糸井
新刊の『未来企業』のテスト版をいただき、
まずは最初のほうだけ読ませていただきました。
リンダ
ありがとうございます。
糸井
そのなかで「レジリエンス」という言葉を
つかわれていたのが、とてもおもしろかったです。
というのも、
リンダさんの「レジリエンス」という考えは
ぼくが前から考えていたことに似ているんですよ。
リンダ
まぁ、そうなんですか?
『未来企業』p2~3より抜粋。

企業は今後、どのような活動に
どのような方法をもって取り組むべきか。
どんな企業文化がもっとも望ましいのか。
未来企業を導いていくリーダーの条件とは何か――
これらの問いについての私なりの答えがここにあります。
その中核にあるのは、不確実性の増す世界において
もっとも重要な能力は「レジリエンス」である、
という考え方です。
レジリエンスという言葉のおおもとの意味は、
「負荷がかかって変形したものが、元の形状に戻る力」
です。
これが転じて、ストレスからの回復力、
困難な状況への適応力、災害時の復元力、
といった意味合いでも使われるようになりました。
糸井
人は眠っているとき、
その姿勢でいることがつらくなってきたら、
自然に動いて体勢を変えます。
このことを日本では、
「寝返りを打つ」というんです。
リンダ
「寝返りを打つ」。
糸井
リンダさんがおっしゃる「レジリエンス」を、
ぼくは「寝返り」という言葉で
人に説明してきました。
リンダ
それはたいへん興味深く、おもしろい例えですね。
‥‥けれども、日本の企業は
あまりにも硬直化が進みすぎていて、
そのような動きがまったくないように思います。
糸井
そうですね。
寝返りが打てなくなる理由には
いくつかあるとおもうんですけど、
まず、体が弱っているときには、
寝返りを打てなくなります。
寝返りが打てなくなると、
ずっとおなじ部位がベッドと
接触していることになって、
「床ずれ」という皮膚病になっちゃうんです。
あと、手足を縛られて拘束されているときも
寝返りは打てません。
リンダ
病気と拘束が、
動くことを阻害する‥‥。
糸井
ふつうに、自然にしていれば、
誰でも寝返りは打てるものです。
リンダさんは、
企業という単位でそういうことを
考えられている。
それに、ぼくは共感しました。
リンダ
共感していただけてうれしいです。
糸井
おそらく、リンダさんは
『ワーク・シフト』や『未来企業』のなかで、
「つねに未来を見ながら
 そっちに向かって歩いていこう」ということを
ぼくらに教えてくれています。
リンダ
はい、そのとおりです。
糸井
それはとても美しい姿勢だと思うのですが、
ぼくら日本人は
もうすこし勤勉ではない人間なんですよ。
「ここにいるのはイヤだよね」ということが、
そこから動く大きな動機になる(笑)。
ぼくが寝返りに例えたのも、
いまの場所がイヤだと思って
寝返りを打つからなんです。
このすこしのちがいが、
ぼくらふたりのちがいなのかもしれませんね。
リンダ
そうですね。
さきほどの話でいうと、
こどものころに
糸井さんは仕事へ行く父親を見て
かわいそうだと感じていたのにたいして、
わたしは父を見て
人生をたのしんでいると感じていました。
糸井
そうそう、そこがちがいますね。
リンダ
なぜわたしがこれらの本を書いたかというと、
これからは、昔とおなじ生活を送っていては
暮らせなくなってきていると思うからなんです。
糸井
はい、はい。
リンダ
100年前であれば、日本でもイギリスでも
じぶんたちの両親がしていたような
生活を送れば暮らしていけたでしょう。
けれど、いまはあまりにも世界が変化している。
これからの世界で暮らしていくためには
自ら生き方を刷新していかねばならないのです。
いろんな選択肢がありますし、
そのなかからじぶんで選ばなければならない。
しかも、その選択によって
どのような結果を招くのか
理解しておく必要があります。
糸井
これからは、
いままで以上に
ものごとを考えなくてはいけないですね。
リンダ
そう思います。
おそらく、わたしたちは100歳まで
生きるような生涯を送ることになるでしょう。
糸井
きっと、そうなるでしょうね。
リンダ
ですので、いまは
100歳まで生きる生涯について
考えた本を書いています。
100年間の生涯を、
その社会で生きる人たちがどうとらえていくのか。
そう考えたとき、わたしが感じたのは
100年間の生涯を送るには
計画をもたなければならないということでした。
糸井
なるほど。
すこし話がそれてしまうかもしれませんが、
こんな例え話をきいたことがあります。

