- ──
- 結局、モデル業は何年やってたんですか?
- マーク
- わりと長いよ。まず、ヨーロッパで4年。
- そこでいったん辞めて、
10年くらい別の仕事に就いてたんだけど、
1997年から再開したんだ。
- ──
- あ、いったん辞めてるんですね。
- マーク
- それからは、やったりやらなかったり‥‥
ということが続いている。
- ──
- 現在は、カメラの仕事がメインですものね。
でも、今も、話があれば?
- マーク
- そうだね‥‥いちばん最後に仕事したのは、
1年以上前になると思うけど。
- ──
- ちなみに、モデルを辞めたあとの10年は、
何の仕事をされていたんですか?
- マーク
- 主に、海外旅行をする人たちのために、
ビザやパスポートを扱う事務所に勤務した。
- わりに専門性の高い仕事で、
当時はサンフランシスコに住んでいたんだ。
- ──
- 10年間?
- マーク
- いや、そのうちの5年くらい。
- 細かい話をすれば、時間がある夜などには、
ケータリングの会社で仕事をしてたよ。
- ──
- そのときには、まだ、
カメラは、手にしていなかったんですか?
- マーク
- うん、まだ。今となっては、
もっと早くやれば良かったと後悔している。
- 自分は本当にバカだったと思うんだけど、
カメラをはじめたのは、
さっきも言ったように2003年だったから。
- ──
- じゃあ‥‥今から13年前。
- マーク
- モデルをやっている当時、
自分は、ギリシャのアテネに住んでいた。
- 自分としては、モデルとして、
それなりにお金を稼ぐつもりだったけど、
正直言って、
そんな簡単に仕事があったわけでもないし、
たくさんのお金を稼げたわけでもなくて。
- ──
- さっきも言ってましたね。意外ですけど。
- マーク
- 大金を手にするモデルなんて、一握りだよ。
- それどころか、
雑誌とかエージェンシーへ売り込む写真に、
けっこうお金がかかったりするんだ。
- ──
- それは、きちんとした写真を撮るのに。
- マーク
- そこで、モデル仲間どうしで、
おたがいの写真を撮りあったことがあって。
- ──
- ええ。
- マーク
- 友人のモデルが、僕の写真を撮ってくれて、
それは、とってもよく撮れていた。
- でも‥‥僕が撮った彼の写真はっていうと、
ぜんぜん、よく撮れなくて(笑)。
- ──
- あら。
- マーク
- そのときに、
もっとカメラをやってみたいなと思って、
アメリカに戻ってから、
自分でも、写真を撮りはじめたんだ。
- ──
- そのような暮らしを続けてきたなかで、
いつくらいから、
屋上での生活が、はじまるわけですか。
- マーク
- うん、あなたがそういう質問をするのは
もっともだと思うけど、
自分としては、あのビルの屋上で
「生活していた」とは言いたくなくてね。
- ──
- と、言いますと‥‥。
- マーク
- やっぱり、自分自身の気持ちとしては、
あそこにいたのは、
一時的な「ステイ」ということなんだ。
- あの場所に、たまたま、
ある期間、宿泊していたという感覚で。
- ──
- ええ、わかります。
すみません、言葉の選びかたが悪くて。
- マーク
- いや、ようするに、ぼく自身としては
あくまで
屋上に「リブ」したとは思いたくない、
そういうこと。
- ──
- はい。
そもそも「無断」だったわけでもあるし。
- マーク
- そうだね。それとあとひとつ、
ぼくは「ニューヨークに住んでる」んだ。
- たしかに「屋上」には滞在したんだけど、
大都会でキャンプしてるって、
そういう気持ちを持って、あそこにいた。
- ──
- マークさんにとって、より大きな事実は、
ニューヨークに住んでいること。
- マーク
- そう。屋上で暮らしたって気持ちはない。
事実はともかく、気持ちとしては、ね。
- でも、先ほどの質問の、
屋根のない屋上に滞在するようになった、
その時期としては、
2008年の8月末か9月だと思います。
- ──
- きっかけは?
