岸 | 私が嫁いだシャンピ家というのは、 かなりの名門でした。 お父さまは知られたピアニスト、 お母さまは世界的なヴァイオリニストで、 主人本人が医者で映画監督。 執事みたいな人はいるし、料理人はいるし、 やっとできた子どもには、 ナースをつけられちゃって、 自分で抱くこともできない。 すごくストレスが溜まりました。 |
糸井 | まるで王宮に入ったような生活ですね。 |
岸 | なんかもう、たまらなくなって 仕返ししてやろうと思いました(笑)。 「映画に出たい」と言ってみると、 主人は、たいへん心の広い人ですから、 「嫌だ」とは言わないんですよ。 でも、寂しそうな顔はする。 だから、嫌なんだろうなぁと思って、 お仕事を断っていました。 でも、なんだか仕返ししなきゃ たまらないわと思うようになってしまって。 ある日、主人が ものすごくいいジャガーを買いました。 ピカピカで、昔の車は前のほうが木でしたからね、 とても素敵なの。 彼が、ハンブルグかどこかに、 撮影でひと月いなくなったとき、 大事にしてる車に いたずらしてやろうと思いたってね。 当時、シャンゼリゼに 生地屋さんがふたつあったんです。 そこでド派手な生地と 畳針みたいなものを買ってきて(笑)、 車の革のシートに、びっしり縫いつけたの。 びっくりするような車になっちゃったわけですよ。 普通の人は乗れないような車です。 「これを見たら、なんて言うかしら」と思って 楽しみにしてたら、 車を見た主人は、一応、びっくりしました。 「うーん‥‥、おもしろいね」 そう言われただけでした。すごい人でした。 まぁ、いま思えば、かわいい抵抗ですけどね。 |
糸井 | それはすごいですね(笑)。 少女マンガならば、 「何不自由ない暮らし」という 描き方になっちゃうのに。 |
岸 | それは、たいへんつらいことでした。 |
糸井 | ご当人にしてみると、そうですよね。 |
岸 | まるで自分が無になっちゃう感覚に陥りました。 「何かしなきゃ」と思うだけの日々が かなり続きました。 とうとう我慢ができなくなって、 日本に帰って来たんです。 それは、『怪談』という映画を撮るためでした。 3週間で戻るといって許可をもらったのに、 結局半年になっちゃった。 やっぱり、映画を愛していたんですよね。 そのあいだ、妻は夫のそばにいない。 そりゃ、男の人にしてみれば、寂しいですよ。 ほかの誰かができちゃっても、それは当たり前のこと。 私はそれで解放された気がしました。 だから、いつも言うんです。 離婚してもバツイチじゃない。 「私、マルイチ」 なぜなら、私の結婚はいい結婚だったから。 つまり、完結したんです。 |
糸井 | うん、うん。 |
岸 | 私はいま、日本で両親の住んでいた家に 住んでいます。 古いのに、でっかい家でね。 毎日走り回っているので、足がとても丈夫です。 庭いじりなんかもします。 |
糸井 | へぇ、庭いじりですか。 |
岸 | ええ。植木屋さんが来てくれるんですが、 「裏庭は自分でやるから」 と、すぐに出て行っちゃう。 庭にはさまざまな木の根が張っています。 だからシャベルが入らない。 そうしたら、植木屋さんが 「惠子さん、この木はシャベルで いくら根を切ってあげても育たないよ」 と教えてくれました。 「根っこが張りすぎてて ほかの植物は育たない、ここはやめなさい」 |
糸井 | あ、それはいい勉強ですね。 表面だけじゃなく、下に世界があるんですね。 |
岸 | ええ、とてもいい勉強。 「あなたは木の下の土が乾いたときに 水をあげてるけど、 そんなことは何にもならないんですよ。 根は、この木のもっと遠くまで張ってる。 だから、水も遠くにまかなきゃだめだ」 と言われて。 |
糸井 | あぁ、おもしろいですね。 |
