宮沢 |
ぼくが思春期を迎えていた80年代、
糸井さんの言葉に
いろんな影響を受けました。
糸井さんのつくったフレーズやコピーが、
あの時代に、すごく溢れていて、
同時に、イエロー・マジック・オーケストラの音楽に
驚かされたりしながら、
それを見ていました。
あの80年代をつくった糸井さんが、
いま、その80年代につくったものを
原点としているかのように、
「ほぼ日」をつくっている。
その話を、ぼくはすごく
聞きたいと思っているんです。
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糸井 |
宮沢くんの中では、80年代といまが
つながってるんだね。
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宮沢 |
はい。つながってます。
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糸井 |
その話を聞きながら、
「自分はどうなんだろうな」って考えていたんです。
案外“つながってない部分”が多いかもしれないぞと。
自分にとって、いまと80年代がいちばん違うのは、
“頼まれ仕事は一つもしなくて良くなった”こと。
80年代は全部が請け負い仕事でした。
けれどもいまは、自分でやりたいと思ったことを、
規模が小さくてもなんでも、
自分で決めて、ぜんぶ、自分が責任を引き受ける。
そういうふうにしたんです。
そういう仕事のしかたを、
もう十何年も続けています。
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宮沢 |
はい。
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糸井 |
80年代はね──、
このごろ、ぼくは若い子によく
「もっといい気になればいいのに」って言うんだけれど、
ぼくはちゃんとあの当時、
“いい気”になってたつもりなんです。
“自分がルールだ”
“これでいいんだ”って。
自分が面白いと思うものを、
みんなが面白がってくれた。
音楽で言えば
“個人的な気持ちをこめて書いたラブソングに、
みんなが、共感してくれる”
というのとおんなじことで、
80年代は、自分のやりたいことと
ひとが面白がってくれることが
一致していたラクさがありました。
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宮沢 |
90年代というのは、どうでしたか。
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糸井 |
90年代って空白に見えますよね。
あの時代は、やっぱり他人に
合わせていたような気がします。
90年代は、
変に自己主張しなくてもよくなってしまった。
「これはやりたいから一所懸命やっています」
という人も、
ほんとにそれがやりたいのかどうか、
分からなかった。
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宮沢 |
まさしくバブルっていうのは
80年代の終わりから90年代の頭頃ですよね。
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糸井 |
そうだね。雑誌で言えば、
90年代というのは、
広告収入を当てにしていた時代です。
80年代の雑誌は、
編集部が面白いと思って作り、
それに賛同して、スポンサーが出した。
そもそも雑誌って、そういうものだよね。
何を作りたいかがあって、
内容があって、
広告はそこに入ってくるものだったから。
けれども90年代は、
“だったらこういうのを作ると広告が入るぞ”
っていう作り方になって、主客が転倒した。
ぼくは、その居心地の悪さがいやで、
“広告はもうアルバイトぐらいでいいや”と、
40歳半ばぐらいかな、広告の仕事を辞め、
「ほぼ日」を始めたのが1998年です。
“やりたいのはこっちだ”って。
やがて広告の仕事も受けなくなって、
全部を「ほぼ日」の仕事として考えるようになった。
そんなこと言ってるうちに、
もう14年経っちゃったんですよ。
ぼく、目的やら夢があって
進むっていうタイプじゃなくて、
“そこはやだな”っていうので
逃げるタイプなんです。
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宮沢 |
はい(笑)。
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糸井 |
で、「やだな」って逃げるときの
ダッシュ力が結構強いから、
まるで次のスタートを元気よく
しているかのように見えるんだと思う。
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宮沢 |
なるほど。
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糸井 |
成功するかしないかはわからないけれども、
とにかくスタートする。
考えようによっては
「飢え死にするのも覚悟!」みたいな勢いです。
そのダッシュ力って、
ぼくはいまでも
自分に期待してる部分なんですよ。
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宮沢 |
怖くはないですか。
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糸井 |
怖くはないんです。
音楽の人で言えば
レコード会社に期待しすぎたら、
自分が潰れてっちゃうし、そのときに
「そうじゃない道を考えるぞ!」
って走ってったときには、
ちょっと怖さがあると思うんだけれど、
それ、あまりぼくは感じないんですよ。
(つづきます) |