[糸井]
昔の話をするとよくわかるけど、子どものころの自分たちっていうのは、主役としての「格」が、まだないんだね。
[南]
「格」。
[糸井]
うん。いまの自分からさかのぼって、
「バカなことをしたもんだよ」とかそういうことを言えるぐらいのもんでさ。
本人がおもしろくしようと思ってやってたわけじゃないでしょ。
[南]
その当時に?
[糸井]
そうそう。
だから、実もフタもない言い方をすると、子どものころの話は、懐かしくはあっても、おもしろくはないというか、クリエイティブがない。
[南]
あー。結果的に、当たりはあっても。
[糸井]
うん、受け身なんだよね。
さっきの伸坊の弁論部の話も受け身じゃん。
「こりゃ、おもしろい話になるぞ」と思って弁論部に入ったわけじゃないでしょ。
[南]
そうね。
[糸井]
誰でも、思い出せばこんなバカなことやって怒られた、みたいな話はあると思うんだけど、そりゃ、「あるよ」って話でさ。
だから、
「ちっちゃいときから、 オレはおもしろかった」っていうのは、つくり話なんじゃないかな。
[南]
ああ、なるほどね。そうかもしれないね。
[糸井]
そう思うなぁ。
その話をおもしろくしてるのは、いまの自分の目線なんじゃないかな。
[南]
それで思い出したのは、赤瀬川さんがどこかに書いてた話でね。
あの、藤森(照信)さんが、小学校に入ったとき、最初に先生が
「好きなところに座りなさい」
って言ったらしいんだよ。
こう、机とイスがあってさ。
[糸井]
うん。
[南]
で、「好きなところに座りなさい」
って言われたもんで、藤森さんは、窓枠のところに座ったんだって。
こう、開いてる窓のところに。
[糸井]
うん、うん。
[南]
そこが好きなところだったから。
で、みんなはやっぱりふつうに机に向かって座ってるわけ。
で、最初は窓のところに座ってたんだけど、しばらくしたら、なんか、違うかもしれないと思って。
ほんとは窓枠がいちばん好きなんだけど、どうやらここじゃないのかもしれないと思って、机とイスのところに行って座ったと。
まぁ、そういうことを赤瀬川さんが書いててね。
それは、藤森さんらしいと思うんだけど、いまの話を聞いてなるほどなと思って。
つまり、ずーっと意地を張って、窓枠に座っているっていうのとは違う。
[糸井]
そうだね、そうだね。
[南]
違うことしてやろうなんて、まったく思ってないわけだからね。
[糸井]
そうそうそう。
で、そういう出来事を子どもがしたっていうのを親から見たらおもしろいと思うんだ。
[南]
そうだね。
[糸井]
でも、子どもにとっては、自分がこういうことしたって話は、いくら親から見てユニークでも、本人は正当だと思ってやってるから、おもしろくない。
[南]
なるほどね。
[糸井]
常識がまだできてないから。
[南]
それがふつうだから。
[糸井]
うん。たとえばね、うちの社員の子どもで、小学生低学年の男の子なんだけど、お姉さんたちのおっぱいを虎視眈々と狙ってる子がいるわけ。
[南]
はははは。
[糸井]
こんなちっちゃいのに、こう、子どもの振りをして、なんとかおっぱいに触ろうとするんだよ。
「ちょっとバンザイしてみて」とか言って。
[南]
はははははは。
[糸井]
で、それはものすごくおもしろいんだけど本人からすると、たぶん、おもしろいと思ってやってるわけじゃない。
[南]
ああ、なるほどね。そうかもしれないね。
[糸井]
ちょっと、それはいま、整理がついたな。
いい話とか、悲しい話とかは、ほんとうかもしれないけどね。
つまり、親がケンカしてたときのどうしようもない悲しさなんかは、むしろ、子どものころのほうが混じりっ気のないものかもしれないけど。
[南]
うん。
(なるほど。つづきます)
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