糸井 |
話していて、思い出したのが書道なんですよ。
むかし、いいなあと思う書があって、
そこには“風”っていう字が書かれてた。
それを持ってた人が、
「風が吹いてるみたいでしょ?」って言ったんです。
「書く人も、風を感じてそれをここにぶつけるんです」
って。でも、感じてぶつければ、
書がきれいに美しく表現できるんだったら。
それは“どのくらい思ったか”の記録だから、
「それだと俺でもできるはずだ‥‥でも違う」って、
なんとなく怪しんでいたんです。
それは説明する側の身勝手じゃないかと。
だって、書く人がそんなものに足取られたら、
書を鋳型にはめちゃうことになる。
そのことがずーっと分からなかったんだけれど、
今日分かりました。たぶんそれは違う。
書道は思ったことを書くんじゃない。
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宮沢 |
うんうん、そうですね。
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糸井 |
で、歌もきっとそうなんです。
“思い”っていうようなものは
とりあえず呼び水として使ってもいいけれど、
歌そのものって、もっと、もっと、
すごいもんなんだよ、きっと。
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宮沢 |
文章も、「あれも伝えよう、これも伝えよう」
「これも書いとかなきゃマズいぞ」
「出典も書かなきゃな」っていくと、
どんどん膨らんでつまらないものに‥‥。
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糸井 |
うん、やっててつまんないですよね。
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宮沢 |
ぼくも「歌詞もやっぱりそうなんだな」
っていうことは、分かってはいて。
時々「あ、ここかもな」っていう扉が
うっすら近付いてるなっていうときがあるんですけど、
なんか他にやらなきゃいけないことがあって(笑)、
そこの扉を開けないまま、
忙しくしてるっていうときもあって。
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糸井 |
“できちゃう”っていうのを待つしかないんですかね。
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宮沢 |
ただ、“降りてくる”っていうのもまた
「どうかな?」とも思うし。
でも『島唄』っていう歌に関して言えば、
あの歌に込めた思いっていうのが、
いっぱいあるんですよね。
意味も、歴史も、資料も、事実も、数字も。
そういうのがあって、
けれども詞の上では一切言ってないんですよ、
ただ別れの歌になってる。
でも、込めてる。
例えば『島唄』の始まりは
“でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た”。
これは、でいごの花が春に咲くとその年が台風が多い、
っていう言い伝えがあるんですね。
そこには「読谷村にアメリカ艦隊が押し寄せてきたのは
デイゴが今年多く咲いたからだ」っていう意味がある。
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糸井 |
ほおー!
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宮沢 |
全部そういうふうに変えて歌ったんです。
で、その思いっていうのは、
例えばポーランドの人の前で歌ったりして、
ちょっとは説明するんですね。
「次の歌は沖縄っていうところを舞台にした
戦争の悲劇のラブソングです」みたいな。
すると、ものすごく伝わってるときがあるんですよ。
もちろん歌詞の意味は分からないし、
ぼくのつたない英語でどこまでみんなそんな感じを、
それも初めて出会った人がと思うんですが、
なんか伝わってるんですよ。
それは意味、言葉を超えた思いとか、
それすらも超えたなにかがあるんだと。
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糸井 |
たぶん歌ってる最中に、
もともとその歌に込められた意味を乗せよう、
乗せようと思ったら歌えないですよね。
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宮沢 |
歌えないですね。
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糸井 |
歌ってるときっていうのは、
歌う人に戻ってるっていうか。
「いっぱい歴史があって」とかっていうのを
思えば歌えるっていうんだったら、変ですよね。
そのあたりなんだな。
よく名優というか役者の人たちが、
“考えるのをやめる”みたいな言い方をしますよね。
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宮沢 |
ええ、しますね。
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糸井 |
分かんなくなったら棒読みが一番いいんだそうです。
ぼくはそのことについては
もう全く分からないですけども、
言ってることの内容は分かりますね。
歌もきっとそうだし、
文章もきっとそうなんでしょうね。
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宮沢 |
そういう意味で言うと、
いまぼくがしゃべろうとしてることも
自分じゃ3秒前は思ってもいない‥‥。
「何を言い出すの、俺」っていう。
でも、ものを書いたり、作詞したり、
なんかやるってのは
すごくそういう摂理のこの人生を
勝手に変えてるようなところがあって。
操作したり、良く見せようとか。
いま「糸井さんに俺いまなんか言うぞ」
っていうことが歌えれば‥‥。
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糸井 |
そうなんだよね、そうなんだよね。
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宮沢 |
沖縄の昔の民謡って即興が多いんで。
もしかしたら歌そのものが
そうだったのかもしれないですね。
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糸井 |
つまりさ、即興で
人が喜んでくれるようなものを作れるっていうのは、
その人間の中にあったものが
出てくるしかないわけだから、
その人間が面白くなってるってことだね。
って、身も蓋もないな(笑)。
それこそ宮沢くんも年取ったけど、
ぼくも取って、プレイヤーであることの他にも、
グランドデザインのほうに近付くようなこともある。
言葉を選ぶのと同じように人を選んできたり、
ある時間帯をこう使ってみたり、みたいな。
それがインプロビゼーション(即興)で
案外、できるようになるんですよね。
まわりの人には迷惑かけたりするんですけど。
即興でついてかなきゃならないから(笑)。
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宮沢 |
(笑)。
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糸井 |
いいチームっていうのは
そこについてけるんですよ、すっとね。
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宮沢 |
そういえばブラジル人って、
めっちゃめちゃ即興に強いんですよ。
だからリハーサルをしたがらない。
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糸井 |
ああー、イヤなんだね。
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宮沢 |
「イヤだ」って言いますね。「いいよ、もう」って。
で、こっちとしてはもう一回やっとけば
リズムがもう少し噛み合いそうな気がするから
「もう一回やろうね」って言うんだけど、
理解できないみたいで。
「いまお前そこで歌え」
「お前ギター弾け」って言われたときに
感動するものができるのが音楽家で、
その準備っていうのは別にしてるわけじゃなく、
家でやってるし、才能もあるし、って
彼らは言うんです。
フィジカルなのもあるんですけど。
それ聞くと、「そうだなー」って思っちゃって。
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糸井 |
いいなあ。
「そうだなー」って言う宮沢くんが
すごくまたいいとこにいるね(笑)。
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宮沢 |
(笑)いや、たしかにそうだな、と。
それを聞いて、やっぱり自分も変わりましたね。 |
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(つづきます) |