短歌は短い言葉で表現されている分、
読み手は歌に対していろいろと想像を広げることができます。
例えばこんな歌。
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐 ※
夏目漱石が I love you. を「月が綺麗ですね」と
訳した逸話がありますが(諸説あるようです)、
これはそれを背景に詠まれた歌ではないでしょうか。
「月いいよね」という相手に対して「ぼくはこっちだから」と
共感を示さずにそそくさと帰る様子がユーモラスです。
この歌をちょっと踏み込んで解釈してみましょう。
“君”が言った「月いいよね」という言葉にはどういう意図があったのでしょうか。
1.I love you の意図をもって言った
2.”君”は全く何も知らずに感想として言った
3.漱石の逸話を知っていてそれを避ける言い回しで言った
1〜3のいずれの可能性もありそうです。
1の場合、”ぼく”は”君”の発言が漱石の逸話になぞらえたものだと汲み取ってその上でそのムードを回避するために「こっちだから」と応じなかったという構図になります。
2はどうでしょう。
この場合、”ぼく”の対応は完全に自意識過剰であると言えます。
”君”はただ月が好きなだけで”ぼく”は「そうだね」と共感を示しても、その先の発展はなかったでしょう。
最後に3です。
実はこの可能性が結構高いのではないかと思っています。
というのも月に対して「いいよね」という言い回しは
あまり自然に出てくるものではないように思うからです。
月を「綺麗」とか「まるい」のように表現することはあっても、
「いい」と言い表すことはなかなかありそうにありません。
そう考えると”君”は漱石の逸話を知っていて、
言葉に過剰に意味が含まれないように敢えて「綺麗」ではなく
「いい」という言葉を使ったのではないかと考えられます。
それでもなお、”ぼく”はそこに意味を読み取り「こっちだから」と”君”に告げる。
”君”も”ぼく”も過剰にいい雰囲気になることを
避けた瞬間を捉えた歌であるという情景が浮かんできます。
たった三十一文字からどんどん想像と解釈は膨らんでいきます。
短歌は「削ぎ落とし」の美学であるとも言われますが、
その分読み手の受け取りかたに委ねられるところも多く、
読み返すたびに新しい発見に出会うことができるのです。
※永井祐(2012)『日本の中でたのしく暮らす』 BookPark
(つづきます)