もくじ
第1回嫌いな人を、追いかける 2016-12-06-Tue
第2回つなぎとめられたのは、なぜ? 2016-12-06-Tue
第3回わたしたちは、どこへ行くのか 2016-12-06-Tue

長野県出身東京都在住。1981年生まれ。趣味は食べ放題です。クレープとカニが好き。

Tw:@yunico_jp

わたしの嫌いな人

第3回 わたしたちは、どこへ行くのか

彼女が転職してしまったので、毎日は会わなくなったが、
塾では普通に話すようになっていた。
いらいらしていた発端が、仕事と会社に関係していたので、
その枠から外に出たことで、気分が変わったのかもしれない。

ほぼ日の塾の帰りに、ごはんでもと寄った居酒屋で、
その日、初めて、ふたりでお酒を飲んでいた。
「箱根、行ったことないんですよ」
当たり障りのない会話の中で、ふと彼女が言った。
「箱根からわりと近くに住んでいるのに機会がなくて・・・」
近くに温泉があるのに、行ったことないなんてもったいない。
「じゃあ今度、一緒に行く?」
思わずそう言ってしまって、自分が一番びっくりした。
お酒が入っていたとはいえ、突然温泉に誘ってしまったのである。
話すようになってまだ間もないし、今もよくわからない距離感なのに、
自然と口から出てしまったのだ。
慌てて「時間ないよね」「突然言われてもって感じですよね」などと、
言い訳を並べてごまかそうとしたのだが、
彼女は「日程を確認しますね」とだけ言い、断らなかった。
そうして突如、日帰りの箱根温泉旅行が決まったのである。

この間まで嫌っていた人との温泉旅行…
約束の日が近づいてくるにつれて、どんどん複雑な気持ちになってきた。
冷静になった彼女が「なんでわたしがあの人と温泉に…?」と、
キャンセルしてくるのではないだろうか?
それより心配だったのは、彼女が気を使ってどう断ればいいかわからず、
困っているのではないか、ということだった。
自分でもなぜ、こんなことを心配をしているのかわからない。
「断ってもらっても構わないですよ」
「無理していないですか?」
「用事があったら遠慮なく言ってくださいね」
迷っていたら断りやすくなるかなと、何度もメッセージを送ったのだが、
彼女からはポツリと「楽しみにしています」の返事だけが届いた。
本当はどう思っているかはわからなかった。
でも、彼女はこれが初めての箱根なのだ。
せっかくなら、楽しかったと思ってほしい。
最寄りの駅から箱根へのアクセスや、温泉施設の情報などを、
わたしはせっせと、細かく調べて何度も送った。

退職のこと、塾のこと、そして突然決まった旅行。
一気にいろいろなことが変化して、わたしの気持ちにも変わっていった。
もう今までのことをこのままにしてはおけないと思った。
自分の言い分はあったけれど、この間まで彼女を嫌っていたのは事実だし、
一方的に避けたり、意地悪のようなこともした。
今までとは違う関係で彼女と向き合うなら、過去をきちんと謝りたい。
ごまかしたままで進むのは、卑怯な気がした。

11月の箱根はすごく寒くて、混んでいて、紅葉がきれいだった。
箱根湯本駅から少し離れた場所にある、露天風呂がメインのその温泉は、
4種類の露天風呂とサウナが楽しめる。
しかし、この季節の露天風呂は当然だけれどめちゃくちゃ寒い!
すぐに一番大きな露天風呂へ飛び込むように入った。

そして例の話を、わりとすぐに、わたしのほうから切り出した。
落ち着かなかったから、早く気持ちの整理をつけたいという、
自分本位な気持ちからだったのかもしれない。
「いろいろ謝りたい。今までのことで」
大きな露天風呂から、温度が少しぬるい白色の露天風呂に移ったときに、
思い切って打ち明けた。長くなるかもと、ぬるいお風呂を選んだのだった。

家族への考え方のスタンスが違うと感じていたこと。
違うところを見るたび、いつも追っていらいらしていたこと。
いらいらが積みかさなっていつの間にか「嫌い」と思い込んでいたこと。
反対にすごく気になってしまい、本当は話したかったこと。
避けていたり、ときには攻撃的な態度をとって、ごめんなさい。
もっと言いづらいかと思っていたけれど、
自分の気持ちだからかすらすらと言えた。

「実はわたしも…」
気まずそうに、彼女も話し始めた。
彼女も、わたしのことを嫌いだと思っていたという。
そしてなんと、その気持ちをツイッターに吐き出していたそうだ。
わたしや会社の人は知らない、いわゆる「裏アカウント」という場所で、
大いにわたしへの文句を綴っていたらしい…!(笑)
「避けられているのに気がついて、きっとそのツイートがばれちゃったんだ!と思って慌ててアカウントごと消したんです…」
ツイッターの話は全く知らなかったので、驚いたけれどおもしろかった。
「言わなければバレなかったのに!」爆笑しながら言うと、
「ごめんなさい!ああ、言わなければよかった… いや、でも言わない訳にも…」彼女は慌てて言った。
わかるよ、わたしも全部話して謝りたかった。
それにしても、そのツイッターにはどんなことが書かれていたのだろう。
今となっては読めない、彼女が怒りに任せて書いたわたしの悪口を、
少し読んでみたい気もした。

お互いが告白したことで、期せずして喧嘩両成敗に落ち着いた。
あんなに嫌っていたというのに、拍子抜けの和解だった。
口に出してしまうと大したことじゃなかったみたいにすっきりしたし、
実際、大したことじゃなかったのかもしれない。
きっと、わたしの中で作られた「わたしの嫌いな人」が、
勝手にむくむくと、肥大化していただけだったのだ。

一度お湯から上がり、併設されたレストランでお昼ごはんを食べた。
そういえば、ちゃんと正面から顔を見たことがなかったな。
この人ってこういう顔をしていたんだと、
まじまじ見つめながら、一緒にごはんを食べた。
でこが狭いわたしに対して、彼女はでこが広い。
自分と違うところを見つけても、いらいらはしなかった。

少し休んでから、最近サウナにはまっているので彼女も誘った。
熱いと言って彼女はすぐに出てしまう。
「じっくり入らないと、このあとの水風呂が気持ちよくないよ!」
「はい…、もっとがんばってみます!」
今度はそこにあった砂時計の砂が落ちるまで我慢しようと提案したが、
90度のサウナはやっぱり熱い。早く出たい気持ちもよくわかる。
砂が全部落ちるまであと少し…!というとき、薄暗いサウナの中で、
ふたりが前のめりで、残りの砂をじっと見つめていておかしかった。
この間までお互い嫌いだと思っていたのに、
今は裸で、すっぴんで、汗だくで、タオルを頭に乗せたりなんかして、
砂が落ちるのを今か今かと一緒に待っている。
もう、どんなふうに嫌いだったかが、よく思い出せない。

ほぼ日の塾がなかったら、わたしと彼女の関係はどうなっていたのだろう。
きっと、話すことなく、二度と会わなくなっていたと思う。
そのままでもよかったのかもしれないけれど、
こっちの方がもっとよかったと今は思っている。

わたしと彼女をつないでいた塾も、もうすぐ終わる。
みっともないところも全部見せてしまっているのだから、
彼女との関係がこのまま終わるのは少しさみしい。
これからのことはわからないけれど、
もしかしたらまた、彼女を温泉に誘うかもしれない。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
実は、この「わたしの嫌いな人」は、
わたしだけでなく、「彼女」も同じテーマで書いています。
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