2009.12.26
「ほぼ日の路線図2010」鉄道取材記事第1弾!<山万ユーカリが丘線>(1/4)
頭に帽子を乗せた姿で「出発進行!」。
ほぼにちわ、です。
察しがいい方は、今日のテーマがなにか
もう、おわかりのことと思います。
そう、鉄道です。
以前、10月14日「鉄道の日」にご紹介した
ほぼ日路線図チームの
「気になる駅、気になる路線」。
その記事を掲載したときに、
1通のメールをいただきました。
ほぼにちわ。
山万ユーカリが丘線に反応して、お便りします。
まだ、この路線が開通したばかりのころ、
この路線の「中学校」駅のそばに引っ越しました。
当時(バブル絶頂期)は毎日毎日残業で、
このユーカリが丘線の終電
(当時ユーカリが丘駅発23:20だったかなあ)
で帰宅していました。
当時、乗客も少なく、発車するまでの間、
JRを定年退職されたあと、
山万ユーカリが丘線に運転されていた
運転手さんとお話したのが、楽しい思い出です。
その後、私は結婚して実家を離れ、
さらに親不孝でずっと実家に帰らないうちに、
実家が京成線の隣の臼井駅に引越してしまったため、
もう、15年以上、ユーカリが丘線に乗っていません。
取材のご報告、すごくすごく楽しみにしています。
(伊藤さん)
伊藤さん、すてきなメールをありがとうございます!
路線図チームのリーダーが
気になっていた路線「山万ユーカリが丘線」。
この、なんともユーモラスな名前がついた路線は
いったいどんな鉄道なのでしょうか。
「山万ユーカリが丘線」を経営、管理している
山万株式会社の企画部課長、細川大介さんに
お話をうかがいました。
●ユーカリが丘線、こあら号登場。
山万ユーカリが丘駅にて細川さんと待ち合わせ。
まずは乗ってみようということになり、
電車が来るまでのあいだ、
このユーカリが丘線のことをお訊きしました。
?
[ ほぼ日 ]
この、ユーカリが丘線って
なんでこういう名前なんですか?
[ 細川 ]
まぁ、ご覧のとおり、
ここは「ユーカリが丘」っていう街なんですね。
1970年代、環境破壊が社会問題になり始めたときに
この街の開発が始まったわけです。
[ ほぼ日 ]
はい。
[ 細川 ]
そんな時代背景ですから、この街は
そういった問題とは無縁な街にしたいと考えました。
「自然と都市機能が調和した21世紀の新環境都市」を
目指し、その象徴として、殺菌や空気清浄の作用がある
ユーカリの木を街に植樹したんです。
それでその名前をそのまま街の名前にいただきました。
▲これがユーカリの木。ちなみにこの写真の木は
ユーカリが丘に生えているものではありません。
[ ほぼ日 ]
でも、またその街に電車を走らせるとは
思い切ったことをしましたね。
[ 細川 ]
やっぱりクルマを主とした交通網だと
渋滞による遅延や公害の問題が
大きく浮き彫りになると考え、
鉄道をメインの交通網とすることに決めました。
[ ほぼ日 ]
いきなり鉄道の運営って
できるものなんですか?
[ 細川 ]
できません(キッパリ)。
そもそも国から鉄道を走らせてもいい、という
許可をいただかないといけないんです。
いまでこそ規制は緩くなったかも知れませんが、
当時の運輸省(現、国土交通相)から
なかなか認可が下りず
だいぶ苦労したと聞いております。
でも、おかげさまで戦後、
民間では初の鉄道認可取得をいただきました。
[ ほぼ日 ]
へぇー。
[ 細川 ]
ふつう、街ができるときって、
鉄道会社さんが先に鉄道を走らせて
そのあと不動産ができていくという図式なんです。
しかも電鉄会社さんが不動産もやります。
でも、「ユーカリが丘」はまったくの逆で、
不動産屋が「電鉄を走らせたい」と言ったわけです。
[ ほぼ日 ]
聞けば聞くほど無茶ですよ(笑)。
[ 細川 ]
それをやったわけです(笑)。
あ、向こうのほうを見てください。
電車が来ましたよ。
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