SAABというのはスウェーデンの自動車メーカーで、
元々はスウェーデン軍の戦闘機をつくる航空機会社だった。
なかなか経営が上手くいかず、
数々の企業の傘下に入ったものの
ついには会社ごとなくなってしまい、
今はもう、SAABというブランドも消滅してしまった。
SAABという車については、世界で初めて
実用的な市販車にターボエンジンを載せたとか、
世界でも最も安全な車のひとつだったとか、
シンプルで機能的な北欧デザインだとか、
その性能やデザイン、歴史や哲学など、
語り出したら止まらないマニアもたくさんいるし、
「モノ」として伝えたい魅力も数多くある。
だけど、自分はなぜSAABが好きなのか、
その想いに向き合うと、
カタログに書いてあるような情報ではなく、
一緒に過ごした時間や風景、
そしてそのときの感情が浮かんでくる。
今から16年前、
僕は、初めてもらった冬のボーナスを頭金にして、
中古のSAABを買った。
スカラベグリーンと名付けられた
深い緑色のボディーがとても美しかった。
1998年式。
1998年といえば、長野オリンピックで
スキージャンプの金メダルに日本中が沸き、
夏の甲子園・決勝で、
松坂大輔がノーヒットノーランを達成した年だ。
Windows98やスケルトンボディのiMacが発売され、
糸井さんは「ほぼ日刊イトイ新聞」を創刊した。
モーニング娘。や宇多田ヒカルが
デビューしたCD全盛の時代に、
新車のSAABに付いていたのはカセットデッキだった。
僕がSAABを買ったのは2001年、
iPodが発売された年で、
このころから車のデザインには、
ヘッドライトが吊り上がった鋭い顔つきが
増えていったように思う。
SAABが僕のところやって来た日から
僕の中でSAABは、「サブちゃん」という、
恥ずかしいくらいベタで、
だけどそれ以外に名付けようのない
家族のような、友達のような存在になった。
SAABに乗るのではなく、サブちゃんと出かける。
駐車場に停まっているのではなく、そこに「いる」。
モノに使う動詞ではなく、
生き物に使う動詞で話したくなる不思議な関係。
仕事中、駐車場で静かに留守番している姿を
想像するのが好きだった。ただそれだけで、
読みかけの小説を持って出かけるときのような、
ワクワクした気持ちになれた。
道で、よその家のSAABとすれ違うときが好きだった。
異国の地で日本人と出会ったときのような、
「おーい」と挨拶したくなる、
ちょっとおかしなテンションになった。
ふぉん、と鳴る、
やさしいクラクションの音が好きだった。
カタカナではなく、ひらがなで表現したい音。
人柄の良さが滲み出ている人と話すような、
おだやかで幸せな気分になれた。
こいつは一体、何なんだろう。
どうしてこんなに好きなんだろう。
恋ではなく、友情に近い気持ち。
親子ではなく、仲のよい兄弟みたいな感じ。
犬や猫を飼ったことがないから分からないけど、
もしかしたら、人とペットの間にある気持ちというのは、
こういう気持ちのことなのだろうか。
(続きます)