浅生鴨×糸井重里対談
浅生さんの辻褄のこと
第3回 犬の話
- 浅生
- ぼく、ずっと神戸で生まれ育って、
高校を出てから東京にやってきたんです。
- 糸井
- 神戸で、何をしていたんですか?
浅生さんのおうちでは犬を飼ってらっしゃったんですね。
- 浅生
- 犬はね、もう思い出すと悲しいんですよね。
かわいい、かわいい、
柴とチャウチャウのミックスという、
どう見ていいのかわからない犬がいたんです。
ぼくが中学のときか高校の始めぐらいに
子犬としてうちにやってきて。
本当に頭のいい犬で言うことも聞いていました。
実家の広い庭が、山につながってるような場所なので、
そこで普段から放し飼いにしてたんです。

- 糸井
- 半野生みたいな。
- 浅生
- 子犬のときからそういう感じだったんですね。
だから、勝手にどっかに行ってて
「ご飯だよー」って呼ぶと、山の向こうから
「ワウワウ!」って言いながら、
ガサガサっと現れるような、ワイルドな犬。
高校卒業後にぼくが東京に出てきて、
神戸の震災のあと親も東京に出てきました。
でも、そのとき犬は連れてこれないので、
母が東京と神戸を行ったり来たりして、
週に何回か家に帰ってエサとか水とかを用意していました。
- 糸井
- お母さんが半分ぐらいずつ
行ったり来たりしてる時期っていうのは、
何年ぐらい続いたんですか?
- 浅生
- 6年くらいだと思います。
それで、結局、犬は年老いて17歳18歳なり‥‥。
最終的に犬が山から戻ってこなかったんです。
ぼくが神戸に帰るたびに、大声で呼ぶと
犬が山の中から現れてたのが、
ついに現れなくなったんですよ。
普通に考えると、年も取っていたし、
山の中で亡くなったんだろうな、と思うんですけど。
姿を見てないので、
亡くなったって信じきれない感じが
どうもあるんです。
ほんとは山の中でまだやってるんじゃないかな、
という思いが1つ。
もう1つは、ぼくとか母が東京にいる間、
もちろん山の中は楽しかっただろうけど、
時々家に戻ってきたときに誰もいないのは、
ほんとに淋しかっただろうなっていうことです。
犬に対しては、淋しい思いさせるのが
1番悪いな、という思いがありました。
- 糸井
- その当時は、「彼女は彼女で、悠々自適だ」
っていうふうに思ってたけど、
それはそうとは限らなかったなと。

- 浅生
- 無理してでも東京に連れてくれば良かった。
貧乏生活でしたから、
あんまりそんなことできないんですけど。
それでも何とかして東京連れてきたほうが、
もしかしたら淋しくなくて、
走り回れはしないけど、
少なくとも誰か人といるようにできたかなと。
もうそれを思うと後悔がやみません。
- 糸井
- 今まで浅生さんのお話では、犬のその話は
まず、長く生きてた犬だってことを
語っていませんでしたよね。そして、
「山と家の間を行ったり来たりしてたんだけど、
ある日呼んだら来なかった」という、
おもしろい話として語られていました。
でも、時間軸をとると、切ない話ですね。
- 浅生
- 切ないんです。
でも、物事はだいたい切ないんですよ。
- 糸井
- クライマックスのおもしろいところだけを
聞いていたので、小説のようなお話だったんです。
案外、リアリズムというのは悲しいですよね。
- 浅生
- 悲しいんです。
だから、そういうところでぼくは
嘘をついちゃうわけですよね。
悲しいところを、常に削って、
おもしろいとこだけを提示している。
だから、突きつけていくと、いろいろと
あれあれ? みたいなことが
いっぱい出てきちゃうんですよね。

- 糸井
- でも、だいたい人ってそれを
薄めたようなところ、ありますよね。
そのことをもう2段ぐらい深くまで聞くと、
言いたくないことにぶち当たるっていうか。
- 浅生
- 多分、人をそれこそ2段階掘ると、
その人が思ってなかったこととかが
出てきちゃうじゃないですか。
そこがおもしろくもあり怖くもある。
あんまりそこを聞いちゃうと、
この人の本当のことを聞いてしまうっていう‥‥。
- 糸井
- それって、水面下の話にしておきましょう、
っていう約束事が、
お互いが生きてくときのために
あるような気がしますね。