糸井 |
みなもとさんは、もともとは、
どういう人になりたかったんですか? |
みなもと |
もう、ぜんぜんわからなかった。
ただ、漫画を描く以外に、
俺が生きる道はないな、
とは思っていました。
漫画のときだけ、
「自分」というものがあるという
気がしていまして。
ただ、あの頃は、
貸本漫画が次の時代を
担うであろうけれども、
貸本漫画を描いている限りは
食えないであろうという時代ですから。 |
糸井 |
水木しげるがメジャーに行く前に、
貸本漫画できたない絵を
描いている時代から、
ぼくも見ています。
水木しげるっていうのは、
なんてイヤな絵を描くやつだ、と。 |
みなもと |
こわかった……。 |
糸井 |
『マガジン』に載る頃には、
もう絵が整理されていて、
いいアシスタントもついていた。 |
みなもと |
その時期には、すでに、
水木しげるの大きなものが
削がれたかたちで出ていたじゃない? |
糸井 |
お母さんが、
「こんなの見ちゃダメよ」
というようなものは、なくなりましたね。
貸本屋時代の漫画家は、
他もそうでしたね。白土三平もそうだし。
(※貸本屋は、月遅れの漫画雑誌などを
貸し出して商売していた店舗のこと)
後の時代でも、
貝塚ひろしが、野球をやめて
漫画家になりましたという人として
デビューしたり、
本宮ひろ志さんが、
自衛隊をやめてデビューしたり、
それぞれの漫画家には、かならず、
初期の「ヘタな時代」って、ありますよね。 |
みなもと |
すごいんだよねぇ。
ヘタな時代というのは、
それぞれ、みんなおもしろい。 |
糸井 |
「これで、よく持つなぁ」
というレベルの漫画を、
編集者が出しちゃうんですよ。 |
みなもと |
そうそう。
「これで、原稿料取ってるの?」
というような絵ね。
でも、その頃が、たのしいんですよ。 |
糸井 |
そうでしょうねぇ。 |
みなもと |
それぞれの人に、初期の作品について
「あれ読みました」
と言うと、イヤな顔をするんです(笑)。 |
糸井 |
松本零士さんが、あまり売れないときとか。 |
みなもと |
不思議な絵でしたよねぇ。
『男おいどん』で売れる前には
『セクサロイド』も『四畳半』もあって、
さらにその前には、
まったく仕事をしていないブランク時期があって、
『ララミー牧場』なんてのを
連載してたなぁ。
松本零士は、奥さんのほうが
漫画家として先に売れちゃっていたから、
しばらくは冷や飯というか、奥さんの漫画に
女主人公がかわいがる
ペットを描くとか、ね……。 |
糸井 |
人の漫画を語るとき、イキイキしてるわ!
得意そうですね、自分のことでもないのに。
漫画って、ずいぶん
魅力のある仕事なんですよね。
黒田征太郎、横尾忠則、
石森章太郎、筒井康隆。
そういう人がおんなじように
投稿してた雑誌があったんだもん。
『漫画少年』。
で、それぞれ、一方では筒井康隆になり、
一方では横尾忠則になったりしながらも、
漫画家としては挫折してるわけですよね。 |
みなもと |
みなさん、それを言うんですよね。
だから、漫画って不思議な仕事です。 |
糸井 |
ぼくも、実は漫画家になりたかったんです。
……まぁ、
ならなくてよかったと思いますけど。 |
みなもと |
(笑)そう言ってくれるのが、
いちばんいい! |
糸井 |
だってねぇ、大変ですよ! |
みなもと |
やっぱり、子どもに
やらせたくはない気はするよね。
子どもは子どもで、
今の新しいパソコンで絵を描いてるから、
それは勝手にやればいいんだけど。
本人の人生だから。
でも、自分のやってきたことを考えると、
わざわざ「やりなさい」とは
言えないですね。 |
糸井 |
でも、心から、全身全霊を
ぶつけられる仕事だということは
確かですね。 |
みなもと |
私の場合、そうでした。 |
糸井 |
自分の持ってる力をぜんぶ出さないと、
やっぱりマンガってできない。 |
みなもと |
できないですね。 |
糸井 |
で、そのすごさが、やっぱり
子どもに、憧れさせるんだと思うんですよ。 |
みなもと |
まあ、私たちの先輩はみんなそうでした。
あの頃は、食えなくなるのを承知で、
世間からドロップアウトするのを
知っている人が、
敢えて目指したものだから。
そこに、やっぱり私はジーンときますよね。 |
|
|
(明日に、つづきます!) |