- 息子
- 今日は、よろしくお願いします。
- 父
- はい。よろしくお願いします。
- 息子
- ……
- 父
- ……
- 息子
- こんな感じで話をすることって、初めてですね。
- 父
- うん、そうだね。
- 息子
- ちょっと本題と、関係ない話をしてもよいでしょうか。
- 父
- どうぞ。
- 息子
- 最初からこんな話で申し訳ないんですけど、
実は僕、自分の家がじゅうたんやだってことが、
すごくコンプレックスだったんです。
今でこそ、こうやって親父と話せてますけど。
- 父
- うん。
- 息子
- 子どものころ、
色んな人から「将来は、じゅうたんやさんだね」って
言われるのが、とにかく嫌だったんです。 - 父
- (苦笑)
- 息子
- どこに行っても「じゅうたんやの息子」って
色眼鏡で見られる気がしたし、
まだ世の中について何も知らないのに
「将来は、じゅうたんやさん」とかって言われても
「勝手に決めんなよ!」って気持ちで(笑)。
そういうのがあって、
家の仕事についても、じゅうたんについても、
距離をとっていった時期というのが、長くあって。 - 父
- そうだったんだ。
- 息子
- その分、今日はすこし、
不思議な感じなんですけど。 - 父
- そっか。…あと今思ったけど、(父が)家の中で、
子どもと会社やじゅうたんについて
話すってことも、無かったね。
子どもが育ってきた時期が、
会社にとってすごく大変な時期と重なっていたし。
- 息子
- たしかに。聞かなかったです。
- 父
- 今だとお互いがちょっと、
話をしやすい状況なのかもしれないね。 - 息子
- そうかもしれないです。
今日は、今まで聞けなかったこととか、
聞きづらかったことも含めて、色々話せれば。 - 父
- そうだね。話しましょう。
- 息子
- 最初から、大きな質問になってしまうんですけど、
じゅうたんのいちばん根っこにある、
本質的な価値って、何なのでしょう? - 父
- 本質的な価値。
- 息子
- たとえば、同じように家の中にあるものでも、
ベッドやテーブルやイスには、
家具として「それがないと困る」って
側面があると思うんです。
でも、じゅうたんって極端に言えば、
「なくても大丈夫なもの」ですよね。 - 父
- そうだね。
うん、ほんとうの極論を言えば、
「なくてもいいもの」でしょう。 - 息子
- 機能的には「なくてもいいもの」だけど、
それでも人に喜んでもらえる価値の源泉って、
どこにあるのかなと思って。 - 父
- たしかに家具と比べると、
その必要の度合いというのは、明確に違うね。
それは、そこに携わる人たちの
多さにも、表れているかもしれない。
たとえば、家具のデザイナーというのは、
日本にたくさんいるんです。
- 息子
- はい。
- 父
- なぜかというと、
家具のデザイナーになりたいと思ったら、
学校の中にそのデザインを学べる学科もあるし、
専門学校だってある。
そこに携わりたい人たちが、
学んで育っていくための環境が整えられている。
それだけ家具というものは、
人々の生活にとって「必要」なものなんです。
でもこれが、
じゅうたんのデザイナーとなると途端に少なくなる。 - 息子
- 普通に暮らしていたら、
学ぶ機会も環境も、ないですもんね。 - 父
- やっぱりその状況ひとつとっても、
じゅうたんというのは、
家具のような「必要性」があるものじゃなくて、
基本的には「ぜいたく」なんだと思います。 - 息子
- 基本的には「ぜいたく」なものかぁ…。
でもなんというか、
そんなに贅沢ぜいたくしてない感じもするんだけど。 - 父
- それはきっとその「ぜいたく」が、
内側を向いたものだからじゃないかな。
- 息子
- 内側を向いたもの?
- 父
- 外側を向いたぜいたくを考えると、
分かりやすいかもしれない。
高級な腕時計をしている、仕立ての良いスーツを着ている、
ラグジュアリーブランドのバッグを持っている、
格好良いスポーツカーに乗っている。
そういう種類のぜいたくは、
外から見ても分かりやすいものだよね。
そのぜいたくに気付いた周りから、
羨ましがられる気持ち良さもある。 - 息子
- たしかに。
- 父
- それに比べてじゅうたんは、
家の中の床に敷いてあるものなんです。
基本的に、外の視線に触れるものではない。
だから最初の前提として、
ぜいたくではあるんだけど、
そのぜいたくの向かう先が、
すごく内側にあるものだと思うんです。
- 息子
- あぁ、なるほど…。
- 父
- 誰に見せるわけでもないけど、
自分が毎日暮している場所に、
それがあるとうれしい。
友人やお客さまが自宅に来てくれたとき、
そこでくつろいでもらえるのがうれしい。
そういう「内側を向いたぜいたく」や
「内側を向いた喜び」というのが、
じゅうたんの根っこにあるものだと思います。 - 息子
- 「内側のしあわせ」というか。
- 父
- そうだね。
会社で、じゅうたんは「客人をもてなすもの」という
言い方をしているんだけど、
この「客人」という言葉には、
自分自身も含むと考えているんです。 - 息子
- 自分自身も、もてなすもの。
- 父
- うん。
お客さまも自分も含めて、
そこで時間を過ごす人たちが、
足元がふかふかで気持ちよかったり、
デザインを眺めて心が落ち着いたり、
内側の豊かさを感じられるもの。
それがじゅうたんの根っこにある、
価値なんじゃないかな。
撮影:Kodai Kobayashi
(つづきます)