人はなぜ料理をするの?なぜいっしょに食卓を囲むのかな。飯島奈美さんを囲んでの座談会。 『LIFE』のレシピには、家庭料理の未来がある。

5「この味」という確信。

飯島
ドラマ『カルテット』で、
フードスタイリングのお仕事をしたとき、
満島ひかりさんが
「『LIFE』のレシピは
ほとんどつくりました」と
言ってくださったんです。
ばなな
ええー、素晴らしい!
斉藤
すごい!
武井
超うれしい!
斉藤
飯島さんの料理って、
みんなを引き寄せますよね。
飯島
そうだとうれしいですね。
この前、日本人の男性と結婚した
韓国人の女性がイベントに来てくださって、
「これがあるから、
日本の食事をつくることができて、
旦那さんも喜んでます」って。
ばなな
いい話だなぁ。
武井
料理って、人につくると
上手になりますよね。
自分のためにだけつくっていても、
あるところから先、あんまりうまくならない。
斉藤
自分のためだと、
「ちゃんとやろう」みたいな気持ちが
弱くなりますよね。
武井
いい加減な食器で食べちゃったり、
「鍋のまんまでいいや」ってなったり。
ばなな
ま、それもひとつの楽しさだけど。
武井
たしかに、時には鍋から直接
インスタントラーメン、
というのも楽しいです。
飯島
だからホントにひとりで
しっかりちゃんといいもの食べてる若い人とかって、
すごいなと思います。
ばなな
すごい‥‥と言いながら
まだ揚げ物を食べようとする私。
おいしい。
飯島
そのささみカツ、適当に切って、
梅酢をまぶして、衣をつけるだけなんですよ。
ばなな
多分そういうことの、
ひとつひとつの動きが、
飯島さんは全部違ってるように思います。
飯島
一緒ですよ!
よくね、そういう話になるんですけど。
ばなな
やっぱり違うんですよ。
物を置くときの置き方とかも、何か違う。
飯島
いえいえ、私には見せるものが
何もないんですよ。
たとえばミュージシャンの人は
音楽で表現ができてすごいなって思いますけれど、
今から楽器とか絶対できないし。
だけど、料理って、
真剣にそのとおりにやったりすれば、
そのものがつくれたりするじゃないですか。
ばなな
違う、違うんだよ~(笑)。
そうじゃないんだよ~!
武井
ばななさんが叫んでいます。
たぶん、飯島さんのように、
「それを超える人」が
こういう本をつくるんだと思いますよ。
ばなな
そうそう。
私は本のことしかわからないから、
書籍としての感想だけ言います。
うまく伝わるかわからないけれど、
私は、その人の生き方は読み取りたいけど、
生活を教えてほしいわけじゃないんです。
斉藤
あぁー!
武井
うわぁー!!
ばなな
生活は生活の本でいい、って
いつも思ってしまって。
『LIFE』は、
「飯島さんがこういう生活をしてる」というのを
全く感じさせないところが、
ホントにすごいところだと思う。
飯島
私がたいした生活をしてないんで(笑)。
ときどきあるんですよ、
「飯島さんの収納術を教えてください」
みたいな取材(笑)。
収納術なんて、ないないない。
武井
そういえば、そういう取材を
お受けにならないですね。
飯島
いつも断ってるんです。
ばなな
料理って生活の中から出てくるから、
こういう旦那さんがいて、
こんな家に住んでいて、
食器はこれが好きで‥‥っていう、
その人の暮らしを入れた本が多いですよね。
『LIFE』はそこを潔く
切り捨ててるところがいいと思います。
美学があるというか。
斉藤
なるほど。
武井
たぶん飯島さんご自身は
「裏方である」という意識が強いですよね。
ばなな
うん。だからこそ、すごく空間を感じられる。
飯島
ホントですか。うれしいです。
ばなな
しかも、料理を見ると、
「でも、きっと、この人は
こういうことは、しないんだろうな」
というのがわかります。
「ポテトチップ、ここに直置きしないだろうな」とか、
「一瞬でも食べかけのガリガリ君を
テーブルに置いたりしないだろうな」とか、
そういうものが伝わってくるんです。
飯島
具体例がおもしろいですね。
生活については、
聞かれたら答えようとは思うんですけど、
聞かれるまでは答えなくていいかなと。
斉藤
粋ですね。
飯島
いや、なんか
言うとしつこいかなと思って(笑)。
ばなな
でも、やっぱりたいていの人は
そこを一番言いたいんじゃないかな、
と思うんですよ。
言いたいっていうか、
匂わせたいっていうのか。
もちろん、それはそれであっていいと思うし、
そういう本も好きなんだけれど、
この本の書籍として優れた点は、
そこを切り捨ててるところです。
「奈美さんの1日」とか、ないし。
飯島
ないですね。
読んだ人が、想像して、
自分の暮らしに当てはめられたほうがいいなと。
斉藤
『LIFE』には、
それぞれのレシピに物語があるじゃないですか。
この中にものすごくいろんな人が住んでて、
その人の数だけレシピがあって。
飯島
そうですね。
なんだったら、書籍に私の名前が
なくてもいいぐらいかなと思います。
ばなな
そこがすごい。
なかなかできることじゃないです。
料理には生き方の姿勢が出てしまうし、
それは料理を見ただけでわかるものであって、
前後を教えてくれなくていい、
と思うときがたまにあるんですよ。
斉藤
そうですね。
『LIFE』は、味付けの完璧さのところだけに
「飯島さん」が出てくる。
そこが裏方としてのすごさだと思います。
武井
飯島さんが、以前JALの国際線の機内食の
監修をなさってたことがあって、
ぼくも機内で食べたんですけど、
ちゃんと飯島さんの味だったんですよ。
つまり、監修だから、実際に飯島さんが
つくっているわけじゃないのに、
飯島さんの味がするんです。
近くにいたおばあさんが、客室乗務員さんに
「こんなにおいしいもの出してくださって、ありがとう」
とお礼を言っていました。
ばなな
またもいい話!
斉藤
ぼくの中で「神の手」をもつ料理人って
2つの手がある気がしています。
1つ目の手は、その人がつくらないと
全然おいしくならないタイプの人。
もう1つのタイプの神の手は、
その人がいなくても
すごくおいしいものができるようにする人。
これはね、何の違いなんだろうと
ずっと思ってました。
全然答えは出ないんですけど、
飯島さんは2つ目かなあ。
ご本人じゃなくても確実においしくなる‥‥。
武井
そうですね。
ただし、飯島さんの面白いところは、
1つ目の神の手も持っていることですよね。
斉藤
持ってますね。
言葉として正しいかどうかわからないですけど、
飯島さんのレシピは「頑丈」なんですよ。
多少、醤油の種類が変わろうが、
ちょっと手元が狂おうが、跳ね返す。
「ちょっとやっちまったな」
みたいなときがあったとしても、
きちんといいところで落ち着くのが、
不思議でならなくて。
ばなな
うん、わかる気がします。
やっぱり、心の中に
「この味」という確信を
持っているかどうかじゃないでしょうか。
確信がないとやっぱり、
再現力もないし、強さもないから。
それを飯島さんは持っているんだと思います。

(つづきます)

2017-12-18-MON

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