47歳「青年失業家」。コピーライターが7000字書く理由
担当・園田菜々
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第3回 書きたいことがあるというより、おしゃべりがしたいんです
- 田中
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今、「青年失業家」として岐路に立っているのは、「コピーライターのついでに何かを書いているひと」ではなくなってしまったことですね。「ついでに何かを書いているひと」じゃなくなりつつあるので、どうしたらいいんだろう、と。
- 糸井
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ふたつ方向がありますよね。書くことで食っていけるようにする、というのがプロの道。それから、書くことが食うことと関わりなく自由でいられるのがアマの道。
- 田中
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そうですね。
- 糸井
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僕はね、それについてはずっと考えてきたんですよ。で、僕はアマチュア。書いて食っていこうと思うと、自分がいる立場が突然面白くないように思えてきた。いつまでたっても旦那芸でありたいというか。そういう場所じゃないと、「いい読み手」である書き手ではいられないような気がしたんですよね。
田中さんは、まだ答えが出てないですよね。
- 田中
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そうなんです。
- 糸井
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どうなるんだろうね。
- 田中
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僕の「糸井重里論」というのがあるんですけど、糸井さんはそうやって好きに旦那芸として書くために、大きな組織を作って、回して、物販もして、自分のクライアントは自分っていう立場を壮大に作り上げたんですよね。
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- 糸井
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そうですね。僕が目指しているのは、「キャッチャーズ・イン・ザ・ライ」なんですよ。「ライ畑で捕まえて」というのはタイトルからして誤訳で、あれは「俺はキャッチャーだから、その場所で自由にみんな遊べ」っていう話。
- 田中
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管理人なんですね。
- 糸井
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そうなんです。それで、その場を育てたり、譲ったり、そこで商売する人にこう、屋台を貸したりみたいなことが僕の仕事で、その延長線上に何があるかって言うと、僕は書かなくていいんですね。
ひとってね、書くってところに、ある種のカリスマ性を求めるでしょう。僕はそういう順列からも自由でありたい。だから、超アマチュアとしての一生を終えれば、それでもう満足なんですよ。
- 田中
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そうですね、僕は書くようになってまだ2年ですけど、書くことの落とし穴はすでに感じていて。つまり、それは独善的になっていくってことです。「僕はこう思う」というのを、毎日毎日書いていくうちに、いつのまにか右か左に振り切ってしまっている。
- 糸井
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世界像を安定させたくなるのかもしれないですね。ただ、その全能感って、書いているとき以外にも追っかけてくるんですよね、たぶん。
- 田中
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そう、で、僕は別に特に言いたいことや主張したいことがあるわけではないんです。やっぱり、読み手からスタートしているから。よく「田中さん、そろそろ小説書きましょうよ」とか言われるんですけどね。
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- 糸井
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必ず言われますよね。
- 田中
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やっぱり、「これを言いたくて文章を書いている」っていうのはないんですよ。たとえば何か木があったりして、「あ、この木いいですね。木っちゅうのはですね……」とおしゃべりがしたいんです。
- 糸井
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僕自身は結局のところ、「ご近所の人気者」になりたいんですよ。「ご近所の人気者」というのは、中崎タツヤさんの『じみへん』っていう作品に出てくるんですけど。一番近いところで僕を人体として把握しているひとたちと「今日も機嫌ようやっとるな」とお互いに言い合うような。
- 田中
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ああ、なるほど。
- 糸井
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そしてそれが、物理的なご近所と、気持ちのご近所と、両方あるのが今なんでしょうね。アマチュアであることと、ご近所感っていうのは、けっこう隣りあっているんですよ。