ビートルズが好き、と自覚したのは、実はごく最近です。
でも、人生のところどころにビートルズが登場するなとは
思っていました。
中学生の頃、母と幼馴染がサプライズで誕生日祝いを
してくれた時、流れていたのは“Birthday”でした。
3年前、自分の結婚式では、誓いの後に
“All you need is love”を生演奏で弾いてもらい、
その後の披露宴では、“Octopus’s Garden”で入場しました。
2年前の新婚旅行では、ミュージカルの『Love』を観に、
ラスベガスまで行きました。
※シルク・ドゥ・ソレイユが手掛けるビートルズの曲で
構成されたミュージカル
今年、夏のボーナスで買ったものは、来日50周年記念に
作られたビートルズのゴルフバッグ…と、実はあげれば
きりがないくらい、人生にビートルズが登場するのです。
そんな私の一番初めのビートルズは、本当に小さな頃まで
遡ります。
我が家でずっと流れている音楽、それがビートルズでした。
当時はカセットテープだったので、Love me doから始まり、
Yesterdayで終わると、ひっくり返して今度はHelpが始まる。
ビートルズが大好きな母によって、繰り返し、繰り返し、
何度も流されていました。
こうして、『The Beatles 1962-1966(通称“赤盤”)』の曲順で
覚えてしまった私の耳は、Cant’ Buy Me Loveが終わったら、
A Hard Day’s Night冒頭のジャーン!が続いてくれないと
肩透かしな気分になるという厄介な癖がつくほどに。
なので、私は大きくなるまで、あまり曲名を知らなかった。
比較的、サビや特徴的な歌詞が、そのままタイトルに
なっていることが多いので、大体はわかるのですが、
時々まったくわからないままのものがあります。
大人になって、あの曲がこれか!と分かった時に、
完成を諦めていたパズルがすっと出来上がるような
嬉しい気持ちも、私がビートルズに惹かれ続ける理由の
1つかもしれません。
思えば、私の周りの大人たちは、ビートルズ好きが多かった。
母は20代の頃、テレビ局で働いていたのですが、辞めてからも
ずっと可愛がってくれていた鈴木さんという上司がいました。
鈴木さんは、小さな頃から私たち親子を大変可愛がってくれたのですが、
根っから音楽が好きな鈴木さんと母が、よくしみじみと語る話がありました。
それは、ジョン・レノンの訃報を初めて聞いたとき。
テレビ局で、資料整理をしているときに、ラジオの緊急速報で
流れてきた彼の訃報だったそうです。
がやがやと騒がしい中で、穏やかな鈴木さんが、
「ちょっと静かにして!」と慌ててラジオの音量を上げた…
いつも忘れられない瞬間として20年経っても、30年経っても、
この場面を何度も良く話してくれて、それを聞くたびに
その時の衝撃や驚き、悲しみを同じように感じている気分に
なっては、何をどう切り出していいかわからな気分になるのでした。
特にビートルズが好きな母が話すエピソードは、何気ない日常で
触れてきたビートルズの話が多く、それを聞くのも好きでした。
私が触れたビートルズは、母がきっかけでしたが、
3人兄妹で年離れた末っ子だった母にとっては、
兄妹がきっかけだったのかもしれません。
兄がアコースティックギターで練習していたのが
“And I Love Her”とか、
姉が音楽教室でデタラメな歌詞で歌ったのが
“All My Loving”だったとか、姉・兄を通じてみたものが
身近に感じるビートルズだったようで、その話を聴くたびに、
50年近く前に、実家の豆腐屋の2階で、
職人さんたちが働く音を後ろに若かりし三兄妹が
ガヤガヤと練習するイメージが浮かんで、
とてもほっこりとする気持ちになるのでした。
(つづきます)