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優しくて頼りない男たち。
糸井
そういえば、かぐや姫の「神田川」という歌は、
上村さんとは何にも関係ないんですよね。
上村
関係ありませんね。
「同棲時代」のあとかな。
糸井
でも、インスパイアされてるのは確かだと思うんですよ。
どうしても、「同棲時代」と「神田川」は、
歴史が過ぎた今になると、
テーマが重なっちゃうんですよね。
「神田川」の歌詞には、
「ただ貴方のやさしさが怖かった」という
詞がありますが、その解釈を巡る議論が、
ぼくも含めて、みんな大好きなんですよ。
「同棲時代」 ©上村一夫
上村
いろんな説が出てくるんですか。
糸井
あるんだと思います。
「優しさ」と「怖さ」ですからね。
上村
でも、それはだいたいの作品に描いてありますね。
糸井
ぼくは、男が持っている「優しさ」っていうのは、
イコール「腰が引けてる」ということでもあり、
ズルさでもあると思います。
幸せにしてやれない自信のなさを、
優しさでくるんでごまかしてるものだから。
そこに、女の人が気づいてしまうんだと
ぼくは解釈していました。
上村
まさにそうですよね。
糸井
この展覧会場には、上村さんの描く
男像についての解説がありました。

優しくて頼りない男たち

上村の作品は、女性が主人公だが、
その脇を固める男は総じて頼りない。
上村が自分の中にある男としての
不甲斐ない部分を反映させ、
懺悔の気持ちが込められていたのかもしれない。
「同棲時代」の江夏次郎は、優しい青年。
優しいが、気弱なところがあり、頼りない。
売れないイラストレーターの卵である次郎に
心の余裕はなく、仕事がうまくいかないと今日子に
八つ当たりをしてしまう情けない男である。
大人になりきれず、一途な今日子の愛を
受け止められないまま、逃げてしまう次郎の弱さ。

ーー『上村一夫 美女解体新書』解説より抜粋
「同棲時代」 ©上村一夫
糸井
「そう!」と思った。
ぼくは、自分が「優しい男」だった時代、
さんざんなめられたり、
いさかいを起こしたりしていた
当時のしょうもなさを、
年取ってからわかるようになった。
でもそれは、女の人からは
見破られてるんだとわかったんだけど。
それを、上村さんは描いていたんだ。
上村
描いていたんですね。
糸井
そこが今日、この会場で一致しました。
「おいら江戸っ子でぃ」っていうのも弱さだし、
「寒くないかい?」みたいなのも、みんな弱さなんです。
その男の持ってる、根源的な弱さみたいなものを、
いつ、男は卒業するんでしょうね。
上村
うちの父は、卒業しないまま亡くなりました。
糸井
描いているのは、しょっちゅうその話ですよね。
上村
そうなんです。弱さの塊ですよ。
糸井
上村さんは女を描いているんだけど、
同時に男論でもあるんです。
女を描かないと、その男像は生まれないんで。
その意味では、ぼくが、こんな年になってやっと、
上村さんの文章と面と向かえたと思って。
すごいですね、運命ですね。
上村
そうですか。
糸井
若いうちはね、わからないんですよ。
ぼくは上村さんに言われたことあるんです、
「糸井さんは、正義漢なんですね」って。
ほめたかのようにバカにして言われたことがあって。
上村
えー、感じ悪いですね。
糸井
そう、ちょっと感じ悪いんだけど、
「それが、見えるんだ」っていう悲しさがあった。
10歳ぐらいしか離れていないのに、
それ以上の距離があるように感じました。
そう言い合える関係も悪くないですけど。
上村
父は、そういうこと言うんですよね。
糸井
しかも、言われるといやなことを、
上手に言うんですよね。
上村
子どものときに、私も言われました。
「お前は子どものときはいいけど、
 大人になったらダメだ」って。
糸井
また、痛いことを(笑)。
上村
もうずっと、それが気になっちゃって。
糸井
呪いのひと言だね。
上村
ほんと、呪いですよ(笑)。
糸井
あと有名なのはね、
「男と女は勝ち負けじゃないですよ」って。
上村
へえ、そういうこと言うんですね。
糸井
あとは、どうでもいい話で言うと、
「男はくるぶしです」っていうのも。
上村
えっ、どういうことですか?
糸井
「男の魅力っていうのは、最後はくるぶしですよ」
ということなんだけど、
これはね、ぼくもいまだにわからない。
上村
私もわかんないですね。
ただ、父のくるぶしって、
すごくきれいだったんですよ。
それを自慢したいだけだったんじゃ(笑)。
糸井
上村さんは、なにかと足を組むんです。
そうすると、くるぶしが見えるじゃないですか。
それで、くるぶしを叩いて、
「糸井さん、男はくるぶしですよ」って。
上村
意味がわかんないですよね。
糸井
「まだまだですね」とか言って。
そのわからなさは、ちょっとすごかった。
上村
ああ、外でも言ってたんですね。
糸井
いつでも言ってましたよ。
くるぶしについては、
もう100回ぐらい聞きました。
上村
そうですか。
糸井
あとは「マツタケ退治」の話は知ってますか。
上村
マツタケ退治? 知らないです。
糸井
ぼくがまだ30歳手前ぐらいの頃の話です。
上村さんたちと飲んでいる酒場に、
新聞社系の人が黒い車に運転手付きでやって来ました。
今はないと思いたいけど、自分がお酒を飲んでいる間、
運転手さんを、ずっと外で待たせておくんですよね。
新聞では「庶民の味方」みたいなこと書いてるけど、
あの運転手さんの気持ちはどうなんだと。
だって、マツタケの季節になると必ず
新聞には「庶民には手が出ない」って書かれるけど、
新聞社の人たちは食べてるんですよ。
「マツタケが庶民の手に届かないって言うんなら、
 それを刷り込まれた人が、ずっとそう思っちゃうから、
 俺たちにも影響してるだろう」って話したんです。