岸 | 「葉っぱがどこまで伸びてるか、 枝がどこまで伸びてるか、見なさい」 と言われました。 考えろ、想像しろ、ということです。 |
糸井 | 岸さんは今回「デラシネ」を大きなテーマにした 小説を書かれましたが、 次は、木と森とか土とか、 いわば「根をもった植物」の 岸さんの物語を読んでみたいです。 次の作品は、もう、構想を練ってます? |
岸 | まだ、感じてるだけですね。 |
糸井 | いま、いちばんおやりになりたいのは、次回作ですか? |
岸 | いえ、いちばんやりたいのは、 『わりなき恋』を映画にすることです。 |
糸井 | 映画に。なるほど。 |
岸 | なかなか、むずかしいです。 |
糸井 | でも、あのお話は映画にしたほうが、 普遍的なおもしろさが出てくると思います。 |
岸 | 私もそう思うんですよ。 もっと深く、広がりのあることを 撮れるかもしれない。 まぁ、生きてるうちに、実現したらいいなぁ。 |
糸井 | うん、思うのをやめたら、終わりますもんね。 |
岸 | そう、終わっちゃうのよ。 |
糸井 | そのことについては、 自分が最後のひとりでもあるし、 最初のひとり。 |
岸 | そう、そうそう。 そのとおりです。 |
糸井 | 考えてみれば、 いろんなことやるときって、いつもそうですね。 「自分が最後のひとりであり、最初のひとりである」 |
岸 | そうね、ほんとに。 |
糸井 | 「たとえ誰もいなくなってもいい、やるんだ」 と思うことじゃないと、 本気になるだけの力が出せないものだと思います。 これからも岸さんはそのまま、 自分の力で、かわいらしく、いろんなことを、 くるくると頭を回して いたずらなさっていく気がします。 |
岸 | (笑)そうですか? |
糸井 | ジャガーに布を被せたような(笑)。 |
岸 | あれね、大変だったんですよ(笑)。 |
糸井 | 何に対しても、 労力が要るのは、岸さんは平気なんです。 だから、タフなんですよねぇ。 |
岸 | いま、娘が孫を連れて 日本に来ているんですけれども、 昨日、夜中に孫が「おなかがすいたーっ」って 言いだして。 ですから、真夜中に食事を作りました。 「明日仕事なのよ」 「だってぼく、おなかすいたもん」 |
糸井 | それで喜ばせたから また徳を積みましたね(笑)。 人は岸さんを「きれいな人」で 決めちゃってるみたいなところがあって、 もったいないですね。 |
岸 | もう「きれいな人」とは言われないと思いますけどね。 |
糸井 | いや、残念ながら、言われちゃうんだなぁ。 「かわいい」も言われちゃうからなぁ。 |
岸 | 「かわいい」というのは、 フランス人には言われますね。 |
糸井 | フランス人の「かわいい」の価値観は、 いったいどういうことなんでしょう? |
岸 | あ、日本とは違います。 ヒラヒラしたかわいさじゃないんですよ。 人間の‥‥こみあげてくるものじゃないでしょうか。 |
糸井 | へぇ。 それはたとえば、 自分をやさしくしてくれるもの、とか? |
岸 | なんだろうなぁ‥‥そうね、 こころよいもの、かなぁ。 |
糸井 | こころよいもの。 あぁ、なるほど。 「かわいい」はこころよい。 岸さんは、だとしたら、 フランス語でもやっぱり「かわいい」んだと思います。 |
岸 | そうでしょうか。 ありがとうございます。 |
糸井 | お話しできて、ほんとうにうれしかったです。 激しいプレッシャーの中で ここまで来ましたけども(笑)。 |
岸 | すごくおもしろかったです。 |
糸井 | いやぁ、ほんとうに、ありがとうございました。 |
岸 | お話が長くなっちゃって、すみませんでした。 |
糸井 | とんでもない、ありがとうございました。 (おしまい) |
蛇足ながらの後記(岸恵子さんより) 岸恵子のひとり語り |
2013-11-15-FRI