宮沢 |
糸井さんが気仙沼で
「ほぼ日」をやろうと思ったのは、
なぜだったんですか?
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糸井 |
やっぱり“呼ばれた”んでしょうね。
おそらく他の土地でも良かったんです。
だけど、気仙沼と知り合っちゃった。
偶然ですよ。
そして、土地と、というよりは、
人と知り合っちゃったのが
やっぱり重要でした。
人と人って、
「おんなじように考えてるんだなあ」
ってことが嬉しいですよね。
気仙沼の人たちと話していると
「ああそうか、おなじなんだ」
って思うことがいっぱいあった。
だから知り合ってすぐ
「この人たちと一緒に働こう」と思ったんです。
いちばんの理想は、一緒に働くことなんですよ。
助ける、ではなく、
働く、ということだったら、
ぼくも得意なことが生かせるし、
「何もできないなあ」ではなく、
「よーし、やろう」っていうふうに言える。
相互に影響を与え合って、むこうはむこうで、
彼らが得意なことをやれますから。
なぜ具体的に支社を出したのかというと、
場所があれば色んなことができますよね。
場所がないと、ちょっと話をしようというときに
たとえばホテルのロビーになっちゃう。
自分たちの場所があるってことは大事だし、
それによって行く理由もできる。
「ぼくらは、気仙沼に決めたんだよ」
っていうシンボルにも、なりますよね。
実際に気仙沼の「ほぼ日」ができてから、
ものすごく前に進みやすくなりました。
たぶん宮沢くんもそうだと思うけど、
「これお願いします、あれお願いします」
って言われることを全部聞いていたら、
やっぱり自分がいなくなっちゃいますから。
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宮沢 |
ぼくは「いつかやろう」っていうような、
“いつか”っていう言葉が好きで、
よく使っていた気がするんですよ。
でも「“いつか”っていうのは来ないのかもな」
っていうことを、3月11日に思っちゃった。
だから“いつか”って思ってたことを
“いま”やろう、って考えるようになりました。
それは直接被災地のためにとか、
そういうことじゃないことも、
自分の夢だとか、そういうものも含めてですけれど。
で、自分が元気で意欲満々でいるっていうこと。
「いつ誰に呼ばれたって、どこでも歌えるぞ俺は」
っていう自分でいないといけないから。
いまはそういう感じなんです。
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糸井 |
“いつか”って、
力の分量とか日付とかは無いものね。
でも向きだけは決まっている。
“いつか”のことを考えるっていいですよね。
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宮沢 |
けれども、その“いつか”は
来ないかもしれないですよ。
やっと3キロまで上空から近づいたという
福島の原発の周辺の映像を見て、
なんにも始まってない地域が
あんなに広いと知って。
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糸井 |
先日、福島に行ってきたんです。
福島は原発だけの話にされちゃうんだけど、
実は津波の被害がとても大きい。
そのことをどうして忘れてたんだろうと思って、
そんな自分にちょっと呆れた。
やっぱりそのくらい人ってこう、
“イメージ”なんですよね。
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宮沢 |
ぼくらは福島のこと、知らなさすぎるんですね。
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糸井 |
かつて虐殺のあったルワンダに住んで
命からがら助かった人が福島にいるんです。
その人が1年目の3月11日を迎えるに当たって
「みんなが一緒にいたほうがいい」って。
なぜなら、一人ずつでは、
その思い出を思い出すのは辛すぎるから。
ルワンダでは、虐殺のあった日には
みんなで公会堂みたいなとこに集まって、
ワイワイ過ごすんだそうです。
だから「3月11日も
できるだけそうしたほうがいい」と。
人が人といるって、
それこそコンサート会場みたいな場面で、
ものすごくいいんです。
帰りに寂しくなっちゃう人はいても、
それはコンサートの帰り道と同じでね。
だからじゃんじゃん集まったほうがいいんです。
そして、ぼくは思うんだけれど、
そういうときにみんなが
“詩に寄りかかりすぎる”時期は、
もう終わったと思ってる。
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宮沢 |
え? 何にですか? 詩?
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糸井 |
そう。詩に寄りかかりすぎるというのはね、
さっき宮沢くんが言っていた
むかしの日本のうたというのは、
やっぱり詩の部分っていうのが
すごく大きかったと思うんだ。
けれども、素に帰って
しっかりとラブソングを歌ったり、
“人間はいいな”みたいなほうに、
本気で行ったほうがいいと思うんです。
考えじゃなくって、フィーリングのほうに、
もう一回ちゃんと行ったほうがいい。
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宮沢 |
そうですか。うーん。
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糸井 |
2011年の6月ぐらいだったかな、
気仙沼に若い子が集まって、
色んな話してるときに、そこにいた女の子が
「そろそろ喫茶店みたいなとこで
“恋ばな”したいんですよね」って言った。
ぼくはそれをすーごくいい話だと思った。
そのころは“身になること”ばっかりを
みんながやりとりしていたときに、
無駄なことっていうか、
“もともとしたかったこと”を、
思い出させてくれたんです。
そういうものを、
取り戻さないといけないなぁと思っていて。
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宮沢 |
なるほど。うーん。そう思うんですね!
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糸井 |
宮沢くん、ラブソング作ってよ。
2012年のラブソング。
「会いたくてしょうがない」みたいな歌を。
ぼくは、自分が言葉にかかわってる人間だけに、
言葉に力があるって思いすぎるっていうのは、
「なんかおかしいな」
ってずっと思いながらいるんです。
「こういうことでしょ?」
って言葉で言えるようなことじゃない歌が、聞きたい。
ジョアン・ジルベルトが
ポルトガル語で歌ってるのを、
言葉をまったく解さないぼくが聴いても、
ちゃんと伝わってくるんですよ。
「いったいそれって何?」という思いが、
ずっと、あって。
きっと、根本的に伝わるものって、
声とか、声に乗っける前の「こころ」とか、
そういうものだっていうふうに、
やっぱり、ぼくは、戻すべきだと思うんですよ。
「ありがとう!」っていう気持ちになる歌を、
みんな一回、取り戻すべきじゃないかなあ。
(つづきます) |