[糸井]
いま、学校で大きな問題となっているいじめについては?
[吉本]
友達から目をつけられて
「あの子はいじめやすい」となると、そこにいじめが集まります。
ぼくの近所に、いじめられっ子の標本のようになっていた子どもがいました。
おもしろ半分にいじめられることも含めてなんだかそうなっちゃう、という子です。
僕は、他でむしゃくしゃすることがあると、いじめやすいからそいつをいじめていました。
ある日、そいつがいきなり下駄を脱いで、僕の頭をバカッ! とやったんです。
それは見事に、思い切って、僕の頭がどうなったってかまわねぇ、という感じで殴りつけてきたんです。
「さしあたっていじめっ子」だった僕のことを、腹が立ってしょうがなくなって、殴っちゃったんでしょう。
それがよかった。
それで、僕はそいつをいじめるのをやめちゃったんです。
なぜかというと、そいつが何も顧慮していなかったからです。
「こういうふうにやったら相手はケガして、 またいじめ返されるだろうな」
というような考えがなく、まったく戦略的ではありませんでした。
どうケガしようが何しようが、あとのことは考えない、そういう殴り方だったんです。
弱虫のやつだったんですが、それは見事なもんでした。
あっちが何かを顧慮してたら、こっちもまたそうします。
顧慮する程度のことをやったんだったら、僕がいじめをやめることにもならなかったでしょう。
そりゃあ、殴られた頭も痛かったけど、それよりも、膝がガクガクしました。
どうして頭を殴られたのに、膝が震えるんだろう、と思いました。
それは本当に、よく憶えています。
[糸井]
しかし、いまの話を親が聞いていたとしたらどうでしょうか。
「下駄で殴って死んだらどうする」とか
「下駄は卑怯だ」とか、いろんな解釈が生まれて、複雑になると思います。
[吉本]
ええ、必ずそうなってきますね。
「子どものケンカに親が出て」
というのは、つまり、複雑化するということです。
複雑化したら、向こうの親も出てくるでしょう。
そうすると、今度は親同士のわだかまりになっていきます。
解決なんて、到底、できなくなっていくんです。
それを考えると、あいつのやり方はよかった。
あんまり見事で、痛くてね(笑)。
あれだったら文句の言いようがないや、と、その場で終わることができるんです。
ぼくは、そのことがあってからは
「おもしろ半分というのはよくないな」と、思うようになりました。
[糸井]
いじめの解決法はマーケティングじゃなくて、もしかしたら、詩のようなものかもしれませんね。
[吉本]
そうなんです。そこがいいところです。
そのやり方のほうが、まともな解決法です。
親だけじゃなく、先生が出てきたら、さらに大変ですね。
出てこなければいいんですよ。
出てこなければ、まぁ片方は癪に障ったままかもしれませんが、それなりにおさまります。
先生が一度でも出てきたらおさまりがつかない。
広がっていくだけです。
(明日につづきます)
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