めんどうだけど、今日も表現しよう。
第3回 自分で決断する勇気。
- 糸井
- 浅生鴨インタビューって、ほんとに難しいですよ。
- 浅生
- わりと丁寧に答えてはいるんですけど、
その答えの方向が求められてるものと違うらしくて(笑)。
- 糸井
- そうなのかな。
いや、違ってもいないですよ。
次の質問をさせない答えなので、
1つ終わるとそれで話が一旦終わっちゃう。
- 浅生
- ご飯の食べ方もそうなんですよ。
普通はお弁当や定食って、
おかずとご飯をバランスよく食べますよね。
僕は1品ずつ全部食べるんです。
- 糸井
- やめなさい、それ(笑)。
三角食べとかもあるじゃないですか。
- 浅生
- 1品ずつキレイになくなっていつもご飯だけ余るんです。
- 糸井
- ご飯は最後なんだ。
そういえば、さっきバイトの子が
「浅生鴨さんのコーヒーを買ってきたんです」って
言ってたから‥‥微笑ましく思ってたら
浅生さん全然飲みゃしない。

- 浅生
- 慌てて飲んでます。
- 糸井
- でも、仕事も1つずつやるタイプでもないじゃない。
- 浅生
- いや、1つずつやるタイプだから大変なんです。
並行して同時に進められなくって
こっちが終わるまでは他の仕事に手が出せない。
- 糸井
- そうですか。
これまでインタビュアーになったこともあるでしょ?
- 浅生
- インタビューすごく得意です(笑)。
- 糸井
- 相手がちょっと何とかしてあげたいって
思っちゃうんだろうね。
- 浅生
- 相手が話し始めたら
わりと黙ってじっと聞いてるんですよ。
テレビのインタビューだとカメラが回ってるので、
普通はインタビューする人って焦っていろいろ聞くんです。
だけど、カメラが回っていても、こっちが黙ってたら
相手が沈黙に耐えられなくなって
自然といろいろ言い始めるんですよ。
うっかりしゃべっちゃうこともあって
結構なネタを拾えたりします。
- 糸井
- ちょっとわかります。
聞く側としては辛いけど、聞かれる側でも辛いもん(笑)。
- 浅生
- すみません。
- 糸井
- 日常で会話をしてる分には楽しい奴だぜ、なんだけどね。
- 浅生
- 孤独に耐えられるので、沈黙も全然怖くないんです。
- 糸井
- 多少の思いやりとかないもんなのかね。
相手は孤独とか沈黙は嫌だよ。
- 浅生
- 嫌だと思いますけど、まぁ僕じゃないので。

- 糸井
- (笑)
- 浅生
- でも、頼まれた相手にちゃんと応えたいっていうのが
過剰なことになっていくような気はするんですよ。
もし10頼まれたら、頼まれた通り納品して終わりというのは
ちょっと気が済まない。
12ぐらい‥‥いや、16ぐらい返すっていう感じに、
やりたいことは期待に応えたい。
何ですかね、これは受注体質なんでしょうか。
- 糸井
- 入り口は受注だけど、それを利用してやりたいことが
その機に乗じて持ってこられるような感じ。
- 浅生
- そうなのかなぁ。
- 糸井
- ご自身の公式ホームページとかもそうじゃないですか?
- 浅生
- 話題になるホームページの作り方を相談をされて
じゃあ、お見せしますよってことで作ったんです。
NHKにずっといて
自分からやったのって東北の震災のあとにCMを2本。
要は神戸の話をしようと思って
17年経って日常を取り戻した
『神戸の今』っていうCMを作りたかった。
神戸で暮らす人が大変な思いをしたけど、
必ず戻るものがあるっていうことを伝えたくて
でも、「何で東北じゃなくて神戸なんだ」って
企画が通らなかったんです。

- 浅生
- 17年経ってやっと笑えるようになったとか
やっぱり覚悟は必要でしたね。
まず東北に行って、作ったCMを観てもらって
感想を聞いて回ると、これなら平気だって
たくさんの人が言ってくれたので
自腹で勝手に作っちゃったんですよ。
結局、最後の最後にNHKがお金を全部出してくれたので、
家庭が崩壊せずに済んだんです。
- 糸井
- 東北の震災のあとの2年くらいって
ここぞとばかりに夢を語る時期があった。
ミーティングをしてるときに、神戸の震災から17年経って
ようやく最後のテント村がなくなって‥‥って
話をしてたら、涙声になっちゃった女性がいたんだよね。
今は気休めが欲しいって人と
ロジックで考えられる人の両方がいて
実はどっちも必要なんです。
その当時、自分の中でどう使い分けるべきかって
いっぱい考えさせられた時期だったね。
- 浅生
- そうでしたね。
- 糸井
- 震災の時にNHKの放送をそのまま配信していたサイトを
自分の独断で許可しますってつぶやいて
ツイッター史上、日本のSNS史上に残るぐらいの
大きな決断だと思うんですけど、あれは自分からですよね。
- 浅生
- ツイッターで
「何でNHKはリツイートしないんだよ」って言われて、
確かに、これはやるべきだなって思ったんです。
- 糸井
- それって、すごく「決断だな」って言えるのと同時に
「これは決断しちゃうでしょう」っていうような
雰囲気があったよね。
逆らって磔になるようなことしたわけじゃなくて
その大きな波っていうのを読めた瞬間ですよね。
- 浅生
- いいことですからね。
- 糸井
- すごく昔のような気がするね。
- 浅生
- 5年前ですね。僕が1番緊張したのは
「これからユルいツイートします」って
書いたときですかね。
サイトで流すのを許可するのは、
最悪クビになるだけじゃないですか。
日常的なことをつぶやくことに、相当悩みました。
何度も文章を書き直して、ほんとにこれでいいかなって。
要するに1人で舵切ろうとしたんで
まぁ、必要だろうなぁってことで始めたんです。

