木村拓哉さんと糸井重里は、
かなり以前から、もう、25年くらい前から
おつき合いがあるのです。
じつは創刊当初のほぼ日のオフィスにも
ときどきこっそり遊びに来ていたり。
そんなふたりが、久しぶりに会いました。
木村拓哉さんがMCを務める
ラジオ番組「Flow」のマンスリーゲストに
糸井が呼ばれたのです。
久々に会っても自然体なふたりが
たっぷり話した約2時間。
放送されなかったトークも含めて、
だいたいぜんぶを文字にしました。
- 木村
- 糸井さんがいま現在も続けられている、
ほぼ日刊イトイ新聞。
これをやろうというきっかけは
なんだったんですか。
- 糸井
- やっぱり、釣りは影響してますよ。
- 木村
- そうなんですか。
- 糸井
- だから、木村くんのおかげ、
っていうのも、いえるかもしれない。
どういことかというと、
本人はわかんないかもしれないけど、
木村くんはね、当時からえらかったのは、
イチからじぶんでやるんですよ。
たとえば、一緒に釣りに行って、
雨が降ってきましたというときに、
あなたはね、みんなの分まで
カッパを買いに行ったんだよ、コンビニに。
ぴゅーんって。
- 木村
- うん。
- 糸井
- 四の五の言ってないで、
もうコンビニに行ったんだよ。
- 木村
- うん。
- 糸井
- で、この子、武道館6回まわしてる子なんだけど、
こういうところいいなぁと思ったし、
ほぼ日のオフィスに遊びに来るときとかも、
なんかのついでみたいな感じで、
ハンバーガーいっぱい買ってきたりとかさ
- 木村
- はい、はい。
- 糸井
- なんて言うんだろうな、
その歳のふつうの男の子がやることを、
下駄履かずに生きてたんですよ。
たぶん、いまもそういうところが
残ってるんじゃないかと思うんだけど。
俺が行ってくるよ、みたいな。
- 木村
- うん。
- 糸井
- 木村くんのそういう態度を見てるのと、
ひとりで釣りをするのが
ぼくにとって同じような意味を持っていて。
つまり、釣りのトーナメントとかに出ると、
どんなに小さな大会でも、
ちゃんと真面目にやるじゃない?
朝早くから受付並んで、ゼッケンもらって、
で、1分でも遅れたら失格ですよね。
- 木村
- はい、はい。
- 糸井
- ボートがだめになったら
じぶんで直さなきゃならないし、
釣り方もなにも教わる人なんていないし、
学生さんたちと一緒に順番待ってさ、
「糸井です。あ、それです」なんて言って、
名簿と照らし合わせて、ゼッケンもらって。
そういうことを、釣りのときは、
ちゃんとやったんですよ、イチから。
- 木村
- はい。
- 糸井
- 40半ばとかになると、
場所によっては、先生とか呼ぶ人もいるし、
ハイヤー迎えに行かせます、
みたいなことだってあるかもしれないし、
生意気に生きようと思えばできちゃうんだけど、
やっぱり、ぼくはそれはイヤだったんです。
- 木村
- はい。
- 糸井
- でも、だからといって、
ひとりでいきなりぜんぶやるっていうのも、
あんまり経験したことがなかったので、
早起きして釣りの大会に出ることとか、
そういうただのおっさんがするような経験を
あそこでできたというのは大きかったんですよ。
で、俺、8位になったことあるんだ、
トーナメントで。
- 木村
- へぇー!
- 糸井
- その「へぇー!」って言ってくれる感じ、
もう大好き(笑)。
- 木村
- いや、8位ってすごいっすよ。
- 糸井
- ねぇ。
120人ぐらい出るなかで8位。
運がよかったのよ。
- 木村
- 一桁ってそうとうすごいですよ。
- 糸井
- そうだよね。俺、うれしくてさぁ。
もうそのときに、涙出たんだよ。
- 木村
- ははははは。
- 糸井
- 8位で(笑)。
そういう経験をしたことと、
インターネットって無関係じゃないんだ。
やっぱり、インターネットも釣りも同じで、
いまからやろうと自分が思ったら、
材料もお金も経験もなくても、
よーいドンではじめられるわけだよ。
- 木村
- なるほど。
- 糸井
- その道がおもしろいなぁと思って。
妙に先生扱いされたりもしないし、
先にはじめた人はいるけど、
それにしたって3年くらいしか開きがないから、
やろうと思ったらやれるんだよ。
だから、それまでの、広告の世界での
それなりのベテランみたいなところから、
パシリになろうと思ったわけ。
- 木村
- それで、ほぼ日刊イトイ新聞をはじめた。
- 糸井
- うん。
- 木村
- そのなかでは、いま何やってるんですか。
- 糸井
- うーん‥‥社長さん(笑)。
- 木村
- パシリじゃないじゃないですか(笑)。
- 糸井
- いや、それはパシリのこころを持った
社長さんにはなれますからね。
- 木村
- あ、パシリマインドの
- 糸井
- そう、パシリマインド。
「ちょっとそこの雑巾取って」
って言われる社長ですよ。
- 木村
- (笑)。
ほぼ日はじめたのって、
いつぐらいでしたっけ?
- 糸井
- 1998年。50歳になる直前にはじめたの。
そのころから、木村くんには
あんまり会わなくなったね。
- 木村
- そうですね。
- 糸井
- 1回か2回、ほぼ日に来たことがあるよね。
- 木村
- はい、遊びに行きました。
で、そのときからずーっと、
糸井さんは、ほぼ日をずーっと続けていて。
ほぼ日をはじめられたあとって、
言い方はヘンですけど、
テレビだったりとか、表舞台的なところに
糸井さんご本人が出るっていうことが
なくなりましたよね。
- 糸井
- うん。
インターネットをはじめますよ、
っていうときに、ちょっとだけ、
「いいとも!」だとか、そういうところで、
ごあいさつみたいな気分で出て、
それでだいたい終わりになりましたね。
- 木村
- ふーん。
- 糸井
- だから、そのとき、ぼくはたぶん、
文化人じゃなくなったんじゃないの?
テレビの世界って、やっぱり、
「文化人」っていう枠があってさ、
コメンテーターをやったり、
クイズ番組で意外に答えられなかったり、
そういうことをする人が必要なんだよ。
そういう役割を、ほぼ日をはじめたときに、
ぼくはやめたんだね。
(つづきます!)
2019-09-06-FRI
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN