高阪 |
うちも、特に若いのが多いんですが、
どうやったら試合できるんですかとか、
はやくリングに上がりたい、と。
実際やってみると何一つできない。
で、自分の場合は答えはできるだけ
教えないようにして、最初にまず、
やりたいようにやってみなさいって
やらすんですよ。基本も含めてですけどね。
それで、こう、本人が、もがいて、
何かヒントが必要だなと思うときに
初めてヒントをあげるようにしてるんですよ。
|
花柳 |
最初の指導ってすごく重要ですよね。 |
高阪 |
はい。そこがすごく難しいなって
自分もずっと思ってたんです。
だから余計に必要だなとも思ったんですけども。 |
花柳 |
分かります。「菊づくし」っていうのは
まさにそれを思って、
うちの初代の家元っていうのが、
‥‥今、四代目なんですけども、
初代の家元が作られたものなんです。 |
高阪 |
ああ、なるほど。 |
花柳 |
ほんとに基礎の「おすべり」だとか
「みつくび」とか、
そういうものが入ってるものなんですけれども、
それはもうほんとに百年以上も前の話で、
この三味線音楽っていうもの自体が
もう今の人には聞かれていない状況なので、
今は、たとえば童謡とか、歌謡曲っていうか、
演歌ではなくてJ−POPですか、
とかで分かりやすく、
日本の舞踊の振り付けをしたいなと
思っているんですよね。
やっぱりどんどん、曲を変化させたりしながら、
今の人に合わせた、初期の導入部分みたいな
指導の仕方っていうのは
変えていく必要があるってことをすごく思いますね。
|
高阪 |
「百年」ていったら何時代ですか、 |
花柳 |
江戸末期ですね。百五十‥‥花柳流が百五十年。
歌舞伎を出雲阿国が始めてからが
四百年ちょっとなんです。
江戸の後期ぐらいに、
日本舞踊っていうのがちょっとずつ
歌舞伎から離れ始めて、
そのときから独立し始めたっていう
歴史があるんですけど。 |
高阪 |
ああ、なるほど。
上の人のたしなむものだったのが
一般の庶民の方におりてきた
状態のものっていうことですかね。 |
花柳 |
まさにそうですね。
能と狂言というのがあって、
それが武士の奉呈で、
武士しかできなかった習い事だった。
で、歌舞伎というものを庶民が見に行くようになり、
庶民が歌舞伎役者を真似して
同じようなことをちょっと
うちわでやりたいわって言って、
その歌舞伎役者に振り付けをしてた人がいるんですね、
その人たちが日本舞踊を庶民に教えるようになった。
それが日本舞踊の始まりなんですね。 |
高阪 |
はい。それが面白いなあと思ったのが、
あの、自分は柔道を中学からやってたんですけど、
その、柔道の型っていうのがあるんですよ。
昇段試験とか受けるのに必要な型っていうのが。
でもその型で、特に高段者用のものっていうのは、
自分も十代のときからずーっと思ってたんですけど、
実際に試合で使ったことがないんですよ。
|
花柳 |
あ――! |
高阪 |
実際に使わなくても、
型としてしっかり残ってるんですね。
で、思ったのが、結局、柔道とか、
昔は柔術って言われてましたけど、
その当時っていうのはこういう武術っていうのは
戦うために必要なもので、
自分たちが普通に体を鍛えるために、
親にやっとけって言われてやるようなもので
はなかったと思うんです。
ほんとに、生き死に関わるような。 |
花柳 |
はい、はい。 |
高阪 |
戦いの中で必要な武術だと。
で、そこからこう降りてきて、
降りてきたものの最終形として
今の柔道というかたちがある。
総合格闘技っていうのもその流れだと思うんです。
だから、最初の型であったりとか、
一番最初にこれを練習しろって言われて、
もう、なんでっていう、うむを言わさず
ずっと練習をしなきゃいけなかったものっていうのは
理由がないんですよ。
日本舞踊とか、歴史を遡って行くと
当時は間違いなく全員着物を着てたと思うんですよね。
で、着物を着てるからこそ、
