「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社、
「気仙沼のほぼ日」がオープンしたのは、
2011年11月1日のことでした。
あれから時が経ち、
2019年の11月1日に、この場所は「お開き」となります。
「気仙沼のほぼ日」は、地元のみなさんが
優しく受け入れてくださったおかげで続いてきた場所です。
お世話になったあの人は、
いまどんなふうに過ごしているのでしょう?
これからどんなことをしていきたいのでしょう?
あらためて、お話をうかがっていきます。
インタビュアーは、沼のハナヨメ、
「気仙沼のほぼ日」のサユミがはりきってつとめます!
気仙沼の「内湾」と呼ばれる港のそばの地域は
古くからの商店や飲食店が立ち並ぶ、
街の中心部でした。
経済の中心であり、街の顔だったその場所は、
東日本大震災による津波被害を受けた
浸水域でもありました。
明治10年に創業した、
米の販売店である
「武山米店」もまた、
その被害を受けました。
昭和初期に建てられた店舗は、津波で一部流出しましたが、
その佇まいを残そうと、
2018年に復元されました。
▲こちらが「武山米店」。
現在は販売店舗として営業、
復元箇所や、蔵を炊飯博物館として
公開しているほか
新館の一部を武山米店の
イベントスペースとして活用しています。
武山陽子さんは、この武山家の娘さんで、
お店の看板娘でもあります。
私と年も近くて、
目黒のさんま祭でも一緒に参加して
仲良くさせていただいているので、
いろんな話をおしゃべりをしてきました。
古い面影を残したまま、
再建された「武山米店」の建物は、
地域の人たちにとって、
失われた景色を思い出させてくれる装置の
役割を担っていました。
ひとつの灯りが、人を集めたら、
それはだんだんと
街のような形になっていくのかもしれません。
肝心の「恋バナ」については、
陽子さんから、何も聞くことができませんでした。
でも、陽子さんのおかあさんのいうとおり、
人生にどんなことがあるかはわかりません。
もちろん、良いことも、悪いこともあって、
それは突然の雨のように訪れて、
そのたびに心が揺さぶられる時もあるけど、
朝起きて、ご飯食べて、
「さあ、今日なにやる?」 って元気を出して、
一歩ずつ進んでいけばいいんだなと、
教えてもらった気がしました。
(サユミ)
2019-05-24-FRI