鈴木金太郎、91歳のパンク直し。

── 金太郎さんは、いつから
自転車の修理をやってるんですか?
金太郎 最初、この通りに掘ったて小屋を建てて
仕事をはじめたのが、
戦後の、えー‥‥昭和22年ですよ。
── というと‥‥キャリア60年以上。
金太郎 まあ、自転車をいじくり出したってのは、
小学校3、4年ぐらいからで、
ようするに手伝わされてたわけだ、親父に。
── あ、お父さまが
そもそも自転車修理屋さんだったんですか。
金太郎 そう、勤めだけどね。
── 金太郎さん、おとしは‥‥。
金太郎 91歳。
── とすると、仮に小学校3年生から数えたら
もう「キャリア80年」とか、ですか。
金太郎 いま、サミットあるけどさ。
── サミット?
金太郎 この通りの、向こうがわに、サミット。
── あ、スーパーの「サミット」。
金太郎 あのあたりに、
自転車修理の工場(こうば)があったの。

まだね、大正のときに。
── ええ。‥‥大正時代のお話ですか。
金太郎 あたしが、ほんとに子どもっていうか、
赤ん坊っていうかな。

それくらいのころから、
親父がそこで、はたらいてたんですよ。
── 金太郎さんのお仕事もそうですけど、
「販売」じゃなくて
「修理」がメインなんですね?
金太郎 あたしが聞いているところでは
当時は
小売り屋なんてのは、ほとんどなかったって。
── そうなんですか。
金太郎 だって、ようするに、
自転車なんてめずらしいわけだから、当時は。
── そうか。
金太郎 大正のころっつったら、
まぁ、あったとして「輸入もん」だもの。
── 国産なんか、あんまり走ってなかったと。
金太郎 ないないない。

その自転車の工場をはじめたっていう人も、
自転車のことを宣伝するために
日本の国を縦横にね、
どういうふうに回ったかは知らないけども、
日本中を乗って回ったらしいんだ。
── へぇー‥‥。「これが自転車ですよ」と。
金太郎 そうそう。ともかく、親父もいっしょになって
大勢で自転車に乗って、日本を回ったらしいね。
── おもしろいですね。
金太郎 ミヤタだって、最初は鉄砲鍛冶だったんだから。
── ミヤタというのは、
あの、自転車メーカーのミヤタサイクル。
金太郎 そーう、そうそうそう。明治のころはね。
── (こんどは明治時代の話‥‥)
金太郎 まあね、ともかくもだ、
あたしは、
そこで生まれたようなもんなんです。
── その、お父さまのいらした自転車の工場で。
金太郎 そう。
── じゃ、もう
生まれながらの「パンク直し」なんですね。
金太郎 自転車っていうのは‥‥。
── はい。
金太郎 昔は「運搬車」だったんだな、ようするに。
── ええ、なるほど。
金太郎 とにかく、みんな
ワッパが磨り切れるほど乗ったもんだよ。
── ワッパというのは‥‥「タイヤ」のことですか?
金太郎 そうそう、これはチェーンの掛かる部品だけど
この歯だって
すり減ってなくなるほど、乗ったわけ。みんな。
── このギザギザがですか?
金太郎 うん。
── ツルッツルになるまで?
金太郎 それくらい、激しく乗ってたってことだね。
── そう聞くと、すさまじいですね。
金太郎 だって、リヤカー引くのも自転車だったし
米俵を積んだりさ、
一升瓶だって何本も乗っけてたわけだから、
そういう痛みかたをしたんだな。
── 今は‥‥。
金太郎 そこまで乗る人なんていないよ。
── そうですよね。

ちなみに、
金太郎さんのお父さんが勤務されてらした
修理工場は、どうなったんですか?
金太郎 つぶれちゃったよ。
── あ、そうでしたか。
金太郎 結局、そこの工場長がね、
例の、大正のデモクラシーってやつでさ、
嫌気さしちゃって。
── ははあ、大正デモクラシーで。
金太郎 それで、解散したって聞いてるよ。
── なるほど‥‥。

で、その後、戦争のあとの昭和22年から
金太郎さんは、
ご自身で自転車修理の仕事をはじめた、と。
金太郎 そうだね。けっこう忙しかったねぇ。

いちばんはやってたころは
朝の5時から、パンクで起こされて。
── え、そんな早朝から。
金太郎 だってそうだよ。
パンクしちゃったら、乗れないでしょうが。
── それは、そうかもしれませんが。
金太郎 みんな、勤めに出るのにさ。
── あ、そうか。

いまよりも、さらに「実用品」というか
「運搬車」であり、
「通勤の足」だったわけですものね。
金太郎 何でもそうだろうけど
戦前戦後では、自転車そのものの使いかたが
変わってきてるでしょ。
── そうなんでしょうね。

今は「運搬車」という意識で
自転車に乗ってる人って、少ないでしょうし。
金太郎 歯の山がなくなるなんてさ、
部品のかたちが変わるまで乗るなんて人は
今、めったにいないもん。
── ええ、ええ。
金太郎 もっと頑丈だったしね、自転車自体が。
── なにしろ、使い道が「米俵の運搬」ですものね。
金太郎 昔はさ、昔っつっても戦後の話だけど、
山口自転車って、
頑丈で、充分に使える実用向きの自転車が
あったんですよ。
── ええ、山口自転車。
金太郎 あれは、頑丈だった。

あの自転車だったら、
少しっぱかり値段が高くても、
ほんと、みんなよろこんで買ったもんだよ。
── へー‥‥つまり「もつ」んですね。
金太郎 そう。

だからさ、
今の自転車を戦前みたいな乗りかたしたら
下手すりゃ
半年で駄目になっちゃうだろうね。
── 自転車の用途がちがって
その頑丈さもちがうということですけど、
自転車の修理方法も
昔とは、けっこうちがうんでしょうか?
金太郎 まあ、構造的には変わってないからね、
自転車のつくりってのは。
── ええ、ええ。‥‥つまり、変わらない?
金太郎 うん、ただね。
── はい。
金太郎 (ややあって)‥‥やっぱり「人柄」は出るよね。
── 人柄?
金太郎 そう。
── パンク直しには、人柄が出る?
金太郎 出るねぇ。

<つづきます>

 

2012-11-26-MON


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