「元気でいよう。」 ──これから、うたができること。── 宮沢和史さん×糸井重里対談
 
その8 意味や思いすら超えた「表現」。
糸井 話していて、思い出したのが書道なんですよ。
むかし、いいなあと思う書があって、
そこには“風”っていう字が書かれてた。
それを持ってた人が、
「風が吹いてるみたいでしょ?」って言ったんです。
「書く人も、風を感じてそれをここにぶつけるんです」
って。でも、感じてぶつければ、
書がきれいに美しく表現できるんだったら。
それは“どのくらい思ったか”の記録だから、
「それだと俺でもできるはずだ‥‥でも違う」って、
なんとなく怪しんでいたんです。
それは説明する側の身勝手じゃないかと。
だって、書く人がそんなものに足取られたら、
書を鋳型にはめちゃうことになる。
そのことがずーっと分からなかったんだけれど、
今日分かりました。たぶんそれは違う。
書道は思ったことを書くんじゃない。
宮沢 うんうん、そうですね。
糸井 で、歌もきっとそうなんです。
“思い”っていうようなものは
とりあえず呼び水として使ってもいいけれど、
歌そのものって、もっと、もっと、
すごいもんなんだよ、きっと。
宮沢 文章も、「あれも伝えよう、これも伝えよう」
「これも書いとかなきゃマズいぞ」
「出典も書かなきゃな」っていくと、
どんどん膨らんでつまらないものに‥‥。
糸井 うん、やっててつまんないですよね。
宮沢 ぼくも「歌詞もやっぱりそうなんだな」
っていうことは、分かってはいて。
時々「あ、ここかもな」っていう扉が
うっすら近付いてるなっていうときがあるんですけど、
なんか他にやらなきゃいけないことがあって(笑)、
そこの扉を開けないまま、
忙しくしてるっていうときもあって。
糸井 “できちゃう”っていうのを待つしかないんですかね。
宮沢 ただ、“降りてくる”っていうのもまた
「どうかな?」とも思うし。
でも『島唄』っていう歌に関して言えば、
あの歌に込めた思いっていうのが、
いっぱいあるんですよね。
意味も、歴史も、資料も、事実も、数字も。
そういうのがあって、
けれども詞の上では一切言ってないんですよ、
ただ別れの歌になってる。
でも、込めてる。

例えば『島唄』の始まりは
“でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た”。
これは、でいごの花が春に咲くとその年が台風が多い、
っていう言い伝えがあるんですね。
そこには「読谷村にアメリカ艦隊が押し寄せてきたのは
デイゴが今年多く咲いたからだ」っていう意味がある。
糸井 ほおー!
宮沢 全部そういうふうに変えて歌ったんです。
で、その思いっていうのは、
例えばポーランドの人の前で歌ったりして、
ちょっとは説明するんですね。
「次の歌は沖縄っていうところを舞台にした
戦争の悲劇のラブソングです」みたいな。
すると、ものすごく伝わってるときがあるんですよ。
もちろん歌詞の意味は分からないし、
ぼくのつたない英語でどこまでみんなそんな感じを、
それも初めて出会った人がと思うんですが、
なんか伝わってるんですよ。
それは意味、言葉を超えた思いとか、
それすらも超えたなにかがあるんだと。
糸井 たぶん歌ってる最中に、
もともとその歌に込められた意味を乗せよう、
乗せようと思ったら歌えないですよね。
宮沢 歌えないですね。
糸井 歌ってるときっていうのは、
歌う人に戻ってるっていうか。
「いっぱい歴史があって」とかっていうのを
思えば歌えるっていうんだったら、変ですよね。
そのあたりなんだな。
よく名優というか役者の人たちが、
“考えるのをやめる”みたいな言い方をしますよね。
宮沢 ええ、しますね。
糸井 分かんなくなったら棒読みが一番いいんだそうです。
ぼくはそのことについては
もう全く分からないですけども、
言ってることの内容は分かりますね。
歌もきっとそうだし、
文章もきっとそうなんでしょうね。
宮沢 そういう意味で言うと、
いまぼくがしゃべろうとしてることも
自分じゃ3秒前は思ってもいない‥‥。
「何を言い出すの、俺」っていう。
でも、ものを書いたり、作詞したり、
なんかやるってのは
すごくそういう摂理のこの人生を
勝手に変えてるようなところがあって。
操作したり、良く見せようとか。
いま「糸井さんに俺いまなんか言うぞ」
っていうことが歌えれば‥‥。
糸井 そうなんだよね、そうなんだよね。
宮沢 沖縄の昔の民謡って即興が多いんで。
もしかしたら歌そのものが
そうだったのかもしれないですね。
糸井 つまりさ、即興で
人が喜んでくれるようなものを作れるっていうのは、
その人間の中にあったものが
出てくるしかないわけだから、
その人間が面白くなってるってことだね。
って、身も蓋もないな(笑)。

それこそ宮沢くんも年取ったけど、
ぼくも取って、プレイヤーであることの他にも、
グランドデザインのほうに近付くようなこともある。
言葉を選ぶのと同じように人を選んできたり、
ある時間帯をこう使ってみたり、みたいな。
それがインプロビゼーション(即興)で
案外、できるようになるんですよね。
まわりの人には迷惑かけたりするんですけど。
即興でついてかなきゃならないから(笑)。
宮沢 (笑)。
糸井 いいチームっていうのは
そこについてけるんですよ、すっとね。
宮沢 そういえばブラジル人って、
めっちゃめちゃ即興に強いんですよ。
だからリハーサルをしたがらない。
糸井 ああー、イヤなんだね。
宮沢 「イヤだ」って言いますね。「いいよ、もう」って。
で、こっちとしてはもう一回やっとけば
リズムがもう少し噛み合いそうな気がするから
「もう一回やろうね」って言うんだけど、
理解できないみたいで。
「いまお前そこで歌え」
「お前ギター弾け」って言われたときに
感動するものができるのが音楽家で、
その準備っていうのは別にしてるわけじゃなく、
家でやってるし、才能もあるし、って
彼らは言うんです。
フィジカルなのもあるんですけど。
それ聞くと、「そうだなー」って思っちゃって。
糸井 いいなあ。
「そうだなー」って言う宮沢くんが
すごくまたいいとこにいるね(笑)。
宮沢 (笑)いや、たしかにそうだな、と。
それを聞いて、やっぱり自分も変わりましたね。
(つづきます)
2012-05-30-WED
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