[糸井]
当たり前の理屈で動いてるものは、自然の自浄作用のように、けっこう何とかなっていくものなのかもしれません。
それが専門化したり、理念として形になると、複雑になってしまう。
その全部の「複雑」を、いまの学校はかかえているんですね。
これから小学校の先生になる人に、何か言うとしたら、吉本さんならどういうアドバイスをしますか?

[吉本]
そうですね、いちばん言えることは、自然にしているのがいいですよ、ということです。
努力していい先生になって、いい教育をしてやろうと思わないほうがいいです。
子どもの世話でも、科目を教えるのでも、やりすぎることはありません。
ごく自然に、自分の地のまんまで、自分が怠け者ならうまく怠けた授業をやるんです。
子どもをよくしてやろうとか、そういうふうには格別思わないようにしたほうがいいです。
生徒のほうを見ずに黒板ばかり向いておしゃべりして
「わかったか?」とか言うだけでもいいんです。
なぜ、それがいちばんいいと言えるかというと、小学一年生かそこらになると、子どもというのは、もう先生のことなんて、みんなわかってるからです。
親のことだって、わかっています。
「親は、文句言ったときはおっかねぇけど、 ほんとはそうでもねぇんだ」
とか、そういうことは、口で言わなくても子どもはちゃんとわかっています。
ことさらいい先生になろうと思って、懸命な授業をやって、笑いを取ったり、楽しく授業を受けさせて、身につけさせて──そういうふうに自分はどうやったらなれるだろうかなんて、馬鹿馬鹿しいことは考えないことです。
もし、二日酔いで、今日は動きたくもねぇや、というときにはその科目が得意な生徒に
「俺の代わりにちょっとしゃべってみろ、 出てきて黒板に計算してみろ」
とか、そういうふうにしたっていいんです。
とにかく、もう本当に自然に、自分の地のまんまを出してやれば、子どもは必ずわかります。
「この先生はこうだけど、 本当はこういう先生だ」
とか、そんなことはもうはじめからわかっているんです。
子どもは言わない、言えないだけでね、黙っててもわかってるんです。
先生になる人には、まず第一にそれを言いたいです。

[糸井]
吉本さんが「まず」と言うということは、人はそうじゃないふうに動くものだ、ということなんですね。

[吉本]
そうだと思います。
そういう人をさんざん見てきたし、自分でもやってきました。
俺もかっこいいことばっかり人に言って、それで、けっこうゼニもらったりしてきました。
自分でやってしまったことは、やっぱり気にかけています。
(明日につづきます)

前へ 次へ
目次へ    
友だちに教える
感想を送る
ほぼ日のTOPへ