すり足じゃなきゃ歩けなかったりとか、
あと膝を割るであったりとか、
ああいう動きが必要だったと思うんです。
で、今に置き換えてみると、
今、着物を着て生活されてる方って
ごく一部ですよね。
だから、入るのに時間がかかるんではないかなと。
昔の方はもうほんとすんなり、
普通に生活されてる方のためのものだったと。 |
花柳 |
はい、そうですよね。 |
高阪 |
多分、タイムマシーンに乗って
百年前に帰ったら、
何やってんだ、お前って多分言われると思うんです。
なんでそんな歩き方してるのとか、 |
花柳 |
そうですね。 |
高阪 |
自分たちは特に、試合っていうものがあるので、
型にこだわってやってしまうと
実際問題勝てなかったりとかしてしまうので、
そこじゃなくて、もっと根本的な、
今、自分がどういう体で、
どういう使い方をしなきゃいけないのか、
っていうところをしっかり大事に、つかんで、
それを元に技術を自分のものにしていったりとか、
動きを選んで練習して行くということが
大事なんじゃないかなと思ってるんですね。 |
花柳 |
思います。もうまさにほんとに同じですね。
「菊づくし」でやった膝の折り方とかっていうのは、
ほんとにまさに型なんですね。
それでその通りに、着物を着てやったら、
かえって汚いんですよ。
とにかく日本舞踊は根本は歌舞伎なんで、
見て美しいとか、見て役になってるとかであれば
別にいいんですね。
これがこうという決まりは決してなくて、
ただ、今、お教えしたのは、
その歌舞伎舞踊を広げるためには
分かりやすいメカニズムが
なきゃいけないっていうので
基本はこうなんだよって、
体系化しただけの話なんで。
広めるためにマニュアルを作った
教え方だと思うんですね。
だけど、どんどんどんどん
究極を突き詰めていけば
それは最終的には曲で踊る人の
役の表現ができればいいから、
全く型っていうのは関係がなくて
その人なりの表現の仕方ができればいい。
だけどその基礎がないと、
その表現すらもできない。
ということで型をまずは教えてるっていうのは、
ほんとにまさにそうだなと、お話聞いてて思います。
今、だいぶ海外に行く方が多くなってきて、
海外に行って帰って来ると、
日本のよさを再発見したり、
海外の人も本物が見たいっていうことで、
日本の伝統芸能が見直されてはきたんですけれども、
着物を着てる人がもうごくわずかとはいえ、
着物を着て踊るっていうことは
ぼくらならではのものなので、
それを何とか広めていきたいなあと思って。
今の人っていうのは「何となく」って
あまり好きじゃないじゃないですか。
理屈があると安心するというか。
学校に行って育ってるから。
日本舞踊見ても、意味のないこと、
たくさんあるんですよ。
歌舞伎とか見ても、荒唐無稽の、
起承転結でお話がつながってないものも
たくさんあって、
意味なんかどうでもいいんだけど、
ただ見てきれいとか、ただ見て美しいと思えばいい。
けれど、よかったと言うのにも
理由付けが欲しかったりする。
それで習いに来る人も理屈で入って来る。
それで何となくっていうのが通用しない部分で、
それで今は僕もそれはそうだなと思って、
ここは十センチ、とか決まりを作ってあげると
現代の人にはより通じやすくて、
どんどん興味を持ってくれて。
最終的にはそういう理屈なんか飛ばしちゃって、
その人なりの美しさとか
その人なりの感性につながっていけばいいなと思って
日本舞踊の理屈を考えてる時期ではあるんです。
生活じゃないからこそ理屈を考えて、
それが理屈じゃなくなるのを
目指してはいるんです。 |
高阪 |
はい、そうですね。
後づけで理屈を考えれるようになるのが
一番ベストだと思うんですね。
自分で一回動いた後に、
これってひょっとしてそういうことなんですか、
うん、そうですってそれで終わるって、
すごく理想だと思うんですね。
|
|
(つづきます!) |