もくじ
第1回プロローグ 2016-06-28-Tue
第2回うちがわを向いた、ぜいたく。 2016-06-28-Tue
第3回そこに「おさまった」姿。 2016-06-28-Tue
第4回1日、1センチずつ進む。 2016-06-28-Tue

1990年、
山形県生まれ、
山形県育ち。

シティ・ボーイに
憧れて、
片田舎から上京。

音楽界隈で、
荒波に飲まれつつ、
サバイブ中。

たのしいことばかり
ありますように。

じゅうたんやの父と息子が
はじめて、
じゅうたんのはなしを。

担当・シータカワタナベ

第3回 そこに「おさまった」姿。

息子
僕も今、実際に
自分の家でオリエンタルカーペットの
じゅうたんを使っているんですけど、
お世辞じゃなくいいなぁと思うんです。
それといっしょに暮らすことで、
何か特別な変化が生まれるわけじゃないんだけど…。
大きな変化があるとかじゃないよね。
息子
誰に見せるわけでもないし、
自分のためだけにあるものなんですけど。
それでもふとした瞬間、
やっぱり良いなぁと思うことがあって。

うん。
息子
今、ベッドの近くに敷いてるんですね。
それで朝起きて、ベッドから踏み出した後の
一歩目にじゅうたんがあると、
すごく気持ちよくて。
じゅうたんには、そういうふうに、
実際の暮らしの中で感じる
うれしさや気持ち良さがあると思ってて。
おもしろいのは、じゅうたんは敷物として
置かれただけじゃ、未完成ってことですね。
まずは、物理的な配置がある。
家の中には、天井があって、壁があって、
照明があって、窓があって。
そのバランスの中で、
どこに持ち主が敷いてくれるのか。
息子
はい。
そのあと、置かれた場所で、
毎日どんなふうに使われて、
どんな人たちが時間を過ごしていくのか。
そういったことを含めて、
じゅうたんがその空間に溶け込んでいく。
その空間に「おさまって」いくんです。

息子
その空間に、おさまっていく。
それで、その空間の中に
ぴったりと「おさまった」じゅうたんって、
すごく生き生きしているんですね。
それは、お金をかけた豪華な建築物の中で、
手入れが行き届いている状態が美しいとか、
そういう意味じゃなくて。
そこで過ごす人たちの手や心をかけられた
じゅうたんは、その空間にとてもよく映えるんです。

息子
…わかる気がします。
だからね、うちのじゅうたんを
はじめて買ってくれたお客さまには、
「このじゅうたんは、まだ半人前の姿なんです」
って、言ってるんです。
お客さまの建物や自宅におさまって、
そこでの暮らしと時間があって、
初めてじゅうたんに命が吹き込まれる。
そんな話をしています。
息子
ただ単に、敷物としてあるだけじゃなくて。
そう。だからこの仕事をしていて、
その「おさまった」姿のじゅうたん、
生き生きと敷き込まれたじゅうたんに出会う瞬間は、
それがどんな場所であっても、
いつだってうれしいよね。
息子
なるほどなぁ…。
あとね、じゅうたんってやっぱり、
使ってもらって、さらに良くなっていくんですね。
敷かれて、おさまって、使われて、
どんどん風合いが良くなる。

息子
うん、うん。
たまに、長く使い込んで頂いたじゅうたんが、
工場に里帰りしてくることがあります。
お客さまに買って頂いたじゅうたんが、
さらに長く、気持ちよく使えるように
クリーニングをしているんだけど、
そこに50年以上使われていたものが、
戻ってくることがある。
息子
50年…。
それでね、大切に使って頂いた
じゅうたんというのは、すぐ分かるんですよ。
息子
どんなふうに、分かるものなんですか?
それは(じゅうたんの)表面の汚れ具合とかも、
もちろんあるんだけど、
そういうところだけではないんです。
だって所詮、敷物なんだから、
人に踏んで汚して使ってもらって当然。
でも大切に使われていたじゅうたんは、
不思議と「そういう表情」をしているというか。

息子
そういう表情をしている…。
我々がつくっているじゅうたんは、
何十年経っても、ものとしては全く問題ないんです。
特に「手織り」、手で職人さんが
織っているじゅうたんに関しては、
たとえ100年使ってもらっても大丈夫。
でもだからこそ、大切に使ってもらったときには、
それを感じさせるような、表情が出るんだと思います。
息子
この応接間に敷かれたじゅうたんは、
何年ぐらい経っているんですか?
これは会社の設立時からなので、
70年以上、経っているんじゃないかな。
息子
70年かぁ…。
そんな感じ、まったくしないけどなぁ。
そうでしょ。


撮影:Kodai Kobayashi

(つづきます)

第4回 1日、1センチずつ進む。