田中さんをお迎えする部屋で、
ブルーハーツの「リンダリンダ」をかける糸井さん。
- 糸井
- ……あれ? 来ないね(笑)。
(♪写真には写らない 美しさがあるから)
- 糸井
- 間が悪いなぁ……。
(♪リンダリンダ!)
- 田中
- (踊りながら部屋に入ってくる)
- 糸井
- (笑)
きょうのテーマは「人生」ですよ。いま、話題がピークでしょ。
- 田中
- 無職になってからですね。
- 糸井
- 僕が田中さんを最初に認識したのは、確か東京コピーライターズクラブのリレーコラムですね。2年くらい前ですよ。誰かが田中さんのコラムを紹介していて、読んでみたら面白くて。「また若いひとが出てきたなあ。27、8歳かな」なんて思っていて。
- 田中
- 46、47のオッサンだったっていう。
- 糸井
- あれって、嫌々やる仕事ですよね。でも、田中さんは嫌々やっているように見えて、あまり嫌ではなかったんですか。
- 田中
- あれはもう、初めてのことなんで、「あ、自由に文字書いて、必ず明日には誰かが見てくれるんだ」と思ったら、うれしくなったんですよね。
- 糸井
- ああ、それは確かに嬉しいなあ。それまで個人で何かを書いたりはしてなかったんですか。
- 田中
- 一切なかったですね。仕事で、キャッチコピーだったら20字程度、ボディコピーでも200字とか。それ以上長いものを書いたということが、人生でないですから。それまでで一番長かったのは、大学の卒論まで遡りますけど、ひとの本の切り貼りですから、書いたうちに入らないですね。
- 糸井
- ちなみにそれは何の研究なんですか。
- 田中
- 芥川龍之介の『羅生門』ですね。小説だけで原稿用紙200枚くらい書きました。もういろんなひとの本を切ったり貼ったりしたんですけどね、とんでもないところから切ったり貼ったりしたんですよ。たとえば小説の中できりぎりすが出てくるんですけど、「じゃあ、1100年代の京都にいるきりぎりすはどんな種類なのか」みたいなまったく無関係なことを延々と。
- 糸井
- ほう。
- 田中
- いまとちょっと近いかもしれないですね。
- 糸井
- のちに僕らが「秒速で1億円稼ぐ武将 石田三成~すぐわかる石田三成の生涯~」で味わうようなことを、大学の先生が味わったわけですね。
- 田中
- それ以降はほんとうに真面目な広告人で、実質20年くらい、テレビCMの企画ばかり。コピーっていっても、「来てね」みたいな一言くらい。だから、Twitterが現れたときに、「何か文字を書いてひとに読まれる」ということに飢えていたって感覚はありましたね。
- 糸井
- そして西島知宏さんの「街角のクリエイティブ」で映画評みたいなのを書くんですね。
- 田中
- そうですね。電通の先輩で、在籍していたときはまったく関わりがなかったんです。
- 糸井
- え、そうなんですか。
- 田中
- そしたらある日、突然大阪を訪ねて来られて、会いましょう、と。大阪のヒルトンホテルで、一人前6000円くらいする和食をご馳走になって。そしたら、「食べましたね、いま」と。「はい、食べました」と答えまして、そしたら「つきましてはお願いがあります」となり、うちで映画評を連載してください、と言われたんですね。
- 糸井
- はあ。
- 田中
- 分量はどれくらいでいいかと聞いたら、「Twitterとかだと2、3行で映画評をしているところもあるから、それくらいでいい」と言われまして。「え、いいの? 2、3行書けば仕事になるんですね」と。
- 糸井
- なるほど。
- 田中
- そう言われたので、映画を観て、翌週に、とりあえず7000字書いて送りました。