[糸井]
黒柳さんは、テレビのお約束のようなものを守りきるんじゃなくて、テレビのお約束に対していつも批評的に存在してるという気がするんです。
つまり、テレビって約束ごとで動いてるでしょう?
[黒柳]
うん。
[糸井]
「いまおもしろいこと言いますよ」
「はい、言いました」
「うけました」
そこを黒柳さんは絶対にずらす。
[黒柳]
そうですね。
[糸井]
そのあたりのことができるのは、きっととんでもない歴史があるからですね。
森繁さんだって、
「テレビよりオレのほうが古い」
という気持ちがあるでしょう。
[黒柳]
テレビというものがはじまったとき、わたしはNHKで養成されたテレビ女優第1号でした。
当時、五社協定というのがあって、映画俳優は、ほとんどテレビには出られなかったんです。
ですから、新劇の俳優さんがドラマには多かった。
[糸井]
うん。
[黒柳]
テレビというはじめての仕事を全員が一緒にやったんです。
みんながはじめてです。
生放送ですから、みんなで手をつないで、切り抜けなきゃならない。
暗闇を進んでるようなもんですよね。
[糸井]
うん。
[黒柳]
ほんとうにもう、同士みたいな感じじゃなければ仕事ができなかったんです。
森繁さんも、ほんとうは大先輩なんですけども、同等な関係でした。
[糸井]
テレビの中にいる人たちがみんな、手をつないでた‥‥
[黒柳]
そうそう、みんなでね。
いろんな人がいましたよ、エノケンさん、三木のり平さん、有島一郎さん、渥美清さん。
そういう結びつきがあったし、みんながそのことをよくわかってた。
[糸井]
それは、テレビの文法というより、人間同士の歴史の話ですよね。
当然、そっちのほうが長いわけですから。
[黒柳]
うん。
[糸井]
いまさら
「テレビの文法はこうです」
と言われたって
「知らないわよ、そんなこと」
と言えますよね。
[黒柳]
そうですね。
ドラマで「あ、そうだ!」というとき、わたしはいつも急に立ち上がっちゃうんです。
「そう思っても、急に立たないでください」
とか、当然言われちゃいます。
それでさんざんわかってはいるんですけどやっぱり、「そうだ!」と思いついたときには立ち上がりたい。
[糸井]
うん。
[黒柳]
わたしがいつまでたってもちゃんとやんないもんだから、
「こんなに長い経験があるのに もしかしてわかってないんじゃないか」
と思う人だっていたでしょう。
だけど、わたしはこんな四角い箱の中にとらわれて一生終わるのはイヤだぜ、と思ったので、自分ができるように生きていこうと決めました。
[糸井]
それは、そうとうな昔からそうしてきた、ということですね。
[黒柳]
そうですね、56年前でしょうか。
ですから、はっきり言うと、視聴率、あれも、こんなに気にしないでテレビに出てる人間はいないと思います。
[観客]
(笑)
[糸井]
「徹子の部屋」で徹子さんが芸人をつぶすと言われてる、というネタがありますけれども。
[黒柳]
いやいや(笑)、
「徹子の部屋」芸人、なんて番組できてます。でも、
「これでおもしろいだろう」と言われても、おもしろくなきゃ笑わなくてもいいだろうと思って。
[観客]
(笑)
[糸井]
そうそう。
いまの子たちは約束ごとで、
「礼儀として笑う」とか「だまる」とかさんざんやってるから黒柳さんのような、人やものにテレビ局でぶつかったことがないんですよね。
そのことは、今日の、森繁さんの話の中に見事に入っていたと、ぼくは思います。
[黒柳]
うん。
[糸井]
テレビがなんぼのもんか知らないけれどもおまえより、オレがやってきたことのほうが、人間がやってきたことのほうが、古いんだぞ、ということなんでしょう。
森繁さんの場合は、それはもう、話は満州からはじまるわけだからね。
[黒柳]
そうですね。
[糸井]
戦争が変えたもの、たくさんあったんでしょう。
ぼくは、森繁さんの話をお聞きして、作家の島尾敏雄さんのことを思いました。
[黒柳]
『死の棘』
を書いた方ね。
[糸井]
吉本隆明さんがよくおっしゃるんですけど、島尾さんは戦争中、陸軍の上官だったときに、とても立派なふるまいをなさったそうです。
部下を先に逃がして、それを最後まで見てきちっと上にも始末をつけた。
戦争中に行動として実際にふるまったことが人間としてほんとにすばらしいことで‥‥
[黒柳]
そうですね。
命がけですから。
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