[日比野]
『おめでとうのいちねんせい』の本を出したころは、それこそ、広告の仕事をしたり、イラストレーターも、アートディレクターもしてたし。



[糸井]
うん。

[日比野]
例えば、オブジェを作ったりすることはいっぱいありましたけども、それは、写真に撮られて、製版されて、出版されて、完成。
それがイラストレーターの仕事でした。
広告の仕事も、そんな感じ。

[糸井]
そうだね。

[日比野]
それになんとなく違和感を‥‥いや、違和感っていうのかなぁ、うーん、つまり、
「それだけじゃなくて 裏っ側も見てみたいな」
という気持ちが出てきたんです。

[糸井]
わかるよ、それじゃ足りないんだよね。

[日比野]
うん、足りない(笑)。
広告とか印刷物とか雑誌とかに、どんどんどんどん作品が出ていくけども、それは自分の作品のプロモーション的なものである、という気がしていました。
ほんとはやっぱり、本物を見てもらいたい、という気持ちがすごくあったんです。

[糸井]
そのことを、ちゃんと揺るがずに持っていて戻って来られたのは、日比野くんという人の強さですね。



[日比野]
うん、揺るがずに。

[糸井]
ふつうは揺るぐぞ(笑)。

[日比野]
はははは。
たしかに、80年代の中盤とか、
「日比野、そんなになんでもやったら、 おまえ、潰されるぞ」
って、みんなから言われましたもん。

[糸井]
そうだろうね。
デザインから広告からテレビからお店から、日比野くんは、ほんとになんでも全部、やってた。
「とにかく疲れるまでやるんだな、この人は」
って、僕は思ってた。

[日比野]
もう、ぜんぜん断らない(笑)。
仕事を断った記憶がないです。
とにかく全部、やったことないことをやりたかったんだと思う。

[糸井]
そのあと、倒れちゃうのか、自分の出発ができるかは、けっこう重要だと思います。

[日比野]
そうなんでしょうね。

[糸井]
だいたいの人が倒れるか、縮小するか、昔の財産で食いつないでます、ということになってしまいます。
だけど、日比野くんはそうじゃなくて、戻ってくることができたんです。
それはやっぱり、きっと「やりたいこと」が最初にあったんだろうなぁ、と僕は思ってさ。

[日比野]
それに、僕はいろんな人たちに会う機会が多い環境だったからだと思います。
美術の中でも、デザインという分野は、工芸とか彫刻に比べるといろんな領域の人と会う可能性があるほうだと思います。
それでもやっぱり、美術という分野であるということは、しかたがない。

[糸井]
そうですね。

[日比野]
でも、それ以外の人たちと会うきっかけがあったのは、NHKの番組『YOU』の存在が僕には大きいと思います。



[糸井]
うん、うん。

[日比野]
糸井さんが司会をされたその後の後に、僕が担当させてもらいました。
(『YOU』:1982年からNHK教育で、 土曜の夜、5年間放送されたテレビ番組。
 初代司会者は糸井重里。
 日比野さんは1985年から司会を担当)
ぜんぜん知らない東大の宇宙の先生とか、歌手の人とか、タレントさんとかがゲストで来てくれて、そこで、ぐわーんと人間関係が広がったんです。

[糸井]
あれは、やってよかったですね。

[日比野]
そう思います。
糸井さんも?

[糸井]
うん、日比野くんに言われて改めて思うけど、そうです。

[日比野]
当時の映像を見てもそうとうおもしろい、レベルの高い番組だったと思います。
あそこで経験したことが、僕をちゃんといまの自分に戻らせたんだと思います。

[糸井]
うん。オレも、あのときはいい気になってた時代だったにしてもさ(笑)、あの番組のおかげで、戻ってこられた部分はあると思います。



(つづきます)


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