めんどうだけど、今日も表現しよう。
第2回 生きてるうちは、ニヤニヤと。
- 糸井
- 人生を変えるような経験、もう何万回もしゃべってる?
- 浅生
- そうですね。
- 糸井
- 大事件が浅生さんの身の上に起こって‥‥。
- 浅生
- 31歳の頃にオートバイに乗っていて
大型の車とぶつかって、
すごく危険な状態で病院に運び込まれる大事故。
1年ぐらい入院して、しばらくずっと車椅子生活でした。
しばらくの間は意識不明で、
まったく意思の疎通が取れない状態だったんです。
- 糸井
- その状態が何日ぐらい続いたの?
- 浅生
- 正確にはわからないんですけど、多分10日ぐらい。
妻の日記とか見るとわかると思うんですけど‥‥。
- 糸井
- 大変だったね。
- 浅生
- 病院に運ばれて手術を受けて、
その日の夜がヤマなんですよね。
妻はちょうど海外出張で連絡をとる術もなくて
ここで死んだら、
妻にものすごく怒られるって思ったんですよ。
もう死ぬのはわかってたので、一言ごめんって伝えたら
そんなに怒られずにすむだろうって。
結局、海外にいる妻に連絡を取るのに1日かかり、
日本に戻ってくるのにもさらに中1日、
結局病室で会うまでに2日ぐらいかかっちゃったんです。
だから、その間に峠を越しちゃった。

- 糸井
- 謝らなきゃならないから?
- 浅生
- もう、とにかく謝るまでは死ねないと思って。
- 糸井
- ちょっとした意識はあるんだ。
- 浅生
- 病室に来た妻に、ごめんって謝ってから
意識がなくなったんですよ。
- 糸井
- 愛の物語と言えなくもないですよね。
- 浅生
- もう怒られたくない一心でした。
入院していた病室に僕と同じような事故にあった人がいて、
年齢も同じぐらいだったんです。
その人は、事故の相手が大きな会社の社長さんかなんかで
初期の段階から弁護士が来て「3億は堅いですよ」
みたいな話をしていて。
僕は無保険の車だったので、びた一文出ない状態で。
とにかく早く社会復帰して働かなきゃいけないので
一生懸命リハビリしたんです。
同じ病室だった人は、治れば治るほど慰謝料が減るので
そんなにリハビリを頑張らなかったんですよ。
結果どうなったかっていうと、
僕は歩けるようになったんですけど
その人はたぶん、まだちゃんと歩けない状態で。
- 糸井
- ものすごい経験ですね。

- 浅生
- でも、彼の気持ちもすごくわかりますね。
もし逆の立場だったら、
ほんとに1秒でもリハビリ遅らせて
同じことをやっただろうな、って思うんですよね。
- 糸井
- それはそうだね。
- 浅生
- 一瞬ですけど、身体で体験して
「死ぬとは何か」をちょっと理解したんですよ。
よく死ぬのが怖くないから、
俺は何でもできるみたいに言う人がいるけど
それは嘘ですよ。
僕も死ぬことはそんなに怖くないですけど、
死ぬのはやっぱり嫌ですから。
怖いのと嫌なのって別なんじゃないかな。
- 糸井
- きっと、より死ぬことが嫌になるでしょうね。
- 浅生
- より嫌になるというよりも
なんか、すごく淋しい。
- 糸井
- 浅生さんは若くして年寄りの心をわかったね。
ぼくは年を取るごとに、死ぬことの怖さが失われてきたの。
映画の最後に、自分が「お父さん」とか呼ばれながら
死ぬシーンをもう想像してる。
何か一言いいたいじゃない。
それをしょっちゅう更新してます(笑)。
結構長いこと、「あー、おもしろかった」って言うのが
理想だなって思ってたの。
嘘でもいいから、そう言ってから死のうと思ってたけど
この頃は違うんです。
さぁ、命尽きるっていう最期に、
「人間は死ぬ」って言うって決めてる。

- 浅生
- そこで真理を言うんですね。
- 糸井
- 人間は死ぬもんだから
それを一応みなさまへの最期の言葉にかえさせて
いただきたいと思いますよ。
浅生さんは、過去にそういう経験をして、
死ぬことがリアルになったときに
生きるってことを考える機会がきっと多くなりましたよね。
- 浅生
- そうですね。だからといって
何か世の中に遺したいって気は毛頭なくて。
僕は死ぬということが、すごく淋しいことだと体験したので
生きてる間は「楽しくしよう」みたいな。
日頃からニコニコするのは上手じゃないので、
ニヤニヤして生きていこうみたいな感じです。
- 糸井
- そのまとめ方って、なんか展開がなくていいね(笑)。
ニヤニヤで全部まとめちゃうもんね。
- 浅生
- そうですね。ニヤニヤして生きていきたい。
- 糸井
- カブリオレとか買うじゃないですか、
そういう時もニヤニヤですか。
- 浅生
- ニヤニヤですね。自分自身が楽しむだけじゃなくて、
車を見た人たちが派手な車だとか、
いろんなことを言うじゃないですか。
そういう周りの反応も想像して楽しめるというか。

