第1回
ミッフィー、気仙沼に行く。

オランダから、海を越えて
「ほぼ日」におおきなミッフィーがやってきたのは
2014年7月のことでした。

「ほぼ日」のみんなは
身長(耳も含む)180センチもある
ミッフィー像の巨大さに、驚きました。

「ミッフィー・アートパレード」は
この180センチの真っ白なミッフィー60体に
アーティストやクリエイターが
自由に装飾をほどこして発表する、というものです。
日本からは15組が参加します。


▲玄関に置いたベッドに寝るミッフィー。

このお話をいただいたとき、
私たちはすぐ、
「気仙沼のほぼ日」と事務所を同居している
気仙沼ニッティング
ミッフィーをあずけることに決めました。
気仙沼ニッティングのみなさんも、御手洗瑞子社長も
「よろこんでやらせていただきます」と
お返事くださいました。

ですから‥‥ミッフィーを気仙沼に運ぶことが、
「ほぼ日」の仕事の第一歩となります。
私たちは車(バン)でミッフィーを運ぶことにしました。


▲寝たままバンに乗り込むミッフィー。

車で東京から気仙沼までミッフィーといっしょに
ドライブをしていくので、
東日本大震災の被災地を訪れながら
北上することにしました。
東日本大震災のあとにたちあがった会社で
服を編んでもらうのだから、
あの震災のことを、ミッフィーに見てほしいな、と
思ったのです。


▲「ほぼ日」スタッフ2名が運搬係です。

暑い暑い夏の日、早朝に出発しました。
最初に着いたのは福島県いわき市でした。

東日本大震災は
2011年3月11日14時46分に発生しました。
福島県の中通り、浜通りでは
震度6強の揺れがありました。

いわき市は津波による被害も大きく、
17.75平方キロメートルが浸水区域となりました。
完全に流出した建物は約1050棟、
そのほかの全壊建物は1260棟にものぼります。
292名が亡くなりました。
いわき市ホームページより)
福島第一原子力発電所も電源を失って
重大な原子力事故となりました。

次に着いた地は、宮城県の県庁所在地、仙台市です。
震度6強の揺れで、
138万戸の停電、全壊の建物は30034棟でした。
仙台港の痕跡から推定した津波は7.2メートル。
仙台市で死亡が確認されたのは917名
仙台市ホームページより)。
新幹線も止まり、
東北地方の心臓部としての機能を戻すまで
たいへんな苦しみを味わいました。

ミッフィーを乗せて海岸線を北上し、
次に着いたのは松島です。
湾内にうかぶ松島の島々を
高台から、ミッフィーに見てもらいました。

松島町の町民の方も21人が亡くなりました。
津波の高さは3.8メートル、全壊家屋は219戸。
電気も水道も電話も全域で止まりました。
東北本線、仙石線ともに、電車は運行停止になりました。
(以上、松島町ホームページより)

そして、次は宮城県石巻市。
蛤浜は津波に襲われ、浜が壊滅し、
現在は2世帯のみが残って
暮らしていらっしゃいます。
その後、Cafeはまぐり堂ができあがり、
ツリーハウスも建ちました。
いまは年間1万人以上の人びとが訪れ、
にぎわいを見せています。
はまぐり堂のケーキ、鹿のカレーはおいしいです。

岩手県陸前高田市。
全体の被災戸数の93パーセント以上が「全壊」という
甚大な被害を受けた地域です。
陸前高田市ホームページより)

いま、陸前高田では
山から岩や石を削って粉砕し
巨大なベルトコンベアに乗せて平地に運ぶ作業が
行われています。
これは高台の住宅をつくる、宅地造成のための作業です。
このベルトコンベアは
「希望のかけ橋」という名で呼ばれています。

陸前高田の老舗の醸造業、
おいしい醤油や味噌をつくる
八木澤商店さんにも
立ち寄ってみました。
八木澤商店さんの裏手には
JR大船渡線の線路があります。
震災後はいったん全線不通になりましたが、
一ノ関〜気仙沼間は運行が再開されました。
しかし、この陸前高田を走る区間の線路は
現在も使われていません。

線路は夏草でおおわれていました。
現在、大船渡線の不通区間は
BRT(バス高速輸送システム)が補って運行しています。

いわき、仙台、松島、石巻、陸前高田‥‥
ミッフィーと私たちは、
こうしてあちこち立ち寄りながら、
宮城県気仙沼市に到着しました。

気仙沼は、津波とその後起こった火災によって
たくさんの人や家が失われました。
死者行方不明者は1363人(関連死も含む)と
報告されています。
気仙沼市ホームページより)

海沿いにあったたくさんの商店も
ほとんどが津波で流されました。
いまは仮設のプレハブで、
多くのお店が商いをつづけていらっしゃいます。

この街にあるのが、
あみものの会社、気仙沼ニッティングです。
震災のあと、
「だれかによろこんでもらえることを実感できる仕事を」
「仕事のうれしさが伝わるようなものづくりを」
と、たちあがった会社です。

このとき、まだ世の中には
「ミッフィー・アートパレード」のことは
発表されていませんでした。
何を運んでいるのかをお伝えできないまま、
行きの運搬は、ほぼ日刊イトイ新聞の
「私を気仙沼に連れていって」という
中継コンテンツになりました。
そして、帰りは
「田口くんのヒッチハイク」の併走中継をしながら
ミッフィーを東京に運びました。

いまから考えれば、なぜ
ミッフィーを気仙沼に
直接輸送してもらわなかったのか、
自分たちで往復する必要はなかったのに、
と思います。
ほんとうに、当時は気づいていませんでした。

でも、この行き帰りの海岸線の景色は、きっと
ミッフィーのまなざしに
入り込んだのではないかと思います。

(つづきます)

2015-04-15-WED 
もくじ  
第1回
ミッフィー、気仙沼に行く。
2015-04-15
第2回
ミッフィー、カーディガンを編んでもらう。
2015-04-20
第3回
ミッフィー、銀座に集まる。
2015-04-22

誕生60周年記念
ミッフィー展
2015.4.15(水)〜5.10(日)
松屋銀座8階イベントスクエア
午前10時〜午後8時
(最終日は5時閉場 入場は閉場の30分前まで)

誕生以来、多くの人々の心に寄り添って
たくさんの幸せややさしさを届けてくれたミッフィーは
今年誕生60周年を迎えました。
松屋銀座で開かれるミッフィー展では、
作者ディック・ブルーナさんの初期作品などの原画、
スケッチ、制作資料など約300点を展示するほか、
油彩画や奥さんのために描いた「朝食メモ」などを
もりだくさんで紹介します。


ブルーナさんが奥さんに贈った「朝食メモ」


『ちいさなうさこちゃん』(第2版、1963年)原画


『りんごぼうや』(第1版、1953年)原画

「ほぼ日」と「気仙沼ニッティング」が参加した
ミッフィー・アートパレードも、
日本から参加した15体がお披露目されます。
展覧会限定グッズは400点以上取り揃えられています。


(左)展覧会限定ぬいぐるみ (右)展覧会限定マスコット
※ボールチェーンつき


デルフォニックス製の文具や雑貨


「UDFミッフィー」うさこちゃんとにーなちゃん(1999年)

松屋銀座さんはフードフロアも充実しています、
ついでに銀座をブラブラしに、ぜひ、お出かけください。
 

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