エチオピアでヒッチハイクをしたとき、
ヒッチハイクした車が横からバスに突っこまれた。
だれもケガはしなかったんだけど、
車がへこんでしまったので、警察署へ行くことに。
警察署といっても立派な建物ではありません。
外の牢屋に10人以上の囚人たちが詰め込められていて、
手を出しながら「おーい、おーい」と
話しかけてくるような場所だ。
運転手同士が警察と話しあってるとき、
バスの乗客のひとり、Amareという名前の青年に出合った。
彼にAmareの意味を聞いてみると、
照れくさそうに小さな声で「ハンサムなんだ」と教えてくれた。
「えっ、ハンサム?たしかに、ハンサムだもんね」なんて言ってると、
「実はもう1つ、いい天気っていう意味があるんだ。
晴れ、雨、晴れ、雨と、晴れと雨が繰り返される天気のことも
Amareといういうんだよ」と教えてくれた。
晴れと雨、どっちもあることが、「ハンサム(美男子)」、
つまり、晴れと雨、どっちもあることが、うつくしい。
この話を聞いて、ぼくはうれしくなった。
そして、晴れと雨どっちもある天気が好きになった。
日本では「雨のおかげで、、、」という会話より、
「雨のせいで、、、」という会話のほうが多いと思う。
雨は天気のなかで、ちょっとした嫌われ者だ。
そのあとに会いにいったエチオピアのハマル族は、
雨がふった翌日、雨がふったよろこびを表現するため、
手拍子をしながらみんなで輪になって踊っていた。
彼らにとっては、食物を育て、飲み水にもなる
雨はよろこびそのものなのだ。
「暮らしのなかで、どんなことが一番うれしいですか?」
ハマル族の長老にぼくは聞いた。
「雨がふることが、一番うれしいね」と長老は言った。
日本の雨がエチオピアに行ったら、照れちゃうね。