- 糸井
- 車の屋根がないだけで
ちょっとおもちゃっぽくなりますよね。
味の素スタジアムから東京まで、
カブリオレに乗せてもらったことがありましたね。
普段乗ってる車と同じ速度でも、
スピードが出てるような気がして
ちょっと怖いというか、
バイクに乗ってる感覚に近かったですね。
そういう緊張感があるときって、ニヤニヤしがちですよね。
- 浅生
- 先生に怒られてるときとか、ニヤニヤしちゃいますね。
- 糸井
- そういうことで怒られますよね。
神戸でニヤニヤして生まれて‥‥
お母さんとは、震災のときに
お互いに連絡とらないことって決めたんだよね。
- 浅生
- そうですね、生きていればそのうち連絡とれるし、
死んでりゃどうやっても連絡とれないから
まぁ、慌てないことですかね。
- 糸井
- わかりやすいですよね。
- 浅生
- 母もすごく合理的な考えだと思うんですよね。
- 糸井
- そういう考え方も親子で似てますね。
- 浅生
- 母も他人に興味がないんです。
自分のことで、もういっぱいいっぱいというか。
もちろん、相手の気持ちは考えますけど、
僕は優しい人間なので
「この人はこういうふうに感じてるだろうな」って
わりとわかるほうではあるんです。
だからといって、そこを何とかしてあげたいとまでは
思わないんですよね。

- 糸井
- でも、女川の手伝いとか
そういうのはするじゃないですか。
- 浅生
- そうですね。僕が楽しいからやってるのであって
嫌なら行かないですから。
- 糸井
- きっかけは神戸で震災を経験をしたからですか。
- 浅生
- 震災のとき、神戸にいなかったんですよ。
当時、座間(神奈川県・座間市)の方にある
大きな工場みたいな所で働いていて。
そこの社員食堂のテレビで
神戸の街が燃えているのを観てたんです。
死者が2千人、3千人って増えるたびに周りが
「おぉーっ!」とか、
言ってみればもう「やったー!」みたいな感じで
盛り上がるんですよ。
まるでゲームを観ているかのように
盛り上がってることがちょっと耐えられなくて。
それで神戸にすぐ戻って、水を運んだり
避難所の手伝いをしたりしてました。
- 糸井
- お母さんは、その現場にはいなかったの?
- 浅生
- 実家は大丈夫でした。祖父母の家は潰れちゃったんです。
神戸に戻ったときは、まだ街が大変な状態のときで。
- 糸井
- もし、被害のあった場所が神戸じゃなかったら
また違ってたかもしれない。
- 浅生
- 多分、僕は現地に行ってないと思います。
もしかしたら、あのときテレビの画面を観ながら
「2千人超えたー」って言う側にいたかもしれない。
そこだけは、常に「やったー」って言う側にいないとは
言い切れないので、むしろ言っただろうなって思います。
- 糸井
- それは、すごく重要なポイントですね。
自分が批難してる側にいないって
自信のある人ではないって大事なことですよね。
- 浅生
- 僕、いつも自分が悪い人間だっていうおそれがあるんです。
人は誰にでも良いところと、悪いところがある。
自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対する
恐怖心もすごくあるんですよ。
だけど、それをなくすことができないので、
僕はあっち側にいるかもしれない、っていうのは
いつも割と意識してますね。

- 糸井
- どっちの自分が出るかっていうのは、
そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
- 浅生
- わからないです。
- 糸井
- 「どっちでありたいか」っていうのを
普段から意識してるってことが、ギリギリですよね。
- 浅生
- 例えば、マッチョな人が
「何かあったら身体を張って、みんなを守ってみせるぜ」
って言ったとしても、いざその場になったら
その人が最初に逃げることだって十分考えられるし。
それが人間なので自分も同じように
「みんなを捨てて逃げるかもしれない」って
不安を持って生きてるほうが、
いざというときに踏みとどまれるような気はするんですよ。
- 糸井
- 自分がどっちでありたいか、
選べる余裕みたいなものを作れるかどうか。
このときも大丈夫だったから、こっちを選べたなってことは
足し算ができるような気がするんだけど、
一色には染まらないですよね。