- ミロコ
- わたしね、子どものころ、
習いごとがものすごく多かったんです。
きびしい家だったんですよ。
- 糸井
- 意外だなあ。
- ミロコ
- すごくいそがしい小学生で、
何曜日はそろばん、何曜日は塾、何曜日はピアノ。
とにかく毎日忙しくて友達と遊ぶひまもない。
唯一の楽しみといえば、
塾に行って、前に座っている女の子の
みつあみのおさげを見ることでした。
- 糸井
- 自分が他の子よりも遊ぶ時間が少なくて、
つらい思いをしていたという
自覚はあったんですか。
- ミロコ
- 子どもながらに多少は不満がありました。
多少‥‥いや、おおいにあった(笑)。
- 糸井
- しょうがないからみつあみのおさげを見てた。
- ミロコ
- そう。その子がたまにみつあみをほどいて、
もう一回あみなおすんです。
「きたきた!」と思って、
それが最高のたのしみでした(笑)。
- 糸井
- その塾での“たいくつ”が
けっこう重要だったんじゃないかな。
僕も、いまやってることって、
さいしょはたいくつとの戦いだったんですよ。
うちの子どもが小さい頃、
床屋に連れていったことがある。
僕が髪を切っているあいだ、ふと横を見たら
子どもが鏡を見ながらいろんな顔をしてるんです。
ああ、この人はそうやって
たいくつしのぎをしているんだな、
面白いなと思ったことがあった。
海水浴に行ったときもそう。
うちの子は、僕が寝ていても起こさないんです。
その間どうしているかというと、
天井を見ながらずっと歌を歌っている。
それは、いまのみつあみを見ている話と同じだと思う。
僕自身もそうだった。
「この時間をなんとかしよう」ってことの
積み重ねがいまにつながっていますもん。
- ミロコ
- 不自由な時間を、おもしろいものに‥‥。
うん、それはあったと思う。
ただ、そうやってぼーっとおさげを見ているから、
勉強はまったくできないんですけどね。
- 糸井
- 勉強って目的にちゃんと向かっていくものだから。
たいくつな勉強じゃなくて、
自分がやりたいことだったらやるんですよね。
- ミロコ
- 私、あるとき保健のテストだけ93点という
驚異の点数をたたき出したことがあって。
テストを返すときに、
1位の人だけ発表されるんです。
いままでどの教科でも呼ばれたことがない私が
保健のテストで初めて呼ばれて、
みんなざわざわってなって、恥ずかしかった(笑)。
ぜんぜん勉強しなかったのに、
それだけは頭に入ってきたんですよね。
- 糸井
- 保健には興味があったんだね(笑)。
絵はどうだったの?
- ミロコ
- 絵はね、あんまり。
美術も選択しなかったくらいです。
ふつうの女の子が描くていどには描いていたけど、
そこまでだったんです。
- 糸井
- そうなのか!
- ミロコ
- お話の人なんです、本当は。
私はお話をつくりたくて、
それに絵がくっついてきたんですけど、
そしたら絵がおもしろくなった。
だから、たぶんちょっとずつ全部遅くて。
- 糸井
- 超晩熟なんだ。
- ミロコ
- そうです(笑)。
- 糸井
- だからいまも、子どもがやるようなことを、
「こんなにおもしろい」と
思っているのかもしれないね。
- ミロコ
- うん、絵を描きはじめたときは、
びっくりしました。
「絵ってこんな楽しかったんや」って。
- 糸井
- 「足、こういうふうに曲がってんだ」って。
お話の人ということは、
作文とかは好きだった?