- マーク
- アメリカでカメラを手にしたあと、
ふたたびヨーロッパに渡って、
南フランスで
カメラマンとして何とか生活していきたいと、
持っていたお金を、
ほとんど使い果たして挑戦したんだけど、
結局、うまくいかなかった。
- ──
- そうなんですか。
- マーク
- 破産とまではいかないけれど、
金欠の状態でニューヨークへ戻ってきて、
1週間か2週間、
値段の安いホステルに滞在していたんだ。
- ちょうど、9月7日からはじまる
ファッションウィークの直前だったけど。
- ──
- ええ。
- マーク
- そこが‥‥とにかく、ひどいところでね。
- ベッドに寝ていても、
何だかダニみたいな虫に噛まれちゃって、
全身がかゆくなっちゃって、
とてもじゃないけど、
こんなところには泊まってられないって。
- ──
- それは、ちょっと厳しいですね。
- マーク
- お金のない状態だったし、
友だちや家族の家に世話になるというのも、
気が進まなかったので、
そうだ、あそこがある‥‥って思いついた。
- ──
- お知り合いが住んでいるアパートの屋上の、
少し風のしのげそうなくぼみ、ですね。
- マーク
- イーストビレッジにある、アパートだった。
- その知り合いというのが、
ときどき、自分が何日か留守をするときに、
知り合いや友だちを泊めている人で、
ぼくも何度か、世話になったことがあって。
- ──
- エントランスの合鍵を持っていた、と。
- マーク
- 1980年代、若いころに
ヨーロッパをまわって過ごしていたときは、
できるだけお金を払わないで済む旅を、
いろいろ工夫していたんだ。
- もちろん、いかに節約しても、
誰かの好意に頼らなければならない部分が、
あったことは、たしかだけど。
- ──
- ええ。
- マーク
- で、そうやって放浪の日々を過ごすうち、
最終的には、自分は、
食べるものによりお金を遣いたいんだと、
だんだん、わかってきた。
- ──
- 衣食住のなかでは、「食」が大事。
- マーク
- そう、南フランス‥‥プロバンスでも、
サントロペでも、
カメラさえ茂みに隠せれば、
自分は野宿をしたって平気だと思えた。
- で、そうやって宿代のお金を節約して、
食べるものだけは、
毎食、きちんとしたものを食べようと。
- ──
- 食というのは、
生きることにとっての基本ですしね。
- マーク
- ヨーロッパで
そういう暮らしに慣れていたものだから
ニューヨークに戻っても、
まあ、同じようにやれたんだと思う。
- ──
- わりと自然に‥‥というか、
そこのハードルが低かったんですね。
- マーク
- 当然、ビルの屋上に滞在するってことは、
お金が足りない、欠乏している、
ようするに
生活に困窮しているからってことに、
なるのかもしれないけど‥‥。
- ──
- そうですね、一般的には。
- マーク
- でも、そうやって生活をするうちに、
人って意外に、
そんなにいろんなものがなくたって
大丈夫なんだなと思えてきた。
- すくなくとも自分は、大丈夫だった。
- ──
- いろんなもの。
- マーク
- みんなが持っているテレビも、パソコンも、
立派なキッチンだって、
なければないで平気になるし、
洋服にしても、限られたものがあれば‥‥。
- ──
- そんなものですか。
- マーク
- もちろん、常にハッピーだとは言わないよ。
あたたかい布団で眠りたいし、
洋服だって新調できたらいいなって思う。
- でも、やっぱり、
人生には上がったり下がったりがあるし、
人それぞれ、
持っているものに違いはあるけど、
自分は、人が受け入れてくれさえすれば、
生きていけるって実感したんだ。
- ──
- 屋上で滞在するうちに、そういう気持ちに。
- マーク
- 自分が幸せだというのは、どういうことか。
そのことは、いつも考えていたから。
- それに、何にも持ってなかったけど、
他の人より持っていたものもあったと思う。
- ──
- それは何ですか。
- マーク
- やっぱり、「自由」ということ。
圧倒的な「フリーダム」の感覚。
- ──
- それは、何からの自由‥‥ですか?
- マーク
- 今月の家賃をどうしようとか、
お金の心配に悩まされることからの、自由。
- そこからの自由は、誰よりあったから。
(つづきます)