岸惠子さん+糸井重里 対談 かわいい人の、 ふたつの共通点。
岸さんのプロフィール

第8回 等距離感覚。

糸井 でも「完全にひとりだ」と思って
生きていくのは、むずかしいですね。
むずかしいです。
すごいことがドサーッと起こったとき、
「ひとりでここを解決しなきゃならないんだよ」
と思って、ひるみます。
その難事を対処する才能が、
まるっきりないときがあるんです。
糸井 そうですよね。
しかも、そういうことが同時に起こったら
人はもろいです。
もうガシャーンとなりますよね。
糸井 そのときに、どちらがほしいですか?
安心できる愛ですか?
それとも、手伝ってくれる友ですか?
それとも、ハラハラする相手ですか?
とか、さまざまにありますけれども‥‥
糸井 はい。
私、そのときに一緒にいて、
気分がよければいいと思うんです。
糸井 ああ、なるほど。
わぁ、そうか。
それも、岸さんはフローなんですね。
人生すべてフローです。
糸井 それは、最初に岸さんが
日本を出たときの問題じゃなくて、
もっと前からの血のような気がしてきました。
かもしれませんね。
子どものときから
変なことばっかり考えましたもの。
糸井 岸さんの話は
距離感がおもしろいです。
「何が重い」とか「軽い」とかがなくて、
等距離感覚であるというのがおもしろい。
そう?
糸井 新聞で1面がいちばん偉いように、
ものごとには格というものがあるように語られます。
それがぼくは嫌なんですよ。
1面に書いてあることが、
いちばん偉いんだという考えでいつまでもいると、
威張る人だって出てきます。
だけど、岸さんの話には、ページがない(笑)。
そうね。
あっち行ったり、こっち行ったりして、
成り行きまかせです。
糸井 女優ということは、関係があるのかな?
私はもう、
女優という意識、まるっきりないんです。
糸井 ないんですか。
もう、日本を出た時点でありませんでした。
『おとうと』という
私にしてみたら代表作だと思ってる映画は、
それから何年か経ってやりましたけれども、
少なくともいまは、
もう女優という意識が、まったくないです。
糸井 そうなんですか。
だいいち、日本で、若くない人の話ってありません。
この前、映画の
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観て、
メリル・ストリープという人に感動しました。
あの人の肝の据わったところ。
女優以前の、人間として。
映画が終わっても席から立ちあがれませんでした。
糸井 へぇえ、そうなんですか。
ええ。それほど、彼女は素晴らしかったです。
私はこれまでメリル・ストリープを、
特別好きというわけではなかったんですけれども、
すごいと思いました。
でも、ああいう映画は日本ではできません。
糸井 そうですね、ないですね。
岸さんにとって、女優とは
いったいどういうことなんでしょう。
もともとは「へんな子ども」だった岸さんが
女優をやっているうちに
影響を受けたことってありますか?
いや‥‥一時はね、
女優であることに夢中になりました。
糸井 あ、その時期、やっぱりあるんですか。
はい、ありました。
なかったら、すぐ辞めてました。
その時期は、たぶん5年くらいだけど。

最初は、受験勉強してる最中に、
「ほんものの女学生が欲しいから、出てくれないか」
と言われて、ちょっとやってみたいと思ったけど、
両親に言うのが怖くてなりませんでした。
撮影所からも家に依頼に来られて、父が、
「じゃあ、1本だけ。その代わり、
 来年から大学に行きなさい」
と言っていました。
自分もそのつもりでいたら、
その年の3月からクリスマスまでのあいだに
13本出ちゃったんですよ。
糸井 それはすごい(笑)。
最初のその女学生役の映画がね、
お父さんが笠智衆さん、お母さんが山田五十鈴さん、
長女が高峰秀子さんという、
すごい顔ぶれだったんです。
で、私は、ど素人。
その映画は大ヒットしたんです。
それで松竹から「続けませんか」って言われて、
自分もその気になっちゃった。
糸井 おもしろかったんですね。
おもしろかった。
自分が何もわからないことが、
たくさんありましたから。

一度に3本くらいの映画を
掛け持ちさせられたから、いつも寝不足で、
セットからセットへ歩くあいだに
助監督さんにつかまって、寝てました。
そうやって、5年半か6年近く経ったとき、
パッと辞めたわけです。

ところがフランスに行ったら、
こんどは何もすることがなくなっちゃったんです。

(つづきます。次は最終回)

 

2013-11-14-THU


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