- ミロコ
- 作文も、イヤ(笑)。
でも、お話が好きだったんです。
それもちょっと遅くて、15歳ぐらい。
人形劇を観に行ったんですよ。
- 糸井
- 人形劇! いいとこ行くなあ(笑)。
- ミロコ
- 母から頼まれて、
年の離れた弟を連れていったんです。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の人形劇。
「なんでこんなの観なくちゃならないんだろう」
くらいの気持ちで行ったのに、
えらく感動して、ぼろぼろ涙が出てきて。
弟は隣で寝てたんですけど(笑)。
それで『モモ』の原作を図書館で借りて読んだら
ものすごく面白かった。
それから児童文学を読むようになりました。
人形劇って絵本原作のものが多いので、
絵本もたくさん読むようになったんです。
そのときは単純だから、
人形劇団員になりたいと思った。
ただ人前に出るのは苦手ってことは
もう気づいていたので、
台本を書こうと。
大学の4年間は人形劇団で台本を書いてた。
- 糸井
- じゃあ15歳のときに人形劇を観てからは、
わりとまっすぐな道を歩いてるんですね。
- ミロコ
- そうですね、ちゃんとっていうのか、
「人形劇団員ってどうやってなるの?」
みたいな感じでしたけど(笑)。
- 糸井
- でも、とてもわかりやすいですよね。
好きだったから、なろうと思った。
- ミロコ
- そうですね。
好きなものができたのはね、ラッキーでした。
- 糸井
- じゃあ大学のときは
そこの劇団で作家業をしていたんですか。
- ミロコ
- 劇団って大げさに言いましたけど、
友達どうし4、5人でつくった、
大学生ばっかりの劇団で。
- 糸井
- でも、人に見せるわけでしょう?
やっぱりそれは、大変なことですよ
- ミロコ
- そうですね。でも18歳とかではね、
こわいものはないです。
- 糸井
- そうだね(笑)。
だれに見せたんですか。
- ミロコ
- 幼稚園や公民館で見せたりしてました。
大阪市内だったら声がかかればどこでも行きました。
でもね、
たまにちょっと大御所の人形劇団員みたいな
おばちゃんが来て、講評会をやることがあるんです。
台本も見せるんですけど、
まず「台本は縦やろ!」って言われて。
私、横書きだったんです。まずそこで怒られた。
- 糸井
- 書く前の段階のことでね(笑)。
そういえば人形劇ってさ、
だいたい揺れてない?
- ミロコ
- それ、人形を操作してるおばちゃんの
手が揺れてるんじゃないでしょうか。
ちょっと筋力がもたなくて(笑)。
あれ、下からずっと
腕をあげていなきゃいけないので、
けっこう大変なんです。体力勝負です。
- 糸井
- 今日、初めてすごい本格的な話を聞きましたね。
プロっぽかったです、いま。
- ミロコ
- あ、ほんとうですか(笑)。
- 糸井
- うん(笑)。
人形劇の脚本を書いてみて、
どうだったんですか?
けっこう向いてるなと思った?
- ミロコ
- いや、向いてなかったですね。
やっぱり台本だけでは終わらないんです。
人がたりないから、
「ちょっとこの人形をあやつって」
とかいうことがよくある。
声もちいさいし、
人前に出るのも苦手やし、
「イヤだな、人形劇」ってなっていって。
で、大学4年になって、
みんなそれで食べていこうとは誰も思ってなくて。
- 糸井
- そうだろうね(笑)。
- ミロコ
- 卒業とともにその劇団も解散しました。
ちょこっと1人で幼稚園とかも行きましたけど、
これじゃないなって。
- 糸井
- おお、1人で幼稚園に行った。
それは、子どもだから大丈夫だった?
- ミロコ
- そうですね、大人よりはらくですけど、
子どもの後ろにだいたい親がいるので。
「このお話は意味がわかりません」
とかいう感想が
いっぱい寄せられるんです。
「たしかに」と思うんですけど(笑)。
- 糸井
- そのときには、人形もつくってたんですか?
- ミロコ
- 人形もみんなでつくって。
だいたい自分の担当の人形は
自分でつくるんですけど、
みんなしろうとだから大変です。
- 糸井
- その絵というか、人形表現は?
- ミロコ
- それは、その劇団の中に絵が得意な子がいたんです。
- 糸井
- あなたじゃなくて(笑)。
- ミロコ
- はい。
- 糸井
- もう最高ですね。ぜんぶ違うんだね。
絵が得意な別の子がやってたんだ。
ねえ、いつ「ミロコマチコ」は出てくる(笑)?
- ミロコ
- ねえ。確かに。
- 糸井
- 大学でしょう? いまの話。
- ミロコ
- うん。もう少しです(笑)。
(つづきます)
2016-2-22-Mon
© Hobo Nikkan Itoi Shinbun.