忙しくはらたくビジネスマンが
仕事で田舎町へ行ったとき、
釣りをしている地元の人を見かけて声をかけました。
「いいですねぇ、釣りができて。
 ぼくもリタイアしたら、
 釣りをしようと思っているんですよ」
 そしたら、その地元の人は、
「リタイアしなくても、いますぐできるじゃないか」
と‥‥。

転換期をむかえているいまは、
趣味だけにかぎらず、
じぶんのしたいことを
じぶんの人生に混ぜていく方向に
向かっていると思っています。
リンダ
そうですね、
まったくそのとおりだと思います。
糸井
釣りをすることや、
誰かの手助けをすることも、
「したいからする」。
そういうことを
人生のなかで繰り返し行うことに、
100年生きる理由があるんだと思います。
そうじゃなかったら、
医学がどれだけ発達したとしても、
100年生きる必要はないんじゃないでしょうか。
リンダ
おっしゃるとおりです。
今回『未来企業』を執筆したときには、
「企業というのは地域社会の一部である」という
思いをもって書きました。
企業がただ利益を生みだすだけの存在というのは
あまりにも味気なく、
はたらくことがたのしくなくなってしまう。
糸井
そうですね。
ぼくは、お金をつくり出す企業に
存在価値があるという考え方は
いっとき流行した考え方に
過ぎないんじゃないかと感じています。
リンダ
いっとき流行した考え方、ですか?
糸井
はい。
これまで、人は利益にならないことでも
はたらいてきたと思うんです。
たとえば、雪が降ったときに
じぶんの家や会社の前の道の
雪かきをするのはもちろん、
ついでにとなりの家の前まで雪かきをする。
近くでお祭りがあるときには、
そこに人手やお金を提供する。
峠のお茶屋さんのように
ちょっと不便な場所にお店を出して、
通りがかりの人によろこんでもらう。

もともと企業は、
そういう利益にはならないことも
当然「やること」としてきたんです。
でもいまは、
まず「儲かるか儲からないか」をスタートにおく。
そういう流行にみんなが合わせるように
なってしまったんだと思っています。
リンダ
非常におもしろいですね。
世界における最も古い企業のうち、
上位を占めているのが日本の会社だというのも
そういう理由かもしれません。
糸井
上位は日本が占めているんですか。
リンダ
そうなんですよ。
日本の会社の起源は、
11世紀とか12世紀にさかのぼることもあります。
じぶんたちと周りの地域社会との関係を
いつも意識して、
なにが求められているのかを
理解しているんでしょうね。
糸井
それは「法人」という言葉で考えたら、
すごくわかりやすいんですよ。
英語には「法人」という言い方があるのかは
わからないのですが、
ぼくは、この言葉が表すように
やっぱり企業も「人」なんだと思うんです。
地域や人々への貢献を
当然のこととしてやっている「人格」と
利益を出すことだけを考えている「人格」とを
くらべてみたら、
人々は前者の人格に引かれていくに決まっています。
リンダ
同感です。
日本人はすばらしい美学をもっています。
そして、その美学は企業に反映されている。
そういった日本の企業が
もっと世界的に認知されることで、
はたらくことの考え方が
変わるんじゃないかと思います。
糸井
日本の企業が世界を変える。
うん、そうなれるといいですね。
(つづきます)
2014-09-18-THU