お米が好き♡と に か く 好 き。
原宿で唯一のお米屋さん。
──
小池さんのお店は、
原宿で唯一のお米屋さんだそうですが、
お店を継ぐ前は、
何をやってらっしゃったんですか?
小池
サラリーマンでした。

学校教材をつくるちっちゃな出版社で、
編集の仕事をしていたんです。
──
つまり、お米はもちろん、
農業なんかとも無関係のお仕事ですか。
小池
まったく無関係です。
何せ、米屋を継ぐ気がなかったんです。

でも、親父が倒れちゃって、仕方なく。
9年くらい前のことです。
──
今では、テレビや雑誌などメディアに、
出まくってらっしゃいますが、
そうだったんですか‥‥編集のお仕事。
小池
で、編集職のあとは、
社会保険労務士という資格を取って、
あちこちの企業で
「人事制度、どうしましょう?」
「賃金体系、どうしましょう?」
「退職金は?」
みたいな仕事を、やっていたんです。
──
本当に、米と関係なかったんですね。

でも、おうちがお米屋さんですから、
お米そのものは、
しょっちゅう食べてたんでしょうね。
小池
それは、まあ、物心ついたころから、
食事は「お米」でした。

だから、たまにはパンにしてくれと。
──
言いたいくらいで(笑)。
小池
ただ、思い返すと‥‥初代の祖父は、
毎朝イギリスパン食ってたんです。

自分だけ、
紀ノ国屋で買ってきたイギリスパン。
あれ、何だったんだろう‥‥。
──
初代の特権ですかね(笑)。
小池
ともあれ、こどものころから、
米の味に親しんでいたのは確かです。
──
小池さんちの食卓には、
いろんな米が登場するんでしょうね。
小池
コシヒカリ、つや姫、ゆめぴりか、
自分でブレンドした米‥‥。
柏木
すてきな食卓‥‥(ウットリ)。
──
初代は、いつごろ創業したんですか。
小池
昭和5年です。

原宿は原宿なんですが、
今とは別の場所でお店を開きまして、
戦争で焼け出されて、
世田谷あたりに移ったんですけれど、
戦後、今の場所に落ち着きました。
──
原宿のお米屋さんって、
今は小池さんの店だけとのことですが、
以前は‥‥?
小池
ええ、たくさんあったんです。

それこそ、うちが暖簾分けしたお店も
ありましたし、そもそも
米屋って昔は「配給所」でしたからね。
──
お米って、昔は「配給制の配給米」で、
昭和50年代くらいまで
お米の通帳みたいなのを持ってないと
お米を買うことができなかった、
みたいな話を、
赤瀬川原平さんの本で、読んだ記憶が。
小池
米穀通帳というやつですね。

身分証明書にもなったって聞きますが、
その通帳を持った人が、
ほっといてもワッと集まってくるので、
お米屋さんは
そんなに必死になって商売しなくても、
大丈夫だったみたいです。
──
え、そうなんですか。
小池
ところが、20年ほど前に
米の流通規制が大幅に緩和されて以降、
コンビニでも買えます、
農家も売っていいですとなってからは、
米屋、ポコポコ潰れていって。
──
企業努力が問われてしまった、と。
なるほど‥‥。

ちなみにですが、小池さんは、
米穀通帳って見たことありますか。
小池
個人的には知らないんですが、
学生時代‥‥25年くらい前ですけれども、
神田の古本屋で本を売るとき、
身分証明書が必要だと書いてあって、
そこに「免許証」と並んで
「米穀通帳」と書いてあったことは、
何だか、よく覚えてますね。
──
いついつの日付に、
どれだけのお米を買ったかということを、
記録しておく通帳ですよね。

ちょっと意味はちがうけど、
おくすり手帳みたいな感覚だったのかな。
小池
あと、戦前戦中のころって、
米屋、公務員みたいな身分だったそうで。
──
へえ。え、それは、配給米という、
いわば公的な物資を配っている人だから?
小池
そう。だから、うちの祖父も、
結局、公務員みたいな扱いだったために、
戦争にとられなかったそうです。

そういう、やや特殊な商売だったものが、
20年ほど前に自由化されて、
競争力のない米屋は、苦境に立たされて。
──
小池さんのお店は、当時、お父さんの代。
小池
そうですね、
うちの店も例外なく完璧に落ち目でした。

だから、ぼくが継いだときは赤字経営で、
エラいこっちゃって状態だったんですが、
必死に勉強して、ようやく最近、
何とか食えるようになってきた感じです。
<つづきます>
2017-05-05-FRI