黒柳 | 皮しか見つかっていなかったとはいえ、 パンダが四川省のあたりにいるのは もうわかっていたんです。 |
糸井 | はい。 |
黒柳 | ところがなんと、そのアメリカ人の冒険家は、 行ったとたんに風土病かなんかにかかっちゃって あっと言う間に死んじゃったんですよ。 1930年の、ちょっと前ぐらいかしら。 |
糸井 | ははぁ。 |
黒柳 | そしたら、その奥さんが、ですよ。 |
糸井 | はい。 |
黒柳 | この奥さんは、 世界でもっともラッキーな人って 言われているんです。 きれいな人なんですけどもね。 |
糸井 | きれいで、ラッキー。 |
黒柳 | そう。‥‥フッ(笑)、 きれいでラッキーじゃないですよ、 きれいだったんだけど、 もっとラッキーなことがあったということです。 |
糸井 | はい(笑)。 |
黒柳 | まぁいいや、きれいでラッキーでね。 |
糸井 | きれいでラッキーです(笑)。 |
観客 | (笑) |
黒柳 | その方が、悔しがったんです。 旦那さんがパンダ捕まえようとして 中国に行ったのに、 死んじゃったのは悔しい。 |
糸井 | きれいでラッキーで悔しがる。 |
黒柳 | 「わたしは捕まえる!」と言って 中国に行ったんです。 パンダがいると言われていた地域に、 きれいな毛皮を着て行ったんですよ。 |
糸井 | 「きれいな毛皮」って、黒柳さん、 ごらんになったように おっしゃいますけど。 |
黒柳 | ちゃんと写真が残ってるの。 |
糸井 | そうですか(笑)。 |
黒柳 | 上海の奥地から入っていって、 四川省のあたりに行った途端に、 なんと、木のうろの中に ちっちゃいパンダを見つけたの。 |
糸井 | ‥‥‥‥。 |
黒柳 | これがラッキーなんですよ。 |
糸井 | ‥‥はい。 |
黒柳 | きれいでラッキーって、こういうこと。 |
観客 | (笑) |
黒柳 | もちろんいまは、 パンダは特別保護動物ですから 外に出せないという法律があるんですけど、 まぁ、当時のことですからね、 その人がそのパンダを抱えて、毛皮着て、 飛行場に降り立ったとき。 |
糸井 | 毛皮で降り立ったとき。 |
黒柳 | もうアメリカじゅうが熱狂して バチバチバチバチって、カメラ構えました。 みんな、生まれてはじめて見た動物ですからね。 |
糸井 | ほおおお。 |
黒柳 | このように、生きたパンダを 世界ではじめて 中国から持って出たのは、 アメリカなんです。 |
糸井 | それが1930年代ですか。 |
黒柳 | そう。そんなに昔じゃないのよ。 わーわーわーわー大騒ぎになって、 ぬいぐるみができて、 それを伯父がアメリカからのおみやげで 買ってきてくれて、 わたしが「模様のクマだ」と思った、 ということです。 |
糸井 | 「パンダ持ち出し記念」の ぬいぐるみだったんですね。 |
黒柳 | アメリカは一躍、 パンダで有名になりました。 セオドア・ルーズベルトという テディ・ベアで有名な大統領がいたんですが、 彼の息子が冒険家で、 やっぱり中国に行ってはいるんですけど、 捕まえられなかったの。 |
糸井 | ラッキーじゃないんですね。 |
黒柳 | ラッキーじゃないんですよ。 それなのに、その女の人はね、 すごくきれいでラッキー。 |
観客 | (笑) |
黒柳 | だけども、旦那さん死んだ。 |
糸井 | そうか。未亡人。 |
黒柳 | その後、ニクソンさんが 米中友好で中国に行ったのは1972年。 わたしはそのころ、ニューヨークに住んでました。 友好の証として、 パンダがワシントンにやってきた というニュースが流れたので、 わたしはすぐにワシントンに行きました。 |
糸井 | はい。 |
黒柳 | やってきたのは、とってもかわいい パンダのつがいで、 女の子がリンリン、男の子はシンシン。 リンリンはすごく行動的で 道化師リンリンって呼ばれてたんです。 もう、笹やなんか、ぜーんぶ お客さまの前に広げて 見せながら食べんの、こうやって。 |
糸井 | (笑) |
黒柳 | 食べるのを途中でやめて、 でんぐり返しなんかしてみて、 また食べんの。 ところがオスのシンシンのほうは、 性格が変わってて、 食べ物を全部、木のベッドの向こうへ 持ってっちゃうのよ。 ベッドに隠れるようにして食べるから、 お客さんには頭の先っちょしか見えない。 よくお弁当隠して食べる子、いるでしょ? そんな感じですよ。 |
糸井 | ははは。 |