- 糸井
- やってみないとわからないことだからね、
悩んだっていうのもわかりますよ。
- 浅生
- どうハレーションしていくのか、わからないので。
それによって、逆に人を傷つけてしまうかもしれないって
恐怖はありました。
- 糸井
- ぼくも毎日原稿を書いていて、
なにか書くだけでもピリピリとした時期でしたね。
- 浅生
- 震災の直後から、こっそりと女川に行って
だんだんNHKのツイッターやってた人が
どうも行ってるっぽいって広まって。
よくメディアの人って一次情報が大事だって言うんですけど
そこに行ったからといって、
全部見てるわけではないのであんまり信用はしてなくて。
でも、少なくとも自分が知る範囲では知れるっていう
安心感はあるんですね。
自分で動いて、見て感じたことを、ちゃんと言える。
実感がないまま、何かを言うのは
ちょっと嫌だなと思ったんです。
- 糸井
- 震災直後に早野龍五さんが
東北にしょっちゅう呼ばれて行ってたじゃない。
あの回数が一次情報ってものだと思う。
現地から呼ばれるだけの頼られ方をしているし
ぼくらが、しょっちゅう東北に行ってるんですよって
言ってもねぇ。
時間が経ったら来なくなっちゃうんだろうねって
心配されても不動産屋と契約したから2年はいますよって
そういう誰でもできることぐらい。
- 浅生
- 僕は寄付したくなかったので、
福島に山を買ったんです。
大した山ではないんですけど、
毎年固定資産税を払うことになるんですよ。
うっかり忘れてても
勝手に引き落とされるのでその山を僕が持ってる限りは
永久に福島のその町とつながりができる。
- 糸井
- 嫌だなっていう思う感覚が似てるんじゃないかな。
ぼくら2人とも意地悪なんだろうね。
- 浅生
- 僕は意地悪じゃないです(笑)。
- 糸井
- いや、要するにいっぱい嫌なものがあるんですよ。
その嫌なものって「何で嫌なんだろう」って考えると、
「自分はそういう嫌なことしたくないな」って
思うことなんだなって。
- 浅生
- 僕はストラクチャーを構築するんです。
- 糸井
- いい訳してる(笑)。
- 浅生
- システムにしちゃえば
何もしなくてもそうなっていくので。

- 糸井
- 会社の予算に組み込んじゃうとかね。
「人って嫌なことするものだ」とか
「いいことって言いながら嫌なことするもんだ」とか。
そういう意地悪な視線っていうのは、
明らかに浅生さんのエッセイや小説とか読んでても
そういうもんだらけですよ。
裏を返せば優しさって言ってくれる人もいる。
- 浅生
- 人間って、誰しも裏表はきっとみんなあるのに、
自分にはないって思ってる人がいることが
不思議なんですよね。
- 糸井
- そうね。「私はそっちに行かない」とかね。
それこそ、浄土真宗の考えなんじゃないですか。
縁があればするし、
縁がなければしないんだよっていう話でさ。
東洋にそういう考えをした人がいたおかげで、
ぼくはほんとに助かってますよ。
- 浅生
- もともと、仏教って「何かしたい」「何かが欲しい」って
思うこと全てが苦行だから
それを全部捨てると悟れるっていう。
だから、別に何かやりたいことがなくてもね。
- 糸井
- ブッティスト的な考えを持った時期があったの?
- 浅生
- まったくないです。一つの質問に対して
やっぱりすぐ終わっちゃいました。
- 糸井
- 「ドコノコ」ってアプリを考えたとき
本部機能がないってことで、
浅生さんがフリーになったばっかりのタイミングで
一緒にやることになって、立ち上がりのメンバーですよね。
- 浅生
- そうですね。
- 糸井
- ドコノコの「ほんだな」のページと全体の構造、
ストラクチャーをね。
- 浅生
- はい、ストラクチャーの構築をやっています。
- 糸井
- この仕事は何ていうんだろう、
NHK_PRの仕事にも似てるんじゃない?
- 浅生
- ちょっと似てますよね。
早くパソコンでもやれるようになってほしいと思ってて。
- 糸井
- 参加してもらってから、もうどのくらい経つの?
- 浅生
- フリーになってからすぐだったので、もう2年ですね。
女川には「ドコノコ」を登録してる人はいなかったんです。
- 糸井
- 被災地はいないんですよ。
海沿いの気仙沼にもいなかった。
- 浅生
- 石巻まではいたんです。
ずいぶん震災の被害があったところですけど、
登録してる人がいて、夢中になってフォローしてきました。
ご近所とか、やっぱり絶対数が少ない分
ちょっとコメントしたりすると、
すぐに反応が来て、石巻方面はすごく小規模な火が‥‥。
- 糸井
- 登録者8万とかいるんでしょ。
野球場2つで試合をしてるみたいなことですからね。
すごいことですよ。
ハートマークを付けて、キャッキャやってる人が
いっぱいるわけだからね。