「元気でいよう。」 ──これから、うたができること。── 宮沢和史さん×糸井重里対談
 
その7 居心地がいいのは歌謡曲?
糸井 オリジナル・ラブの田島貴男さんは
「かつて、昔の歌謡曲をバカにしてた」
と言うんです。
こういうのじゃなくて俺はこっちだと。
みんなそうですよ。バンドマンはみんなそう。
「ところがいま、
 ジュリーとか歌うと、いいんですよね」
と言うわけ。
カラオケの店でその話をしてたんだけど、
「いいだろ?」という曲が次々に出てくるんです。
「歌謡曲を陳腐な歌とバカにしてきた人たちが、
 そういう歌に復讐されるんだよね」って。

そんな田島くんはアルバム(『白熱』)で
『なごり雪』を歌った。
『なごり雪』はやっぱり
ほんとによくできてる歌なんです。
あの歌の中にはものすごく
たくさんの要素が入ってて、
「お前それ作れる?」って言われたときには、
「『なごり雪』恐れ入りました!」
「『なごり雪』、ごめんなさい」ってなる。
やっと、田島くんの世代がそこに
自由に行けるようになった、
と思って、この先おもしろいな、って。
宮沢 まさにぼくもそうです。
ぼくは、もう受け入れちゃいましたよ。
ぼくのルーツはパンクでもニューウェーブでも
ロックでもなかったなと。
その前に聴いてた、父親と母親が歌ってた
『有楽町で逢いましょう』や、
『コモエスタ赤坂』のようなムード歌謡だし。
糸井 いいんだよね。それがいいんだよ。
宮沢 ぼくはそれがルーツですって言ってしまおう、と。
そっちのほうが、居心地いいし。
糸井 そうすると、だからどこの場所にも
サッとこう逃げられるっていうか、
スポーツマンのような動きができますよね。
宮沢 できますね。色々準備しなくてもいいし。
ジミ・ヘンドリックス、
レッド・ツェッペリンを
カッコイイと思ったんですよね。
でも、ぼくとはやっぱり違うから。
そこでロックが好きっていうのと、
ロックの居心地の悪さみたいなことが
ずーっとこの20年あって。
で、震災の2年ぐらい前からかな、
「居心地よくのびのびとできるのは‥‥」
そうカミングアウトしたほうが
素敵だな、と思って。
糸井 面白いなあ!
それはもう自由ってことですよ。
宮沢 で、いまちょっと違和感があるんですよ。
同世代のイベントなんかにも行っても、
ぼく一人がちょっと違うということに。
糸井 若い子がやってることも、
一所懸命探ってるから
大変なんだろうなと思うんだけど、
やっぱりそれはぼくは
「他人(ひと)の服着てないか?」って思う。
震災以後、ぼくと会いたいっていう
若いミュージシャンが増えたんですよ。
向こうも、「オレとおんなじか」って
思ったのかもしれない。
ぼくも「面白いな」と思うし、
「いいぞ」って思うんだけど、
まだこの先にものすごく
自由になるチャンスがある、
いまは十分不自由なとこでやってるんだから、
もっとずっと良くなるから、って
言ってあげたい感じがしますね。
矢野顕子は三橋美智也の“達者でナ”を
デビュー時代から歌ってましたからね。
あれはもうマセてたと言えるけど。
宮沢 あははは(笑)。
矢野さんからは、
「スタイルっていう言葉を音楽で使うな」
ってずーっと言われてました。
「スタイルじゃないんだから」と。
で、ぼくがちょっとスタイル寄りになっていくと
すごく怒られました。
糸井 なるほどね! よく分かります。
宮沢 “ジャンル”みたいなことを言い出すと、
「音楽家・宮沢でいろ」と。
ま、直接そう言われたわけじゃないですけども、
「スタイルはとにかくやめなさい」って。
その代わり色んなスタイルを勉強しろ、
そしてそこから自由になれってこと。
糸井 スタイルっていう言葉の使い方なんだけど、
“あなたが好き”っていう
たったの5文字もカッコよくも歌えるし、
胸を打つようにも歌えるし、
「下手くそー」って悪口言いながら
また聴きたくなるような歌い方もできる。
けれども“あなたが好き”という
たった5文字の歌そのものを
スタイルって言っていいんじゃないかなって
ぼくは、思い始めたんです。

つまり文章でいうと文体。
「あなたが好き」っていくら言われても
ちっとも響かないときは、
それは文体ができていないんだ。
でも、ある文体で歌われちゃうと、
「俺も好きだよ」って言いたくなることもある(笑)。
宮沢 (笑)。
糸井 歌謡曲っていうのもある意味では文体ですよね。
宮沢 そうですよね、そうなりましたね。
でも結果的にいま歌謡曲が無くなってます。
歌謡曲っていう言葉を使うシーンが無いですよ。
もともとは調べてくと、日本古来のもの、
土と向き合ってるときに生まれた歌と、
あこがれの外国のものがミックスされたときに
生まれたミュータントっていうか、
それを歌謡曲って呼んでたようなんですけど、
時代とともに都合のいい使われ方をして。
糸井 混血の仕方が変わるからね。
宮沢 ええ。結局ラップとかとのまじわりになってくると
ちょっと肌触りの違う言葉だってはじかれて、
演歌とニューミュージックの間みたいな、
微妙なとこにいる感じもありますし。
糸井 ぼくは玉置浩二くんっていう人のことを
最後の歌謡曲だと思っているんです。
ボロボロになってまた復活してコンサートやって、
もうダメだろ思っても、すっごく歌い上げる。
歌ってる内容について何かをメッセージ
してるわけでもなければ、とにかくなんだろう‥‥
「これはなに?」っていう、
フェロモンなんだか何だかがあるんです。
宮沢 歌の中にこれを伝えたいんだとか、
メッセージとかは、無いじゃないですか。

小田和正さんの歌にも共通する部分を感じて。
糸井 あ、小田さんも無いね。
美空ひばりも無いですよ。
美空ひばりの、他人の歌を歌ってるのは、
その“無さ”がものすごくいいですよ。
他の歌手がカバーするときは、やっぱり少し
「私はこう考えます」みたいになるんだけど。
宮沢 たぶんそれは歌の邪魔なんだと思うんですよ。
糸井 そうか、邪魔なんだね‥‥。
宮沢 さっきおっしゃった、
詩に頼りすぎず、
もっとフィーリングでっていうこと、
ここまでお話しさせていただいて、
すごく自分の中に響くんです。
意味に頼っちゃうと楽なところを、
その先にもっと素敵な世界があると、
小田さんとか玉置さんは
気付いてたりしてるのかもしれない。
(つづきます)
2012-05-29-TUE
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