2018年12月24日で31歳になりました。
31歳にもなると、友だちや親戚の結婚式に10回以上参加しています。
結婚式では、たのしみにしていることがあります。
それは、花嫁のお父さんのことばや表情に触れることです。
ぼくは、挙式や披露宴での「花嫁のお父さん」が好きなんです。
涙をこらえながら花嫁をエスコートする姿、
泣きながら謝辞をのべる姿を見て、
なぜだか小学生の頃から泣いていました。
なんでこんなにも感動してしまうのだろう。
それは、花嫁のお父さんのなかで、もっとも相反する感情
「かなしい」と「うれしい」がからみ合っているからじゃないかなあ。
「娘が巣立っていくかなしみ」と
「娘の幸せをよろこぶ」気持ちがごちゃ混ぜになっているんです。
大学時代の部活のマネージャーの結婚式に参加したとき、
花嫁のお父さんの最後の挨拶は、
相反する感情がぶつかって、お父さんがボロ泣き。
「あ、あ、あ、あ、あ」と、30秒以上かけて
「ありがとうございました」を口にする。
ことばとことばの間にある沈黙と呼吸は、
ことば以上に娘への想いを伝え、
部活の同期全員がもらい泣きをした。
ボランティアで知り合った女性の結婚式に参加したとき、
花嫁を抱きしめるお父さんの表情が、
これまたすてきだったんです。
娘をぎゅっと抱きしめている間は、
娘が自分の表情を見ることはないため、
この世のおわりのような表情を浮かべていた。
でも、抱きしめた手をそっとはなし、
娘の肩に手をやり、娘と目を合わせた瞬間の表情は、
かなしみの成分なんて1ミリリットルもない、満面の笑みでした。
お見事です。
ああ、自分の娘が結婚したら、ぼくはどんな風になってしまうんだろう。
娘も、お嫁さんも、ましてや彼女もいないのに、
今からソワソワしています。