブ
楽譜どおりの演奏に飽きていたジャズメンたちは、
場末のクラブでセッションを繰り広げた。
これに目をつけた
ジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」のオーナーが、
タダで食事を提供するといってミュージシャンを集め、
客を呼び込んだ。
この夜ごとのセッションが、ビバップに発展していく。
2008-03-19-WED