YAMADA
歴史は、ひとことで語れない。
みなもと太郎さんと「時間」を語る。

第4回 自分のすべてをぶつける仕事。

糸井 みなもとさんは、もともとは、
どういう人になりたかったんですか?
みなもと もう、ぜんぜんわからなかった。
ただ、漫画を描く以外に、
俺が生きる道はないな、
とは思っていました。
漫画のときだけ、
「自分」というものがあるという
気がしていまして。

ただ、あの頃は、
貸本漫画が次の時代を
担うであろうけれども、
貸本漫画を描いている限りは
食えないであろうという時代ですから。
糸井 水木しげるがメジャーに行く前に、
貸本漫画できたない絵を
描いている時代から、
ぼくも見ています。
水木しげるっていうのは、
なんてイヤな絵を描くやつだ、と。
みなもと こわかった……。
糸井 『マガジン』に載る頃には、
もう絵が整理されていて、
いいアシスタントもついていた。
みなもと その時期には、すでに、
水木しげるの大きなものが
削がれたかたちで出ていたじゃない?
糸井 お母さんが、
「こんなの見ちゃダメよ」
というようなものは、なくなりましたね。

貸本屋時代の漫画家は、
他もそうでしたね。白土三平もそうだし。
(※貸本屋は、月遅れの漫画雑誌などを
  貸し出して商売していた店舗のこと)

後の時代でも、
貝塚ひろしが、野球をやめて
漫画家になりましたという人として
デビューしたり、
本宮ひろ志さんが、
自衛隊をやめてデビューしたり、
それぞれの漫画家には、かならず、
初期の「ヘタな時代」って、ありますよね。
みなもと すごいんだよねぇ。
ヘタな時代というのは、
それぞれ、みんなおもしろい。
糸井 「これで、よく持つなぁ」
というレベルの漫画を、
編集者が出しちゃうんですよ。
みなもと そうそう。
「これで、原稿料取ってるの?」
というような絵ね。
でも、その頃が、たのしいんですよ。
糸井 そうでしょうねぇ。
みなもと それぞれの人に、初期の作品について
「あれ読みました」
と言うと、イヤな顔をするんです(笑)。
糸井 松本零士さんが、あまり売れないときとか。
みなもと 不思議な絵でしたよねぇ。
『男おいどん』で売れる前には
『セクサロイド』も『四畳半』もあって、
さらにその前には、
まったく仕事をしていないブランク時期があって、
『ララミー牧場』なんてのを
連載してたなぁ。

松本零士は、奥さんのほうが
漫画家として先に売れちゃっていたから、
しばらくは冷や飯というか、奥さんの漫画に
女主人公がかわいがる
ペットを描くとか、ね……。
糸井 人の漫画を語るとき、イキイキしてるわ!
得意そうですね、自分のことでもないのに。

漫画って、ずいぶん
魅力のある仕事なんですよね。
黒田征太郎、横尾忠則、
石森章太郎、筒井康隆。
そういう人がおんなじように
投稿してた雑誌があったんだもん。
『漫画少年』。

で、それぞれ、一方では筒井康隆になり、
一方では横尾忠則になったりしながらも、
漫画家としては挫折してるわけですよね。
みなもと みなさん、それを言うんですよね。
だから、漫画って不思議な仕事です。
糸井 ぼくも、実は漫画家になりたかったんです。
……まぁ、
ならなくてよかったと思いますけど。
みなもと (笑)そう言ってくれるのが、
いちばんいい!
糸井 だってねぇ、大変ですよ!
みなもと やっぱり、子どもに
やらせたくはない気はするよね。
子どもは子どもで、
今の新しいパソコンで絵を描いてるから、
それは勝手にやればいいんだけど。
本人の人生だから。

でも、自分のやってきたことを考えると、
わざわざ「やりなさい」とは
言えないですね。
糸井 でも、心から、全身全霊を
ぶつけられる仕事だということは
確かですね。
みなもと 私の場合、そうでした。
糸井 自分の持ってる力をぜんぶ出さないと、
やっぱりマンガってできない。
みなもと できないですね。
糸井 で、そのすごさが、やっぱり
子どもに、憧れさせるんだと思うんですよ。
みなもと まあ、私たちの先輩はみんなそうでした。

あの頃は、食えなくなるのを承知で、
世間からドロップアウトするのを
知っている人が、
敢えて目指したものだから。


そこに、やっぱり私はジーンときますよね。
  (明日に、つづきます!)


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2004-04-12-MON


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