ほぼ日 |
「タモリさんが植草さんの
レコードコレクションを
引き取ったという話は本当ですか?」
という読者メールをもらったのですが
これは本当なんですか?
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高平 |
植草さんが亡くなってからわかったんだけど
生命保険にも入ってなかったみたいで
残された奥さんにはほとんど
お金が無かったらしんです。
それで、一円でも多く奥さんに渡るように
ぼくらでお葬式を手伝って、
なんとか葬式代で200万くらい
儲けたんですよ。
これは儲けたというのか?(笑)
それでも奥さんは大変だっていうんで
膨大な遺品の中を処分することになり、
作家の片岡義男さんには本を
高平はレコードをということになりました。
当時、いろいろな人に
「植草さんのものはどこかまとめて図書館に
管理してもらうか
植草甚一記念館でも作って‥‥」
なんてことを言われたりもして、
もちろん図書館にもかけあったけど
そんな予算もないし、スペースもない。
誰も引き受けてくれないんだよ。
本の方は片岡義男さんの知り合いの、
渋谷の古本屋に
引き取ってもらうことになったけど。
レコードの方は結局、忍びなくてさ、
植草さんのレコードを
ばらしちゃうというのは。
自分で買い取るという方法もあったけど、
自分も一番、お金の無い時期だったし。
今もちょうど一番お金の無い時期かな(笑)。
真ん中くらいにお金がある時期も
あったけど(笑)。
それでね、タモリのことをふっと思いついて、
留守番電話で
「タモリ悪い、植草さんの
レコードを買ってくれって」
って頼んだんですよ。
「全部で4000枚くらいあって、
いいものもあるし
悪いものもあるかもしれないけど、
ともかくタモリ、絶対損はしないから」
って。
今後、何年か経って
植草さんのレコードが全部
タモリのところにあるということになれば、
タモリは損はしないって思いがあったんです。
78年だからレギュラー番組は
『うわさのチャンネル!!』が
決まったばかりの頃。
植草さんとタモリは
面識無かったはずなんだけど、
植草さん、早稲田大学の
モダンジャズ研究会の顧問だったらしくて。
タモリも「見たことはあるんだ」って
言っててね。
ぼくがタモリと親しくし、
植草さんと親しくしてるけど
お互いの関係はなかったんですよ。
でも、タモリは快く引き受けてくれたんです。
4000枚ちかくあったアルバムの中には、
傷だらけのひどいものもあったみたい。
でも、それがあらゆるところで
話題になった時に、
タモリの格が上がるんだよな(笑)。
でも、せめてレコードだけでも
という一ファンの願いは
タモリのおかげで叶ったんです。
小物なんかは、イベント会社に
『植草甚一展』っていうのを開いてもらって、
東京は高島屋でやったのかな。
東京、札幌、京都の3カ所でやりました。
そこで鉛筆一本まで全部、売っちゃた!
鉛筆にしても、
植草さんが自分で削った鉛筆だからさ(笑)。
坪内祐三くんは、当時、
鉛筆一本を100円で買ったとか言ってたな。
コラージュなんかもあったな。
植草さんは自分の書いた文章に、
かならず古い図版みたいなやつを
切り貼りしてコラージュを載せてたんだよ。
それももうひとつの植草さんの顔でね。
イラストじゃなくてコラージュ。
それも全てきれい残らずに売ってしまった。
ファンが買いに来るんだから、
ファンがもっている分には
記念館に閉じこめておくより
いいんじゃないかと当時、思ったんだよ。
そこで得たお金も全部奥さんにあげてね。
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ほぼ日 |
ファンの方の方が大事に
とっておいてくれそうですね。
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高平 |
うん。遺品はそうやって
全て売ってしまったけど、
今、スクラップブックという形で
70年代に植草さんの書いたものを
ばらして再編集した
植草甚一全集を復刻してるんですよ。
毎月3冊づつ出してるんだけど
そのスクラップブックの目次でも、
映画もあればジャズもあれば
ロックもあるし、
探偵小説やヒッチコックだけに
ついて書いたものを集めてみたりだとか。
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ほぼ日 |
たとえば、ヒッチコックの巻だったら
ぼくらにとっての
「はじめてのヒッチコック」に
なるわけですね。
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高平 |
まさしく、そうなんだよ。
『ヒッチコック万歳!』という
タイトルだけど。
それこそいろんなジャンルについて
植草さんは書いてあるんだけど、
なぜが西部劇とミュージカルについてだけは
ほとんど書いてない。
どうやらあまり好きじゃないらしいんだ。
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ほぼ日 |
そこはピンと来なかったんですかね。
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高平 |
ミステリーは好きだけど、
ギャングものみたいなものは
喜ばないんだよ。
でも、フランスのギャングものは
なぜか好きなんだよ。
「いいねえ」なんて言ってるんだけど
楽しんでいるところが
ぼくらとどうも違うんだよな。
「『オーケストラの少女』のどこがいい?」
って話をしてた時に植草さんは
「指揮をする時に前から2番目に座っている
イギリスの紳士がいい目を
してやがるんだよ」って、
こういうことをいうわけだよ。
そんなの知らねえよ(笑)。
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ほぼ日 |
本気でおっしゃってるんですよね。
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高平 |
本気なんだよ。(笑)
言葉もさ、「〜してやがる」みたいな
下町生まれだから江戸前の口調で、
非常にかっこいいおじいさんだったね。
だけどね、
奥さんは京都の人で
梅子さんっていうんだけど、
奥さんのことを
「梅公!」なんて呼んでさ、
すごく亭主関白な一面もあるんだよ。
亡くなってからさ
ある雑誌が植草さんを特集することになって、
奥さんにインタビューしたらしいんだけど、
もう内容がボロクソでさあ。
タイトルが
「バカは死んでも直らない」(笑)。
もう、おもしろすぎて。(笑)
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ほぼ日 |
京都の人だけに結構、
きついこと言ってるんでしょうね。
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高平 |
そうかもねえ。(笑)
亡くなった時、奥さんさぁ、
「せいせいしたって」言ってたもん(笑)。
でも、山下さんやタモリ、
糸井さんにしても、
自分の中のジャズを探っていたときに
ジャズ喫茶や植草甚一に、どこかで
ひっかかっちゃうんだよね。
だから今回のイベントでも
「そうそう」と懐かしがられることより
もっと若い人達に、
昔、ジャズ喫茶があったことや
『話の特集』『ビックリハウス』『宝島』が
あったことを知ってもらうほうが、
よっぱどいいのかなと思うんです。
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(このコンテンツはこの回で終了です。
続きは4月2日の新宿紀伊國屋ホールで
じっくりお楽しみください!)
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