それでぼくたちが話し合った結果、
1回、マツタケをイヤになるほど食べて、
「もう見るのもいやだ」と言ってこれから先の人生を
過ごしたいというテーマで、上村さんと意見が合いました。
ぼくは、30歳前ぐらいで
お金はたくさん持っていないけれど、
食える状態にはなった頃です。
上村さんは、あれだけの仕事をしていたので
とても羽振りのいい人でした。
みんなで山ほどマツタケを買って、
主に焼きマツタケで、マツタケご飯にしたりもして、
もう、腹いっぱいマツタケを食ったんです。
上村
ええー! お店でですか?
糸井
お店じゃなくて、上村さんの事務所に、
そのときも行ったんじゃないかな。
上村
そうなんですか。バカな大人ですね(笑)。
糸井
うん、まあね。
でも、おかげでぼくは、マツタケに対して
コンプレックスもありません。
みんながね、マツタケの奪い合いなんかして、
「これがマツタケ!」だなんて、
見苦しいじゃありませんか(笑)。
ぼくには、マツタケはマツタケ。
「あら、おいしいんじゃない?」って言えます。
マツタケの他に、マスクメロンも退治しました。
上村
退治できるもんなんですね(笑)。
糸井
そういうしょうもないことをしていたことは
たぶん、お嬢さんは知らなかったはずです。
上村
ええ、知らないですね。
でも、そういうのが楽しかった時代とか、
そういうことしてたんだろうなって想像はできます。
糸井
はい、やってました。
上村
ああ、いい時代ですね。
まだまだお話はうかがいたいんですが。
そろそろお時間です。
糸井
はい、こんなことですかね。
上村
楽しいお話をありがとうございました。
糸井
どうもありがとうございました。
「同棲時代」 ©上村一夫
以上で上村汀さんと糸井重里のお話はおしまいです。
上村一夫さんの生前にはない、
愛娘と飲み仲間のふしぎなめぐりあわせに、
イベントが終わった後、ふたりは控室でも話しました。
「上村さんは、たしかにここに来ていたね」と。
ご愛読をありがとうございました。
2016-4-15-FRI