- 息子
- 僕も今、実際に
自分の家でオリエンタルカーペットの
じゅうたんを使っているんですけど、
お世辞じゃなくいいなぁと思うんです。
それといっしょに暮らすことで、
何か特別な変化が生まれるわけじゃないんだけど…。 - 父
- 大きな変化があるとかじゃないよね。
- 息子
- 誰に見せるわけでもないし、
自分のためだけにあるものなんですけど。
それでもふとした瞬間、
やっぱり良いなぁと思うことがあって。
- 父
- うん。
- 息子
- 今、ベッドの近くに敷いてるんですね。
それで朝起きて、ベッドから踏み出した後の
一歩目にじゅうたんがあると、
すごく気持ちよくて。
じゅうたんには、そういうふうに、
実際の暮らしの中で感じる
うれしさや気持ち良さがあると思ってて。 - 父
- おもしろいのは、じゅうたんは敷物として
置かれただけじゃ、未完成ってことですね。
まずは、物理的な配置がある。
家の中には、天井があって、壁があって、
照明があって、窓があって。
そのバランスの中で、
どこに持ち主が敷いてくれるのか。 - 息子
- はい。
- 父
- そのあと、置かれた場所で、
毎日どんなふうに使われて、
どんな人たちが時間を過ごしていくのか。
そういったことを含めて、
じゅうたんがその空間に溶け込んでいく。
その空間に「おさまって」いくんです。
- 息子
- その空間に、おさまっていく。
- 父
- それで、その空間の中に
ぴったりと「おさまった」じゅうたんって、
すごく生き生きしているんですね。
それは、お金をかけた豪華な建築物の中で、
手入れが行き届いている状態が美しいとか、
そういう意味じゃなくて。
そこで過ごす人たちの手や心をかけられた
じゅうたんは、その空間にとてもよく映えるんです。
- 息子
- …わかる気がします。
- 父
- だからね、うちのじゅうたんを
はじめて買ってくれたお客さまには、
「このじゅうたんは、まだ半人前の姿なんです」
って、言ってるんです。
お客さまの建物や自宅におさまって、
そこでの暮らしと時間があって、
初めてじゅうたんに命が吹き込まれる。
そんな話をしています。 - 息子
- ただ単に、敷物としてあるだけじゃなくて。
- 父
- そう。だからこの仕事をしていて、
その「おさまった」姿のじゅうたん、
生き生きと敷き込まれたじゅうたんに出会う瞬間は、
それがどんな場所であっても、
いつだってうれしいよね。 - 息子
- なるほどなぁ…。
- 父
- あとね、じゅうたんってやっぱり、
使ってもらって、さらに良くなっていくんですね。
敷かれて、おさまって、使われて、
どんどん風合いが良くなる。
- 息子
- うん、うん。
- 父
- たまに、長く使い込んで頂いたじゅうたんが、
工場に里帰りしてくることがあります。
お客さまに買って頂いたじゅうたんが、
さらに長く、気持ちよく使えるように
クリーニングをしているんだけど、
そこに50年以上使われていたものが、
戻ってくることがある。 - 息子
- 50年…。
- 父
- それでね、大切に使って頂いた
じゅうたんというのは、すぐ分かるんですよ。 - 息子
- どんなふうに、分かるものなんですか?
- 父
- それは(じゅうたんの)表面の汚れ具合とかも、
もちろんあるんだけど、
そういうところだけではないんです。
だって所詮、敷物なんだから、
人に踏んで汚して使ってもらって当然。
でも大切に使われていたじゅうたんは、
不思議と「そういう表情」をしているというか。
- 息子
- そういう表情をしている…。
- 父
- 我々がつくっているじゅうたんは、
何十年経っても、ものとしては全く問題ないんです。
特に「手織り」、手で職人さんが
織っているじゅうたんに関しては、
たとえ100年使ってもらっても大丈夫。
でもだからこそ、大切に使ってもらったときには、
それを感じさせるような、表情が出るんだと思います。 - 息子
- この応接間に敷かれたじゅうたんは、
何年ぐらい経っているんですか? - 父
- これは会社の設立時からなので、
70年以上、経っているんじゃないかな。 - 息子
- 70年かぁ…。
そんな感じ、まったくしないけどなぁ。 - 父
- そうでしょ。
撮影:Kodai Kobayashi
(つづきます)