[糸井]
元気なときには、発見があったり、フレッシュにさせてくれるものと出会えるわけでしょう?
[横尾]
そういう絵を描いてるときは、すごく対話してますよ。
誰としてんのか、わからない‥‥まぁ、自分なんだろうけどさ。
対話と、疑問と、自己否定と、自己肯定と、それが一緒になって、もう
「行け行けどんどん!」という感じです。
そういうときはいいです。
[糸井]
そうじゃないときは?
[横尾]
過去の技術をここで一回引用しようとかさ。
[糸井]
昔の自分から借りてきて。
[横尾]
自分の中のいろんな経験の情報を引用してしまうわけ。
そうすると、時間もかかるし、めんどくさい。
自分の過去の作品のあるレベルのものは作れるんだけど、それにはもう、最初からぼくが満足してない。
[糸井]
おもしろくないんですね。
[横尾]
ぼくはそういうものを描くためにはやってないわけです。
だけど、依頼されて描く絵はそのあたり、しょうがないところがある。
[糸井]
依頼される絵かぁ。
[横尾]
「こんなに暗くしたら嫌がるかな」とか、相手の顔がチラチラ見えてきてね。
そうすると、もうひとりの自分が語りかけてくるわけ。
ぼくの中の、本能だか本心だか魂だかが
「ノー」と言ってるわけよ。
[糸井]
なるほど。
[横尾]
ぼくというこの体にやらせたくないと言ってるの。
[糸井]
横尾さんは、
「在庫を出してくる」という商いをしたくはないんですね。
[横尾]
だけど、人から
「この機会に何か作りたい」って頼まれてるからね。
[糸井]
でも、誰かがいいタイミングで頼んでくれたことがいい刺激になって、その枠のなかの旅ができる、ということもあるでしょう?
[横尾]
いや、頼まれ仕事は全部ダメだ。
[糸井]
‥‥はははははは。
[横尾]
グラフィックの仕事は、全部頼まれ仕事。
あの仕事は、頼まれないとできないんですよ。
それでいままでやってきたでしょう?
頼まれ仕事がいやだからあるところで線を引いてしまったわけ。
そうしたら突然、頼まれることが、ものすごく苦痛になってきた。
[糸井]
それは「画家宣言」のときですか?
[横尾]
「画家宣言」のときもそういう意志があったけれども、その頃はなんとか折り合いをつけていたわけ。
「隠居宣言」という本を書いたときに特にそう思ったの。
つまり、グラフィックの依頼仕事を断ち切るということを、
「隠居宣言」にしたかったんです。
それからもう、グラフィックはぜんぜん魅力がなくなった感じ。
[糸井]
だけど、人は画家なら画家で、画家の義務というものを押し付けますよね。
[横尾]
義務とは?
[糸井]
「画家とは」「こうあるべきだ」という、見えないルールがいっぱいあるんじゃないでしょうか。
[横尾]
世間知のルールはある。
でも、ほんとうは、そんなルールはないんですよね。
[糸井]
うーん‥‥、ほんとうはないですねぇ。
[横尾]
ルールは世間に合わせるために自分が作っていたりすることもあるでしょう。
[糸井]
はい。
[横尾]
世の中には、たしかにルールはありますよ。
あるけど、そのルールを無視して自分のルールに乗ればいい。
だけどどうしても世の中の美術家が作ったルールを自分が活用しようとしてしまう。
そこがまずいわけよね。
ルールなんてもの、最初からないんだよ。
むしろ、態度としてルールと逆行してる方向に行くべきじゃないだろうか。
そういう態度をいつも持ちながら、ルール内でやってる自分がもうイヤになってくるわけ!
[糸井]
またそこから出ようとして、どんどん隠居になるわけですね。
[横尾]
だからね、黙って「隠居宣言」してもダメなのよ。
[糸井]
うーん、そうですね、相手との関係ですから。
[横尾]
「隠居宣言するぞぉー!」と言って、追い込んで追い込んで。
それぐらいのことをやらないと、逃げられないかな、と思うよね。
(続きます!)
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